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『令月のピアニスト』3/13 実力がないがゆえの手詰まり

 5月の大型連休がはじまるまで五月晴れならぬ卯月晴れの勤務日がつづいたが、休みに入るととたんに雨。吸い込む空気さえ湿気を帯び、おまけに梅雨寒みたいに気温が下がったせいでベッドから離れられない。

 妻がいなくなって3週間ほど過ぎていた。台所を磨く者もいなくなり、残された1本の歯ブラシがこめかみの疼きにのせて哀愁を深めていく。フローリングの床に発生した埃の塊が、日に日に増殖していった。
 不思議なことに、思い出はどれもが具体性の一部を欠くようになっていた。掃除をする妻は表情を欠き、となりにあった妻のベッドライトのカタチが思い出せなくなっている。身を絞る苦衷(くちゅう)に耐えかね精神の保護回路が働いたのか、回路は思い出を不たしかで曖昧なものにしていく。
 だが、スイッチが入ったはずの保護回路は、いつからか機能をまっとうできなくなったように思われた。かえって安寧とはベクトルを異にする感情を刺激し際立たせ、ぼくのざらつきを増幅させているとしか考えられない。視力が落ちてモノがよく見えなくなる移行期、たとえば月の輪郭が初めてぼやけて見えたとき、抗えないものを前にした自分が悔しく、焦燥し、怒りをもって臨んでもすべてが無駄、無限の無力に打ちひしがれ、不快なざらつきだけが残る--そのざらつきととても似ていた。

 もしかしたら、ぼくはやっと悲嘆と絶望と落胆の入り口に辿り着いたのかもしれなかった。ひとりで抱え込むには大きすぎた負荷を、保護回路が一時的に散らしてくれていたと考えれば、不完全なフラッシュバックにも納得がいく。虚空のドツボに堕ちる本番はこれから? それを思うとぞっとした。

 マツは、段取りついたら「運ぶからさ」で話を結んだ。ぼくはしぶしぶ認め、運ぶときは手伝うよ、と答えていた。
 いつくるんだろう、ピアノ。
 この連休中マツは任子と「プレ新婚旅行」でハワイだし、その間隙をぬって、なんて話ではなかった。
 ピンポン。まさか、ね。
 はい、どなたですか?
 えっ、なに? マジかあ。
 おいおい、運ぶって話だったよな。
「お代はこちらになります」
 おまけに着払いかよ!

 朧な姿はエアパッキンを剥くことで輪郭を明らかにする。ローランドの電子ピアノ。
 奥行き50センチほどで腰ほどの高さは、予想していたよりもコンパクトだった。都会の住環境からすれば、ピアノで生計をたてない限り、重量面、容積面、音量調整機能面、メンテ面で有利な電子ピアノでこと足りるのだろう。
 引き換えに失うものは弦の共鳴が筐体に広がり指を伝って入り込んでくるピアノそれぞれで個性が違う〝声〟だと、たしか任子がそんなことを言っていたようだと、また聞きでうろ覚えの解説をマツから聞かされたぼくも、言われたことを理解するには経験と知識があまりに足りない。理解できたことといえば、事前にマツから聞いていた25年選手とは思えないきれいさ。濃い木目調は目立つ傷も色褪せもなく、大切にあつかわれてきたことがうかがい知れる。
 どこに設置しますか?
 ひとしきり思案して、ベッドルームにと伝えた。
 業者さん、呼吸を合わせて訝しげな顔をそろえたけれども、2LDKにはもっとふさわしい場所がほかにあるのだからしかたない。それでも他人の目線で判断された〝適所〟に惑わされる謂れはない。
「何か問題でも」と眉を吊り上げると、何事もなかった顔にすり替えプロの手際を披露しそそくさと退散していった。

 ベッドルームを選んだのは、あるべきものがなくなってバランスを大きく欠いていたし、眠りから現世に戻ったとき、となりにいた人がいなくなったこと、そこにあったモノが持ち去られたことに打ちのめされる前に、なぜそこにピアノがあるのかに神経が向くんじゃないかという浅知恵による。

 鍵盤蓋は、中央のくぼみに指をかけ、少し引き上げてから筐体に押し入れるタイプ。ぎぎっと、そこはピアノもどきの老齢なる嬌声のご愛嬌、長寿の歴史を物語っていた。黒と白の鍵盤は磨かれ光輝を放ってはいるが、さすがに使い込まれた感はいなめない。
 電源をつなぎセットで届いた椅子に腰をかけた。ペダルはふたつ。鍵盤はたくさん。78鍵と言われた気がするが、どうせ弾けないんだもの、たしかめるまでもないだろう。
 スイッチを入れ鍵盤に適当に開いた指を振りおろした。
 じゃかじゅわぁん。不協和音にとうてい届かない不快和音が巨大な騒音の火花と散った。ボリュームつまみがマックスに振られている。休日の昼どきに迷惑だったが不慮の事故だ、もうしませんと、騒音に顔をしかめたかもしれない隣人たちに手を合わせて詫びる自分を思い浮かべて赦しを乞う。
 気を取り直してボリュームを下げてピアノと対峙した。
 ドがどれかは知っている。黒鍵がふたつ並ぶ左下。真ん中あたりにあるドレミフェソラシドが基本、そんなことをテレビのクイズ番組で聞きかじっていた。となれば、これが基本のド。そこから白鍵をひとつずつ右に追っていけばドレミファソラシドだ。
 学生時代に我流ギターはかじったが、鍵盤楽器にふれるのは小学校以来のことだった。はるか昔の記憶に残るはピアニカ。笛と鍵盤楽器のあいのこで、鍵盤数も少なかった。音階は? 問題ない。たぶん。人差し指で順番に、こうして、ほらドレミファソラシドだ。逆に辿ってリズムをつければ『もろびとこぞりて』になる。
 あとは?
 ない。
 無だ。
 それしか弾けない。知識はこれしきのことで底を突く。
 ピアノがやってきた初日。それ以上進めなくなって鍵盤蓋を閉めた。

 考えてみればピアノを弾けないぼくにこんなものをと、宝の持ち腐れぶりに誰にともなく呆れてみせるが、考えるまでもなくしばらくすれば要らぬお荷物に変わることがわかりきっていた。捨てる神あれば拾う神ありで、ピアノがハンガーラックとその座を競いはじめたのはその夜からだった。

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。