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締切のはなし

仕事の締め切りが伸びたと喜んでいる私は金を借りて喜んでいる博打野郎と同じなのでしょうか。すみません、安堵のあまり言葉が悪くなってしまいました。何が言いたいかというと思いがけず今夜はよく眠れるということです。
午後9:14 · 2022年10月24日 tweet

守れなかった締切の向こうにあるのは、無の世界である。

無の世界は怖い。

だから何があってもその期日だけは守らなければならない。
しかし、あろうことか、時にその締日を伸ばしてしまうことがある。この時点で締切は守られていないが、日にちを伸ばした瞬間に開放感が生まれる。
まさに金を借りて喜んでいる博打野郎状態、もっと悪く言えば、馬鹿の無双状態である。
借りた時間なのに、もらった気になっている。

冒頭は私が10月に呟いたTwitterである。
自分が大人になったなと思う時は、近い未来の予想がある程度つくようになった時だ。
私も大人になったなとしみじみ思う。
でも、悪い未来を回避できるかどうかは別である。

気づいた時には絶体絶命、
イメージで言うと、大火事の中鬼の形相なのに泣きながら仕事している。
のちにその時の記憶は、ほぼない。

「伸ばした締切を死守する」いう情けない立場でありながらハードルだけは上がった状態からなんとか挽回した、様に見せかけるしかないのだ。

無駄なプレッシャーを自分に課しているのだが、プレッシャーの重さだけで達成感は普段以上のものとなる。
伸ばした締切を守った時には異常な興奮状態で、何か凄いことを成し遂げた様な気がしてしまう。
うっかり得意げに、謙遜自慢の代表台詞を口走ってしまいそうだ。
「当然のことをした迄ですから…。」
本当にそうですね、と言われるだけである。


なぜ私は無駄に自分を追い詰めてしまうのか。
決してストイックだからではない、誰もがわかる様に、ただ怠慢だからである
怠慢すぎて、いつもギリギリまで湯船や布団や炬燵などの入れるものに入ってじっとしている。

時々思う。
私の寿命を勤勉で優秀な人達にあげられたら何か成し遂げてもっと世のためになるだろうなと。
でも、もしそれが実現しそうになったら土壇場で命乞いするだろう。
よく知らない人に自分の寿命とかあげたくないとごく普通のことを平気な顔で言うと思う。
こんなに怠慢なのに、死ぬのだけは怖すぎるのである。

締切を伸ばしてしまうのはそれに似ていないか。
怠慢なのに加えて、ただ単に怖いものを先延ばしにしているんじゃないか。
伸ばすほどにもっと怖くなる。
しかしあんまり怖いとどうでも良くなってくる。
恐怖突入というやつである。

恐怖突入までにじっくり時間をかけるので、かえってすんなり済ませるより怖い時間が長いのが本当に無駄だなと思う。

なぜ今こんなことを書いているのかというと、また締切がくるからである。
もう中年なのにいつまでこんな学生時代の試験週間みたいなことをやっているのか。

今、私は無性に部屋の片付けがしたい。
懐メロが聴きたい。
海が見たいと呟いてドライブに出かけたい。
波打ち際で恋に落ちて一夜限りの最高の思い出をつくりたい。
部屋の片付けという手頃な達成感の獲得に始まり、
現実から過去への時間を超えての逃避、
部屋から海という場所の移動による逃避、
後先考えない欲望の発散による逃避…。

現実逃避の手段はいくらでも思いつく。

年末に、自分の書いた一年分のノートを見直した。
恥ずかしすぎて穴が無くても自ら掘って、そのままの勢いで念仏唱えてそのセルフ穴に飛び込みたいと思った。
(穴というものも湯船や炬燵や布団と同じで入るだけで落ち着きそうな気がする。)

つくづく自分の記事がバズったりしていなくて良かったと思った。
バズってインフルエンサーになって知る人ぞ知るみたいな感じでラジオのゲストとかにお試しで呼ばれて、軽妙なトークでたちまち人気になって、ミセス向けの女性誌とかにも出て、よく分からないけどアイコニックな人になって、急にオーガニックなブランド立ち上げて、ロハスな暮らしを提供する雑貨や家具やらをプロデュースして、それが売り切れ続出になったりしなくて本当によかった。羨ましいわけではない。

とにかく
守れなかった締切の向こうにあるのは無の世界だ。

あの電柱まであの電柱までと走りつづけて、どこにたどり着くのか。
もしそんな事を考えたら一歩も進めなくなる。
電柱まで辿り着けるかもわからないのに。
そう、電柱があるだけありがたいではないか、と奮い立たせる為に思う自分はちょっとだけ嘘くさいと思っている。

子供の頃に決めた、将来の夢は、
老人になったら着物姿で日がな縁側で日向ぼっこをし、最期は膝に猫を乗せたまま、うたた寝してそのまま穏やかな死を迎えるというものだった。

設定したゴールにはこの道で辿り着くのだろうか。
正直私は着物より寝巻きに褞袍の方が楽だ。
縁側らしきものはあるけど寒くて暑いので滅多に座らない。
猫に関しては膝に乗ってもらえるどころか、野良から自分の夕飯の魚を狙われる始末である。

ここで初めて気づく。
締切を伸ばしている人が文章を書くと何も書けないということに。
恐るべき説得力のなさ、この程度の現実逃避では何も身を結ばないのだなと実感する。

恋はするものでなく落ちるもの、という言葉を何かの小説で読んだことがある。

締切は伸ばすものではなく守るもの。
何の小説にもならない。
普通のことだから。

おわり


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