セルフレジに私の値段を聞いてみたい 9

初めから読む→セルフレジに私の値段を聞いてみたい 1|青野晶 (note.com)
前回の話→セルフレジに私の値段を聞いてみたい 8|青野晶 (note.com)


■山本美咲【14】
大学の採用試験に合格したと電話で言った時、大輝は信じられないという感じで叫んだ。
「やったじゃん! 美咲ちゃん! すごいよ! 言ったでしょ! 俺が言う通りに嘘をつけば絶対に内定出るって!」
「うん。ありがとう」
「内定のお祝いしようか。誕生日も近いし、プレゼント、奮発するよ。何がほしい?」
 私はちょっと考えた。ほしいもの。もの。たくさんあるはずなのに、不意に聞かれると言葉に詰まってしまう。私は、私にないもの全部ほしい。全部ほしいのに、それが何かわからない。
「チャンス」
「チャンス?」
 不意に思い浮かんだのは、シャネルのチャンスを毎朝振りかける広子の横顔だった。
「香水。シャネルのチャンス。みんな持ってるから、私もほしい」
「いいよ。今から買いに行く?」
「ごめん、今日バイトだから」
「あ……。本当だ。水曜日だね」
「今、塾向かってるところだから切るね」
「わかった」
 スマホを耳から離してすぐ、背後から誰かの足音が聞こえた。高いヒールの音。小さな足が、元気に地面を蹴る音。和泉さんだ。「美咲ちゃん!」と、やっぱり和泉さんの声が聞こえて、私は振り返った。
「今日が最終出勤だよね! 授業終わったらジェネ鳥で飲もうよ。木村くんも誘って!」
「いいですね」
「はああ、美咲ちゃんは今日で速水くんともさよならか~。いいね。次は代わりに誰が見てくれるんだろ。私は無理だし。塾長かな?」
「声大きいですよ。生徒に聞かれますって」
 和泉さんはあわてて口をおさえた。春に向かって、日没は少しずつ遅くなってる。私は薄くなる影を見つめながら言った。
「でも私、実はできない生徒好きなんですよ」
「噓でしょ?」
 和泉さんが目をむく。私は冗談めかして笑った。
「だってかわいいじゃないですか」
塾はもう、目の前にあった。
 
■星野結(6)
塾に向かう道のりで、星野結は、日が暮れるのが遅くなってきたことに気付いた。春が来るらしい。季節の巡りが早い。急速に、嘘つき座神話は完結に向かっている。完結の日を迎えても山本美咲がプラネタリウムから連れ出せなかったら。嘘つき座はこれからも、このプラネタリウムで山本美咲として生きた思い出をループし続けるのだろう。プラネタリウムで定番の演目が何度も上映されるように。
「嘘つき座神話は永久にループしても、君の物語は終わる」
突然館長の声が聞こえて、星野結は天を仰いだ。北極星がちらちらと瞬いている。その明滅に合わせて、館長の言葉は続いた。
「君が答えを見つけなければ、この嘘つき座神話の終わる時、君は星野結としての意識を失い、ただの星座になるだろう。山本美咲のループする記憶の中で、君は、速水くんとして瞬き続ける」
「……それもまあ、悪くはないのかもな」
 どんな形であれ、山本美咲の近くにいられるのであれば。星野結はそう思った。
不意に背後から誰かが走ってくる高いヒールの音が聞こえて、星野結は慌てて道をはずれ、近くにあった公園に入った。夕方の公園は常緑樹が茂って、姿を隠しやすかったのだ。ここはプラネタリウムの中の異世界だが、北極星と会話をしているところを人に見られるのには抵抗がある。
小さな足が、元気に地面を蹴る音がする。「美咲ちゃん!」と、その人が言った。和泉の声だ。
「今日が最終出勤だよね! 授業終わったらジェネ鳥で飲もうよ。木村くんも誘って!」
「いいですね」
 二人の話し声を聞く。最終出勤? 星野結は息を飲んだ。今日が、山本美咲に会える最終日らしい。そんな急な! 星野結は慌てた。
向こうにいる山本美咲と、頭上の北極星を交互に見る。星野結は迷った末に山本美咲の方に視点を定めて、公園の中を移動しながら、山本美咲を追った。どうするのが正解なのか、わからなかった。
「はああ、美咲ちゃんは今日で速水くんともさよならか~。いいね。次は代わりに誰が見てくれるんだろ。私は無理だし。塾長かな?」
「声大きいですよ。生徒に聞かれますって」
 星野結は足を止めた。この美しい宙の底で、やはり自分は孤独だったと思う。疎まれて当然だった。山本美咲以外の誰ともまともに関わりたいなんて思わなかったのだ。そんなふうに思うのは、ここが、星野結が本来いるべき世界ではないからか。そう思いたかった。でも、違うではないか、と星野結は気付いてしまった。現実世界にいた時だって同じだったではないか、と。星野結はサークルの他のメンバーとトランプすらしたことがなかった。そんな星野結に歩み寄ってくれたのは山本美咲だけだ。しかし、星野結は山本美咲に素直な気持ちを打ち明けようとしたことさえ、なかったではないか。山本美咲だって星野結を迷惑に思っていたかもしれない。山本美咲が優しいからそうと言えなかっただけで、そう態度に出せなかっただけで、本当は山本美咲だって星野結のそばにはいたくなかったのかもしれない。星野結は指先が冷えていくのを感じた。「こわい」と、はっきりと思った。
「でも私、実はできない生徒好きなんですよ」
 山本美咲の声が聞こえて、星野結は顔を上げた。茂みの葉が視界を遮って、ここからは山本美咲の姿は見えない。しかし音は、言葉は、山本美咲の声は、間違いなくそう響いた。
「噓でしょ?」
 星野結の返したかった言葉を、和泉が言う。山本美咲は冗談めかしたように笑った。
「だってかわいいじゃないですか」
 星野結はその場に立ちつくした。頭上で輝き出した星々が、ちりちりと白銀に燃えていた。
「わかるだろう。君が山本美咲の一番近くにいるのは、隣にいられるのは、速水くんだからだ」
 また北極星が瞬いた。光の明滅に合わせてプラネタリウムの館長の声が降ってくる。
「どうして、こいつなんですか」
 星野結は自分の胸を指さした。俺ではないにしても、と思う。山本美咲の一番近くにいるのは、山本美咲の恋人ではないのか?
「山本美咲は自らを商品として扱うことにも、商品として扱われることにも屈してきたのだよ。君に出会うまではね。速水くん。嘘つき座神話の上映を一度見たのだからわかるだろう。君には、山本美咲に言うべき台詞がある」
館長の声はそれ以降、聞こえなくなってしまった。北極星は音もなく白銀に瞬いた。

続き→セルフレジに私の値段を聞いてみたい 10|青野晶 (note.com)


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