私たちは常に希望を抱いている
人は、常に希望を抱いている。
文章にすると使い古された常套句みたいに見えるのだけれど、改めて、真実なんじゃないかと思う。
なぜ人は、物を買うのか。
快適な生活のため。健康のため。家族のため。
なぜ人は、諍いを起こすのか。
相手が間違っていると考えるから。理解してほしいから。負けたくないから。
なぜ子供を叱るのか。
躾のため。常識を身に着けさせるため。人に迷惑をかけないため。
なぜ人は、反省するのか。
二度とみじめな思いをしないため。迷惑をかけた周囲に申し訳ないと思う気持ちから。
事象によって目的は様々なのだが、どの場合も共通するのは、希望があるから、だと思う。
例えば、それを手に入れれば快適な生活をつくりだせると信じているから。
相手と話せば分かり合えると信じているから。
我が子が一人前の人間になれることを信じているから。
自分は失敗を経験に変えることができるのだとと信じているから。
人は、描いた未来が叶うと信じているから行動する。
欲求や期待の前に、希望が存在する(なぜなら希望のないところには欲求も期待も抱かないから)。
当たり前のようだけれど、日常で、自分が希望を抱いていることそのものを意識することが何回あるだろうか。目的や目標を意識することはままあるが、希望を持っているということは意識しないまま、いつのまにか信じることを忘れてしまってはいないだろうか。
私たちの行動の前には、常に希望がある。何かに向かって行動を起こそうとした時点で、私たちはそれが叶う可能性を信じている。この前提を意識するだけで、先が見えないまま続けている努力が少しだけ苦でなくなり、相手に向ける言葉の選び方が少しだけ変わる気がする。
逆に、希望をそんなに感じていない行動ならやめてもよいのかもしれない。もしくは別のいいやり方があるのかもしれない。刹那的な欲求や責任感だけでも私たちは行動を起こしてしまえる。
意志を込めた行動は、常に希望と共にある。そう捉えると、世界がワントーン明るくなる気がする。