唯一無二はないかもしれない
算命学の先生によく指摘される私の癖。
「占技をミックスジュースにしないこと」
算命学は、足し算と言われるので、様々な占技を重ねて重ねてじっくり命式に向き合っていきます。
この占技が一番優れているとか、そういったことは一切ないのです。
どの占技も素晴らしいので。
単純に私の思考の癖で、どの要素が一番影響を及ぼしているのだろうか、優劣をつけようとしてしまい、”これが一番”という原因を見つけてしまおうとするのです。
無意識の癖なので、考えている時に頭の中でミックスジュースになってしまっているようです。
「これはこれ、それはそれと考えなさい」
とよく言われます。
もう記憶がないくらいに昔から、こうしたらこうなったという原因をずっと考えてきたせいだと思います。
根本まで辿り着かないと気が済まない。徹底的にやってしまう。
絶対に唯一のものがあるはずだと思って生きてきました。
その唯一というのは、どこまでいっても複合的な一つなのだと最近気付いたのです。
人間というものでさえ、ものすごい数の細胞から作られた一つ。
大きい視点で見たら一つだけれど、それは一つであって一つではない。
一つは、複数と表裏一体なのだと、本質的にようやく肚落ちしたのです。
唯一の中には、いくつもの数が存在して、その数の質には優劣がない。なぜなら、その質は役目や役割や成分や性能などがそれぞれ違うので比較することができないから。
「オンリーワンになりなさい」というのは、比較されないその質になれという教育だったのか、比較されることはないけれど、オンリーワンもまた何かの中にある一つ。
どこまでいったって、一つは複数なのです。
そんなことに、ようやく気付くなんて。
私は、何のオンリーワンで、何の複数なんだろう。
自分が選ぶオンリーワンの答えは、何を集めた複数形なんだろう。
私が選び取ってきた複数形の選択は、どの道につながるオンリーワンなのだろう。
私が何かを体現するために、選び取ってきた複数があるのだろうけれど、私でしか見えない何かを、私でしか選べないオンリーワンを進んでいくために出来事が起こるのかもしれないと思います。
何が正しいとか、これが優れているとかではなく、自分の認識できる複数形によって作られた世界で判断しないで、
でも時にはその自分の世界で答えを出して、
自分を通して見える世界を大切にしながら私を生きていけたらと思います。
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