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パーカーが6万円もしたのでファッション産業について知ろうと思った

ファッション文化がこんなにも、社会との関係性が深いものだとは知らなかった。

成実弘至氏著「20世紀ファッション時代をつくった10人」を読んだ。

きっかけは、欲しいと思ったパーカーが6万円もしたからだ。

綿100%なのに。よくあるトレーナー生地なのに。ユニクロなら2,990円で買えるのに。そう思って試着室でフリーズしながら、自分の衣服の価値の解釈は果たして正しいのだろうかということに思い当たった。質の良い生地を使っているとか、手の込んだ縫製がなされているとか、目に見える付加価値まではなんとか理解する。しかし、デザイン性の素晴らしさとかブランドが付与している価値という部分は、自分の好き嫌い以外、正直よくわからない。

衣服は、毎日身に着けるものだし、一生のうちにかかるコストもそれなりだ。その「衣」に関してこんなに無知でよいものか。生活の知識として、ファッションという産業は理解しておかなければいけないんじゃなかろうか、と思い手にしたのが、今回の書籍だった。

本書「20世紀ファッション時代をつくった10人」が取り上げるのは、タイトル通り、20世紀のファッション文化に大きな影響を与えた10人のファッションデザイナーたち。その創造性からファッション文化の変遷を辿ることができる。この変遷は、各々のデザイナーの偉業だけではなく、社会情勢・経済・芸術文化とも密接に関わり、かつ10人が関与し合いながら連なっているため、要約して紹介することが難しい。

でも読んでみて個人的に大きく誤解していたことに気づき認識を改めたのは、ファッションとは単なる流行を伴う自己表現ではない、ということと、ファッションはアートでもない、ということだった。

思えばそもそも衣服は現実世界を生きる人間の実用品でもあり、元来社会と切り離すことはできないものだ。歴代のファッションデザイナーたちも、それぞれ形は違えど社会と真っ向から向き合い、その創造物は往々にして当時の常識を覆すようなメッセージの発信源となっていた。

そしてそれを踏まえると、それらを選んで纏う消費者としての私たちは、何らかの社会へのメッセージを受け取りそれを発信する媒体(メディア)なのではないかと思えてきた。

現代のすべての衣服が、社会に対するメッセージを帯同したものだとは思わない。ハイファッションもマスファッションも、ビジネスを最優先に構築されているものが多いと感じる。

でも、自分がクローゼットから手にした1枚の服や、ショップで購入した1枚の服が、社会へのメッセージの一端を担っている、と思うと少しわくわくする。これらの集積が社会現象となり時代をつくるのだと思うとぞくぞくする。逆に、自分の選択の重みや責任みたいなものを、感じ始めてもいる。

6万円のパーカーの価値は未だに解明できていない。

でも、衣服の創作に込められた意図を汲み、その媒体として加担するかどうか、という視点は、今後着るもの買うものを選ぶときに持ち続けようと思う。



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