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障子の向こう

障子の滑りが悪い。

仕事のことばかりして、生活をだらしなくしていると、ふと気づいた時の手入れを怠り、一度怠ると、一層面倒になってしまう。

桟に薄く蝋を塗る事さえも、ひどく億劫でそのままにしているうちに、ますます滑りが悪くなった。

私は、動きやすい障子だけを動かし、猫のように、その隙間を撫でるように出入りする。引手のない方の障子からスルリと抜けるのは、夜に口笛を吹いてしまった時のようなバツの悪さを感じる。普段は障子と障子がピタリと重なった決して通らない場所。悪いことをしているようで通った瞬間別の世界に行ってしまうのではないかという不安がふと過ぎるが、ふとよぎったなと思うだけで次の瞬間にはまたそこを通っている。

死は生と隣り合わせで、それは遠くにあるのではなく、何気なく開けた障子の向こうにあるようなものだと、いつか教わった。誰にでも必ず訪れるのだから、あなたが今、死について考える必要はないのだよ、とその人は言っていた。

幼い頃、遊んでいた男の子は、大人になる前に自死した。その兄弟もそのあと自死した。理由は知らない。誰もわからない。死んだ子が可哀想だとみんな泣いていたけど、可哀想だなんて思いたくなかった。自死した彼らが可哀想ならば自死する前の存在していた彼らは?可哀想というのは、一瞬一瞬が無くなるみたいだと思った。でもそれをうまく言えなかったし、言わなくて良かったと思う。

今の仕事が終わったら、障子の隙間は通らなくなるだろう。

一つの仕事が終わり次の仕事に移る間に必ず、掃除だけの一日を作るからである。掃除は没頭するうちに整い、気づけば元の自分になっている。仕事とは別の三昧だ。

その時そこにあるのは、私と、対峙する物体だけである。彼らはいつも変わらない。必ずどんな時もその様にしかならないのである。

ハタキをかけ、埃を履いて、

家中を水拭きし、乾拭きをする。

障子を直す。

障子の桟に薄く蝋を塗り、窓の桟に油をさす。

家中のどこもかしこも、たちまちに、つるつるして、柔らかく、滑らかになっていく。

スルスルと迷いなく開いた窓の向こうには庭が、そこには伸びきり長くなった秋草が広がっている。

私は、長靴を履いて、その中に分け入り長草を刈っていく。短くなれば、今よりも少し向こうが、窓から見えるようになるだろう。

掃除を終えたら、風呂に行く。湯からもらった温とみを逃さぬ様に褞袍で身体を包む。

冬の空に浮かぶのは、明るくてくっきりした月である。私は月明かりの下で、息を白くしながら、一人きりで冷たい空気を吸い込む。

夜明けの先のことは何も考えない。

夜はただ、眠るだけである。 

部屋の灯りが消えると、夜は少し広くなり、ただ、ぽかんと家を囲む。

部屋は暗いけど闇に溶けない。

隅々まで一つ一つがくっきりとしていて、

まるで、あらゆる物に守られているみたいだ。

私は安心して目を閉じる。





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