見出し画像

空飛ぶ言葉たち

その言葉は、奥行きも質量も無く、現れた側から、ふわりと宙に浮く。それは捉えているようで事の表面を撫でることさえもできない。それは、空間を漂い、さらに広い場所を求め飛んでいくが、誰にも届かずに消えていく。幾つもの漢字や平仮名が、即座にバラバラになり、ゆるゆると天高く昇っていく。私はその空飛ぶ言葉たちを眺めて、なんとなく手を合わせる。正式な祈り方を知らないので、半端な格好で首から上だけで頭を下げる。

そんな儀式を繰り返すうちに、日に日に無口になっていく。

ある朝、鏡を見ると容貌が変わっている。鏡に向き合い困惑していると遠くの部屋で電話が鳴る。

鏡に映る自分を放りだし、助けを求めるように電話に出る。いつもの相手が当たり前のように話出し、少し安堵する。電話口から聞こえる相手の話を一通り聞いてから私は言うのである。

「最近口が小さくなった気がする。」

「暫く会ってないから分からないけど」

「喋っていないからかもしれない」

「いや、もともとあなたの口は小さいよ。」

興味がなさそうに返事をする相手に、伝えたいと思う。私のこと、今こうなった顛末、私がなぜ喋るのをやめたのか。なぜ口が小さいのか。

久しぶりに私の口から出た言葉は、そのそばから宙に浮かび、バラバラになりながら器用に網戸の隙間を潜り抜け飛んでいく。私は気づかず、パタパタと口を動かし続ける。ゆらゆらと飛んでいく私の言葉の成仏を祈るものは誰もいない。それらは、ひらりひらりと表裏を見せながら、分解されて、遠ざかり、風に乗ると、あっという間に見えなくなる。

電話の向こうは静まり返っている。私は、小さな口で、まだ何かを発している。




文章を書くことに役立てます。