禅と瞑想のススメ…マインドフルネス…考えるな感じろ
外側の世界を整えたいなら、内側の世界を……自分の内面を整えるといい。
内側が整うと世界を外から俯瞰して見ることができる。
世の中の常識が非常識になり、昨年まで有効だった手法が全く使えない。そのような2020年になりつつあります。世の中は諸行無常なものであり、万物は流転するものだ、と頭で理解しても飲み込めない日々に、押しつぶされそうな人も多いのではないでしょうか。
不安や怖れは自分の影のようなもので、振り切ろうと全力で逃げても足元にあるし、部屋に引きこもってもそこにあるものなのです。
全ては自分自身の心が悪さをしています。
この自分自身の心はどうする事もできません。戦ってねじ伏せることも、逃げることもできないのです。なので、心はひとまず置いておいて、人間の心ではないもの…身体性からのアプローチで解決しよう。というのが古くからの日本のアプローチでした。禅とか茶道とか滝に打たれるとかですね。
そこにマインドフルネスという少し異なる角度からの考え方が入ってきたのです。悪さをする心そのものにアプローチするのがマインドフルネス。という考え方の違いです。
悪さをする心とは、正しい・間違っている。というジャッジメンタルが起源であると言えます。人は正しいという確信を持つと強く心が反応してしまいますからね。芸能人の犯罪行為などが強く世論を刺激するのもコレです。
正論を振りかざすとき、人は獰猛な動物のようでもあります。
マインドフルネスはこの逆です。
正しい・間違っている。というジャッジをしなければ心は平穏になるよね。という意味だと解釈してもらえればOKです。
この世は客観的なもののように思いがちですが、その世界に色を付けているのはまぎれもなく自分自身なのです。雨が降っているから嫌だな。というのは主観的な自分です。
雨はただ降っているだけ。そこに良いも悪いもないのです。
経済は停滞しているだけ。そこに良いも悪いもないのです。
経済が停滞して会社が倒産しそうだ(客観的)
自分はとても怖がっている(主観的)怖くて怖くて仕方ない(主観的)
このようにこれは客観的、これは主観的、と区別し俯瞰的に見ると、怖れと等身大で向き合うことができます。等身大の怖れはあって然るべきなのです。
マインドフルネスはビジネスの手法ではありません。
決して仕事の効率を高めるものではないのです。
仕事の効率を高めるとは、ネズミが回し車をもっと速く回そう。という解釈(小さな自分)です。マインドフルネスは、回し車から降りてみよう。という解釈(大きな自分)なのです。
では実践編として
マインドフルネスに触れてみたい。と思うのであれば、自分の実家のお寺を訪ねてみてはいかがでしょうか?
座禅や写経をしてみましょう。説法を聞いてみましょう。
頭や思考で生きるのではなく、身体の感覚から生じるものに集中してみましょう。
自分のルーツに近いという意味で、実家のお寺が断然オススメです。
実家のお寺がそのような受け入れをしてくれないのであれば、そのお寺の宗派を辿り、本山などを訪ねるのも良いでしょう。
皆様が平穏で、喜びに満ち溢れた日々をおくれますように。
心からお祈り申し上げます。