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さよなら名前のない私
ルル、ルル、と、喉を鳴らす声がする。
その声は、きっと林の方から、浅い夜の僅かな明るみに混ざり、私の耳に届く。ふと顔を上げ、一体いつから鳴いていたのだろうと思う。
書き物をしていた手を止め、湯呑に残った冷えた茶を飲む。ふいに、台所の冷蔵庫の音が止まる。ずっと鳴っていたのだと気づくのは、暫く経ってからだ。しだいに雨の音が聞こえてきて、ああ、ずっと降っていたのだと思う。降り注ぐ雨の音は、私を家ごと、すっぽりと包みこみ、静かな気持ちにさせる。開いていたノートを閉じると、今日はおしまいと、呟くように思う。
夜中に目覚め、障子を開けると、無垢板の長い廊下の向こうの丸い小窓に、明かりが灯っている。彼処にたどり着くまでに私が戻ってきたらいいと思い、ゆっくりゆっくり歩いて行く。
私という乗り物と私は、離れ離れになっている。
身体と心は離れ、不思議な孤独感が押し寄せる。孤独感とは寂しさとは全く別のものだ。ああ、一人なんだと、ただ、しみじみと感じ入るだけである。快も不快も無い。目に映るものは遠く、小さな硝子瓶の中を覗き込むようだ。
時間が過ぎると、私は私の名前を思い出す。
手を動かせば手が動き、目と私が同じものを見つめ、私の乗り物に私の名前のラベルが貼られると、ああ、そうだった、この乗り物は私だったと改めて思い、私は私に乗り入り、平気な顔で床に戻り、眠ろうとする。
遠くの方であの鳥の声がしている。
ルル、ルル、と、喉を鳴らしている。
名前を知らない鳥が、鳴き続けている。
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