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矢野顕子コンサート NHKホール

中学の頃からあまりにもずっと聴き続けていたから、矢野顕子はごく身近な知人のように思っていた。でも本当は会ったことがないと気づいた。

彼女は今、60代くらいか。元気なうちに会いに行かなくちゃと思った。何度か抽選に外れながら、やっとチケットが取れた。まだ歌い続けていてくれていて、本当によかった。

2019年12月8 日NHKホール、代々木公園の遊歩道の街路樹は、まぶしいくらいのクリスマスイルミネーションで飾られていた。

実際に会うと、矢野顕子は天才を通り越して、「神さま」のような存在だった。Coccoといい、特別な存在の人って、この世の中にいるんだと思う。

息をするように歌い、ピアノを声のように奏でていた。柔和ですべてを受け容れるような存在感。やわらかく気持ちのせることができる声。そう、いままでライブ音源でわからなかった彼女の声の揺れは、全身で、豊かな表情で、思いを歌にのせて奏でているゆらぎだったのだ。

広いホールの2階席の20列目と、ずいぶんと高いところだったが、おかけで鍵盤の上を波打つように流れる矢野顕子の手を見ることができた。


「今回は新譜が出ていないので、古い親しみのある曲をアレンジして、好きなように選曲した」とのことだった。聴きに来ている人は、50代後半から60代前半が多かった。かつての矢野顕子やYMOの世代なのだろう。

そして演者は、この間見に行った尾崎亜美のバックにも参加していたベースの小原礼(尾崎亜美の夫)を始めとするティンパン・アレーや、サディスティック・ミカ・バンド等の世代。演奏は日本でもトップレベル。安定感があり、ジャズのようなグルーブ感。ギターの佐橋佳幸は、渡辺美里がデビューした頃にバックバンドでギターを弾いていた。鬼束ちひろがデビューした頃にピアノを弾いていた羽毛田丈史などのように、かつての若い世代は、年齢と経験を重ねて日本でも有数のミュージシャンになっているのだった。

サプライズ・ゲストが小田和正だったのもすごいことだった。彼はボソボソとしゃべり、2曲だけ歌って帰っていった。1曲目の「中央線」で時間が止まったよう。凛とした空気になった。


私の一番好きな「GREEN FIELDS」は終わりから2番目、彼女も大切にしている曲。そして、最後は「ひとつだけ」だった。

私はGREEN FIELDSで涙が出てきた。嗚咽に近い涙だった。泣きながら涙の理由を考えていていた。

生きていること、ここで輝きを見ている至福、かつてそれらの歌を聴いていた自分への愛しさが一度に押し寄せてくる気持ちの波。

懐かしいという感覚ではなく、必死にもがいてきたかつての自分を大切に思い、頭を撫でてあげたいような気持ち。


あの頃から、長い時間を重ねてきてしまったな。
でも長い時間があったから、私の中に彼女の歌が響く。


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文:Ⓒ青海 陽 2019
写真:ⒸAkikoYano_official

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