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『令月のピアニスト』4/13 不覚事件が引いたトリガー

 連休が明けると、遅い出社と遅い帰宅の毎日に戻っていった。休みのあいだ何をした記憶も残っていない。テレビを観て消して、コンビニで食いもん買って食って容器を溜めて大きなゴミ袋をふたつ作り、10回眠ったらいつもの仕事に戻っていた。
 納期から逆算して組むスケジュール、バッファを確保するのはバグほか不慮の事態に備えてのこと、部署のスタッフ5人を束ねての進捗管理、仕上がったプログラムの確認作業。責任感に背筋が伸びる業務時間は救われる。だが、帰宅すると張った糸が切れ、虚脱し、きぶんが床にへたりこむ。
 まとめたゴミ袋、いつ出せばいいんだっけ? キッチンは必要最低限の調理で汚した鍋とフライパン、食器数個が連休中の怠惰を引きずっていた。

 その直後のことであった。ハワイから帰ってきたマツが連絡をよこしたのは。
「どうだ、ピアノ、少しは弾けるようになったか?」
「ふざけるな!」、兎にも角にも文句のひとつやふたつやみっつやよっつ!
「悪かったな。俺が運ぶと言ったのにアツコが業者を頼んでたみたいでさ」
 むかつくことをいけしゃあしゃあと。
「そう怒るなよ。今夜おごるからさ。おまえの都合がよければの話だけど」
「おまけに着払いとはどういう了見だ!」
 買えば数十万の電子ピアノはわかる。送料だけで済むなら安いもんだって? それはそっちの都合でぼくの知ったことじゃない。弾く気があれば容赦もするが、衣類置きと化した今、費用負担がこっちとは合点がいかない。
「ん?」とマツは聞き流したふうを装いながら苦い笑みを浮かべているのがわかる。「今夜、お・ご・る・か・ら・さ」と繰り返したあの言い方、そこには含みがある。都合が悪くなると〝間〟と〝勢い〟で流れを変えるマツの得意技。その手際と手並みは天賦のもので、仕事でも遺憾なく発揮されているその技をもってマツは手を打てと言っている。その果ての深酒だった。そして翌日の家政婦管理人に指摘された失態。

 ピアノを弾いた記憶などなかった。
 だがぼくは無意識にピアノを弾いた。
 酒の場でマツは「どうだ、ピアノ、少しは弾けるようになったか?」と再び訊いてきた。あの挑発に負けん気を刺激されたわけでもあるまいに。
 でもぼくはピアノを弾いたことになっている。
 でも、弾けないぼくがどうやって?
 何を?

 幻想世界にノウムという妖精がいる。あれも多生の縁、ひょんなことから知りあったノウムはgnomeというスペルの小人で、地中深くに眠る宝の番をする。
 何を守っているのとぼくが尋ねると、教えないと答えが返ってきたような気がした。言い方は実に素っ気なかった。ファンタジーの世界ならなんでもありなんだがな、とぼくはノウムに聞こえよがしに心で声を響かせる。そう、ファンタジーの世界なら、ぼくにもピアノが弾ける。

 ぼくがピアノを弾く--甘い夢だということはわかっている。甘い夢は甘いうちが花で、現実が入り込むと苦く辛く酸っぱいものに変わっていく。それでも、誰にも知られないのなら、甘い夢にひたっていたっていいじゃないか。鍵盤上を流麗に踊る指。演奏曲はショパンかベートーヴェン。『月光』ならスローだし、弾けないことはないんじゃないか、うかつな夢は無限に広がる。

 仕事帰りに営業している家電量販店はない。それに楽譜も仕入れておきたい。いや、勘違いしないでくれ。本気でピアノを弾こうなんておこがましいこと考えてもいないしそんな気もさらさらないよ、とぼくは誰にともなく言い訳をする。言い訳しながら、夜10時までやっているとなり駅の名曲堂楽器に帰り際に寄ろうと考えていた。

「どうしたんですか? 今日は楽しそう」
 粕賀が新しい案件の仕様書を持ってきて、耳打ちするように囁いた。
「なんだよ」
 粕賀の不意打ちに虚を衝かれ目を丸くすると、「動きが鼻歌まじり」と粕賀がからまるように言う。
「鼻歌? そんなの歌ってないぞ」、真に受けたぼくが間抜けだった。
「そんな感じがしただけですぅ」
 揶揄されたのだろうが、ぼくよりむしろ後ろ手でリズミカルに自席に戻る粕賀のほうがよっぽど楽しそうに見える。
 なんだい、粕賀のやつ。

 きりがよかったので9時に「お先に」。
 会社から名曲堂楽器まで歩いて15分。閉店まで時間はないが、目的買いだからことは足りる。
 名曲堂楽器はもともとレコード店が時代の潮流に乗って楽器店に移行した店で、かつてはオーディオ類が充実していた。今はスペースの関係で大型オーディオは姿を消したが(今後売れることはないと踏んでメーカーに返送したのか?)、ヘッドフォンなどの小物は健在だった。
 ヘッドフォンと言えば一過言ある。父はゼンハイザーに心酔し、ぼくはボーズに憧れた。現代は「ビーツがフリークに人気」と聞いてショックを受けた。かつての名機が並んでいないことに気落ちしたのではない。時代に取り残された感が手痛い仕打ちと重なってぼくの神経を逆なでしたのだ。ぼくはここでも取り残されている。
 対応してくれたのは、70歳前後、白髪をうしろで束ねた痩せた老人だった。「これなんかはいかがです?」と勧めてくれたのがオーディオテクニカのヘッドフォンだった。「値段も手ごろで、今も現役で人気です」。
「ピアノの楽譜もほしいんですが」、落ちた肩から絞り出すような声で訊くと、ジャンルとレベルを尋ねられた。
 レベルってぼくのピアノのレベル? そんなもの無い。考えたことさえない。無知のうちは自分を無知とは思わない。恥辱を受けて初めて知らなかったことに恐れ入る。そしてそのことに気づかされた今、訊いた自分が愚かだと恥じ入った。これではレストランで漠然と「料理をください」と注文するようなものだ。困惑顔を浮かべた様子から実力を推し測られたのだろう「これからはじめられるなら弾きたい曲を選ぶといいですよ」。見透かされた。
 造詣の深そうな導き方、物事を的確に捉える鋭さ、人の気持ちを踏みにじらない紳士的ふるまい、やわらかな物腰。オーナーなんだろうなと漠然と考えているぼくを、遠くから冷ややかに嘲笑しているぼくがいた。そんなこともわからないのか、と遠くのぼくが無知のぼくを罵る。そんなだから、と遠くのぼくがつづけたのを、こっち側のぼくが「うるさい」とさえぎった。「去った妻の真意など、ぼくが知るわけないじゃないか」。
 弾きたい曲など思いつくはずもなかった。それでも、少し前に夢見た演奏曲がある。「月光、ですかねえ」と砂漠に砂を撒くように言うと、迷うことなくピアノピースを1冊棚から取り出した。

『ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2【幻想曲風ソナタ】』

「弾きたいのは第1楽章ですか?」と訊かれたが、それさえ知らないぼくは「はあ」とピントが合わない。楽譜を開くと、聴いて知っているはずの曲は無音で紙に張りついている記号でしかなかった。わかってはいたのだけれども、途切れなくつづく音符は、成し遂げるのに大儀な偉業のようにぼくにのしかかってくる。
 本当にこれを弾けるようになるのか。ページをめくってもまだつづきがある。再びページをめくると、道のりの長さに血の気が引いていくのがわかった。
「あの、これからピアノはじめるんですけど」とぼくは正直に打ち明けた。
 背伸びをしてもピアノは弾けない。知ったかぶりをして混乱の深みでのたうちまわる前の事前策。だから「もっとこう、がらんとしているというか、音符の少ない曲がいいんですけど」と率直に言ったらオーナーらしき老人、一瞬かたまり、直後に大笑いされてしまった。
「いや、失礼。無謀だとは思いませんが順を追って弾かれるのもいいですよ。海外には探り引きでみごとな演奏をこなすピアニストもたくさんいますし。千里の道の克服も夢ではありません。それでもやっぱり一歩からはじめることです」

 結局『月光』はあきらめ、ジョン・レノン初級版、ジブリの楽譜をオーバーイヤーのオーディオテクニカに添えて会計してもらった。少なくともこれで近所に迷惑をかけることはなくなった。問題は演奏の第一歩を踏み出せるかどうか。いや、踏み出す必要もなかった。夜中の気まぐれで隣家に迷惑をかけないこと。これこそが買い物におけるいちばんの目的であった。ところが名曲堂楽器でぼくは、あの老人に背中を押されてしまった。オーナーらしき人の、『イマジン』から弾かれるといいと思います、というアドバイス。ギターをやっておられたなら、コードは理解しているでしょう? なら、ギターを思い出しながら弾くと、すっと入っていけますよ。
 ほんとかな?
 疑問は拭えなかったが、心は動いた。弾いてみよう、と。

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。