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見えてる世界が違うお話

それぞれの認識で、それぞれ暮らしている世界があって、
それぞれの価値観で、同じ世界で生きているように見えるだけで、
明らかに違う世界が存在する。

玉石混淆の状態、といえばいいだろうか。

同じように、言葉を交わしていても、
全く世界が違う、
見ているもの、見えているものが違う、
そんなことがくっきりと明確になる出来事があった。

自分の生きている世界を構築していくのは、
間違いなくまずは精神性だと思っている。

どのように在りたいか、というのを常々考えているのだけれど、
わたしの中では、まっすぐな思いでありたいというのが自分の中心に必ず存在する。

それは、自分が感じるものよりも尊い思いであり、
その思いというのは、自分だけにとどまらず、
ありとあらゆる生命体にとっての希望となるものだと感じているので、
それをただ、私という存在を通して表現するだけと思っている。

それが、自分の価値とは違う、
その突き抜ける思いに突き動かされて生きている。

その思いを私は、一生以上かけて繋いでいくものだと思っているので、
その思いから逸れてしまっては生きている意味がない。

だから、その思いというものに見合う、
いや、見合うなんておこがましい。
そこに少しでも追いつけるよう、自分に対して切磋琢磨し、
凛として在らねばならないと常に思うのだ。

だからこそ、見えている世界が違う、
生きている世界が違う、
そこに留まってはいけない。

自我を介入させない。

純粋な思いで常にあるように生きていきたい、
そう願ってやまないのだ。

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