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あおみどり

2010年2月、「おはなし会」の記録(当事者研究)

自分の困りごとに名前をつけてみる(対象化し、「内なる精神」という見方でなく「自分の中の異文化」として見る)。対象化した「彼」が話し、言葉の通ずるものだとすれば、対話(コミュニケーション)が可能であり、相手を知るフィールドワークができる。それはすなわち、人類学的手法・手順・見方が可能だということだ。

わたしを悩ますものの名は「あおみどり」だ。

あおみどり

過去にあったできごとが詰まっている箱(こわいものBOX)を覆うもの。
でいだらぼっち。
あおみどりによってよかったこと・楽しかったこと・嬉しかったことが呑まれており、それらは思い出せず「こわいこと」「どんよりとしたあおみどり色のスライム状のもの」にしか見えなくなる。
あおみどりに対しては、ごめんなさい、すみません、申し訳ありません、と呟き続けるしかない。かと言って、あおみどりが返答することはない。ずっと黙ってそこにあり続ける。話すことはできないのではないか。
あおみどりは生き物のようだが、性別はなさそうだ。年齢はあるのだろうか。粘菌に年齢を見ることが難しいのと似ているように思う。あおみどりは1個体というよりは無数の個体の集合体であるような気もする。
どこから来たのかわからないが、人間より古い時代からいるタイプのように思う。
主食は人間のマイナス思考。日中は人間の影の中にいるが、夜はどこにでもいる。
行動様式はまだよくわからない。
たまにわたしの調子がよくて、あおみどりが溶けることがある。あおみどりとこわいものBOXは一体になっているのであろう、あおみどりが溶けると箱も消える。その中に入っていた思い出の手触りにハッとする。あたたかさに気づく。

あおみどりは思い込みでできているかもしれない

わたしは度のキツい眼鏡で、歪んだ世界を見ているのかもしれない。だからメールの意図を取り違えたりする。いい子ちゃん型思い込み症候群。その歪みからあおみどりは生まれてくるのかもしれない。

あおみどりは何かを守っているかもしれない

あおみどりは発生することで、わたしの安全を守る装置として働いているのかもしれない。なぜなら、あおみどりが発生するとやがてわたしの機能は止まる。眠るしかなくなる。それは、「思いやる」「気遣う」「空気を読む」などをする必要がなくなるということでもある。

(2010/02/03)

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