全てを潰す歌声をしている件

 歌うことが好きだ。周りの空気をありったけ吸い込んで、たまったものをひと思いに解き放つ快感。心躍る音楽と一つになれる喜び。歌うことは私にとって、生きる楽しみの一つと言っても過言ではない。週に1度はカラオケに行き、大好きなMISIAやSuperflyの曲を思う存分歌っている。一人で。
 そう、一人で歌っている。聞く人は誰もいない。まれに誰かいるが、10回行けば9回は一人で歌っている。なぜなのか。それは、私の歌声に破壊性が伴っているからである。

 歌うことの楽しさに気付いた高校時代、私は時折友人とカラオケに行くようになった。最初は大して面白くなかったのだが、好きなアーティストが自分のなかで固まって以来歌うことが大好きになった。すると、眠れる獅子が目覚めてしまった。2,3度聞いたことがある曲であれば、初めて歌う曲でも90点以上を出せるようになったのである。これといった特技を持ち合わせていなかった私は調子に乗り、歌うことでクラスメイトにマウントを取れるのではないかと野心を燃やした。しかし歌が上手い同級生は何人かいる。普通に上手いだけでは埋もれてしまう。そこで私は考えた。
「何かとびぬけた持ち味があれば…」

 その結果、元々あるものを活かせばよいという結論に至り、果てしなく声が通ることをそのまま歌にも活かしてしまった。その結果、非常に協調性の無い破壊光線のような歌声が爆誕した。生まれ出た現場は、音楽のテストである。3人で課題曲を歌うというテストだったのだが、テストが始まってすぐに、周囲はその惨劇に身を震わせた。私の大砲のごときアルトボイスがパートナーの小鳥のさえずりのような歌声を容赦なく打ち落としていくからである。心がアルミ缶のように潰されて天と地をさまよいながら歌い続けるパートナー、それを憐みの表情で見つめるクラスメイト、苦笑いの先生。私は歌声で危うく人を殺しかけたのである。しかし私は歌のボリュームを落とすという考えに至らなかった。歌っているときの快感が忘れられなかったからだ。こうして私は、歌声で人を破壊する怪獣になった。合唱のときにはパートとパートの境目に配置され、私の隣には頑固な性格の同級生が来た。
友人とカラオケに行けば、ライブの爆音に例えられ、ときにはこっそりマイクの音量を下げられた。こんなことが数度も続けば私もさすがに気にするようになった。しかし、大学時代に一人カラオケというものを友人に教わって私はようやく心置きなく破壊光線打ちっぱなしに興じるようになった。

 歌うことは好きだ。そして、一人で歌う方が好きだ。気楽だからというよりも、誰も犠牲にならずに済む。こんなに平和なことは無い。ただ、時々、響き渡る歌声のなかで、心がスッと、滲みるように痛い。

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