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伝えたかった言葉 欲しかった言葉

1月13日 心筋梗塞 入院14日目
 
 昼食を食べ終えた午後、歯を磨きに洗面所に行くと、鏡の前に初老の女性が、呆然とした様子で座っていた。私は、少し迷ったけれど、小さい声で「こんにちは」と言ってみた。女性が「あぁ…」と気づき、鏡越しに私を見て、かすれた息のような声で言った。「入院して以来、初めて鏡を見たらショックで…」
 
 その言葉の重さがよくわかったので、涙が出そうになった。私も、立ち上がって歩く許可が出た日、初めて洗面所まで来て、座って鏡を見た時に驚いた。顔色がミカンの皮を剥いた手のような薄黄緑色で、頬がこけていて、肌がボロボロに剥がれ、髪の毛が束になり固まってしまっていた。
 
 そう、健康な状態で入院した訳ではないから。そして、このフロアにいる心筋梗塞の患者たちは皆、命の危機のあの痛みの日から、手術を経て、やっとここまで来ている。ボロボロの体は、その戦いの跡なんだ。
 そんなことが、一瞬で頭に思い浮かんだ。でも、私がとっさに言えたのは「大丈夫ですよ」だけだった。そして、少し間をおいて「これから、元に戻っていけるんだから、ね」と、泣きそうになるのを飲み込みながらやっと言えた。
 
 その女性は少し考えこむようにしてから、「そうかしら…」
 「うん、大丈夫」「あのね、頼めばこの洗面台で、髪、洗えますよ。自分で難しければ、看護師さんが洗ってくれるし」「シャンプーも、濡れないようにケープも貸してくれるからね。髪、洗ってみたら?」
 「どうやらね、この病院、自分から言わないとダメみたいですよ。だから、看護師さんに言った方がいいですよ。しばらくしたら、「シャワーも浴びたい」って言ってみて。あの扉の向こう、シャワー室なんですよ。石鹸の匂い、するでしょ?」
 
 その女性はやっと少し柔らかい表情になった。そして、いとおしそうに自分の髪に指先で触れながら言った。「仏様に出会ったみたい…、あなた…仏様……?」
「いえいえ、私もおんなじですよ。みんなちゃんと良くなっていくんだから、ね。大丈夫ですよ」
 
 そう、みんな初めての出来事だから、これから自分がどうなっていくのかわからない。見通しのない時間の中で、今を確かなものと感じられないんだ。

きっと、私自身がずっと欲しかった言葉なんだろうな。
「大丈夫」って。

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文・写真:Ⓒ青海 陽

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