見出し画像

矢野顕子リサイタル|鎌倉芸術館 2019.12.19

この年の12月、二つの矢野顕子のコンサートに行きました。こちらは、前回に引き続き二つ目の、小さい会場での、ピアノ伴奏だけのソロリサイタルでした。

このホールは、安藤裕子のコンサートで一度来たことがことがあります。ホールは私が生まれた(と聞いている)病院のとなりにあります。
そして、ホールがある町には、私のおばあちゃんの家があります。今はその家にはいとこのお姉ちゃんが住んでいます。

夏休み、おばあちゃんの家には、駅から山の際に添って曲がりくねった灼熱の道を、とぼとぼと歩いて行きました。

母はおばあちゃんの家に私を置いて帰り、私だけが夏休みの間ずっと泊まっていた年もありました。それから、毎年秋には、小さな神社のお祭りに合わせて泊りに行っていました。この町には、そんな小さい頃の思い出の風景があちこちにあります。

矢野顕子の歌は、十日ほど前にもNHKホールに聴きに行きました。その時は大ホールでフルバンドでした。今回は小ホールで、本人が自分でピアノを弾きながら歌っていました。

前回はバンドとの演奏だったので目立たちませんでしたが、彼女のピアノソロの演奏は、音の響きの波に浸かっているような感覚になりました。彼女の作る空気に包まれていました。

ステージの上で、シンプルなライトに明るく浮かび上がっているピアノと、彼女が歌っている光景は、夢の中にいるようでした。夢のように感じるのは、中学の頃から何百回も聴いてきたメロディと声が、今、目の前で、本物の矢野顕子によって奏でられているからでした。時間を飛び越えて同じ体験をしている感覚です。現実がすべてどこかに飛んで見えなくなり、感覚だけに没頭する体験をはじめてしました。


彼女が元気に歌い続けている間に、会えてほんとうによかった。
今までのありがとうを、アンケートの紙に書きました。

これで今年の一連のコンサートは終わりです。
幸せな時間を過ごせた大満足な年末でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
文:©青海 陽 2019
写真:Ⓒ山田照明株式会社

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀