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さよなら仮想世界

昔、映画ジョーカーを見たときに、まさかあのまま終わるとは思わなくてラストのシーンに驚いた。正直そのままじゃないかと思った。

では私は何を期待していたのだろう?

ジョーカーが突然コメディアンとしての才能を開花させて社会的な成功を得ること?

狂気に向かう心を軌道修正して且つ現実を受け入れて犯罪を犯さずに今まで通り生きること?

それともドラマティックな出会いによるハッピーエンド?

否。私は何も期待していなかった、答えを持っていないからである。ただあの終わりは「ただの現実じゃないか」と思ったのであった。


京王線の犯人は、死刑になりたかったのでそのために人を二人殺したかったと述べているらしい。

犯罪が起きたときに、いつも思うのは犯人と自分とでは、何が違うのだろうということである。

年齢を犯人の属性にするわけではないが、私に身に覚えがあるのが20代の頃だったので、少し長くなるがその頃のことを書く。


20代の頃、ひどく鬱屈としていた。仕事、人間関係色々あった。今思うと本当に鬱屈としている時は、案外本人はそのことに気づかないものである。私は向かないことを無理してやっていたのだろう。

当時の狭いコミュニティの中では、暗黙のルール、それに伴う比較や優劣があり、それら全てが、常に道理の無いものだった。

前にも後ろにもいつも見えないラインがあり少し超えるのはよいが、超えすぎてはいけない、ラインの中にいるばかりでもいけない。そのラインは、根拠なく流動的であやふやなその時の雰囲気のみで形成されている。私はその空気の中でバランスを取るために、自分を矯正し、考えをどんどん小さな箱に押し込めていき、そのうちに息ができなくなった。

私と犯人の違いは一つ、その刃が他人に向くか自分に向くかだけである。さまざまな経緯は割愛するが、最終的に私がやったことは、心の扉を完全に閉めて、押し黙ってしまうことだった。

誰の言も聞かず誰にも何も示さない。

黙ることで他人の存在を殺して他人の中の自分の存在も殺し、私自身も殺し、何もないが肉体が生きている世界に閉じこもった。

表面的には普通に見えたかもしれない。

朝起きて働き就業を終え帰宅し眠りまた働く、その場で笑いもするし、会話もする、ただ心中には何もなかった。ずっと嘘をついていた。毎日がその繰り返しであった。生きている肉体さえも窮屈でなるべく体を酷使し無茶に働き通し、食事はほとんど取れなかった。少しずつ身体は小さくなっていき、もっと小さくなりこのまま私という肉体がいなくなって仕舞えばよいと考えていた。

仕事も、人との関係も、自分の肉体も、心底拒否していた。


その間にも、沢山の事件が起きた。

無差別殺人事件もあった。


刺したら、その感覚を忘れることはできないだろう。

刺されたら、痛いだろう。


私が、それをしないのは、ただ、その肉体の感覚が恐ろしいだけなのじゃないかと思った。私がしていることだって同じじゃないか。ただ法律で裁かれないだけで同じじゃないか、と思った。 


「一線を超えられる人というのはそんな事とは違うんだよ、あれは全く別の怪物で、彼らは普通の人の感覚じゃないんだよ。」

と誰かが言った。


私は今でも同じだと思っている。

ただ、形になった現象が違うだけだと。だから恐ろしい。例えば、映画ジョーカーの物語は虚構で見なくとも沢山転がっている現実であり、私自身の闇でもある。

若い私は仕事を辞めた。一年以上何もしなかった。

自分が社会から切り離されて、心地よかった。

働き詰めた分の僅かな貯金を切り崩して、何もせずに生きていた。そして、ある日突然、何かが溢れるように腹を決めて、別の仕事で身を立てて暮らすことにした。

良くないとは思うが、最近は現実にかまけて、時折起きる悲しい出来事からは出来るだけ目を背けてしまう。自分の中に存在する小さな暗い部屋の四隅をいつまでも見つめ続けてる様で、事件について考えるほどに深く沈んでいってしまうからである。刺すのも刺されるのも私自身であり、それはいつか死ぬ日まで続く私と私の関係だからである。


社会的なセーフティネットで、助かる事は無限にあるはずだ。だけどそれだけじゃ足りないだろう。

私とは何なのか、誰なのか、ごく個人的な事のようだが、やはり己を知ることを求め、時折容赦なく見つめ続けるしかないのだろう。例えどれだけ上手くやったように見えていても、存在する限りは、無傷ではいられないものである。傷がある事と、その生々しさを自覚し続けるしかない。


死ぬまで生きているだけである。孤独でもそうでなくても。金があってもなくても。

世の中は変わる。人も変わる。選挙権があり、議論の場があっても、私が外の世界を操作する事はできないだろう。いつも大きな流れを皮膚の外に感じながら、自分の闇を自覚し、沈まぬように気をつけるしかない。

そして淡々と、自分が決めた事を続けるだけである。今生きている私は、いつかどこかで、必ず死んでしまうのだから。






※   映画と事件は別ですので、私の文章力の無さからどうぞ誤解のなき様…。もう少しまとめてから、また訂正するか別の形で書くかします。書き方が抽象的で不用意だったかもしれないと後で気がつきました。













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