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病を抱えた時「わたし記録」のすすめ/自分の心を抱きしめてあげるために


 こんにちは。膠原病で、心筋梗塞サバイバーの、青海 陽です。今回は、「病気を抱えた時に書くことの意味と効用」について考えてみたいと思います。
 私たちは、病気をきっかけにして、あらゆることが一変します。できたことができなくなったり、大切な機会を失ったり、人間関係が大きく変化したり…。
 そんな時に、少しずつでもいいから、症状のこと、辛さ、治療のこと、生活などを書き残しておいた方がいい、これが、今回、私から皆さんにお伝えしたいことです。

  私は、これまでずっと、特に目的を意識することもなく、自分の記録を書いてきました。これが、思いのほか意味があるということが、後でわかってきました。
 書く場所が、紙であってもブログであってもSNSでも構わないと思います。また、内容が走り書きでも、日記でも、手紙でも、ツイートでもいいと思います。
 それらを、ここではまとめて「わたし記録」と呼びます。ぜひ、「わたし記録」を書いてみてください。


  1.私の「わたし記録」

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 (1)闘病記といっても…

 私が膠原病を発症したのは、12年くらい前のことです。たまたま私は、膠原病の最初の発症からずっと、その様子を書きとめてきました。最近、それをブログにまとめて、公開したのが「よるくまの膠原病・心筋梗塞闘病記」です。

  私はもともと、誰かに公開する前提では、この記録を書いてきませんでした。まして、病気に立ち向かうような「闘病記」として書いている訳でもありません。そう、いわゆる普通の日記です。(※ブログをあえて「闘病記」と名づけたのは、「同じ病気を抱えるようになって間もない人が、情報を探す時に、見つけやすいから」という理由です。)

  最初の発症からすでに12年以上経った今となっては、「病気と闘っている」という感覚は私の中では違っています。それで、今回も「わたし記録」と呼ぶことにしました。

  病気になる10年くらい前から、私はネット上の一般公開していないサイトに、日記を書いていました。そんな私に突然、「病気」がやってきました。それで、結果として日記に病気のことを書くことになった。これが私の「わたし記録」が始まった経緯です。

 (2)書いていたこと

 私は、最初の体の違和感から、入院を経て病名が明らかになるまでに、3ヵ月以上かかりました。その間、あちこちの病院での検査と「異常なし」を繰り返していました。原因がわからないまま病状はどんどん悪化、しびれは足先から腰、お腹まで上がり、入院前には自力で立っていられない状態になっていました。そして、足の感覚がないために、常に浮遊感と吐き気がありました。

  そんな中で私は、体の様子や不快感、病院での検査のこと、病気が進む怖さや悲しみ、、自分を奮い立たせようとする言葉などを、辛うじてキーボードで、ネット上のページに打ち込んでいました。パソコンの明るいモニターを見ることさえも辛かったのですが、はけ口のように自分の様子を書き続けていました。    


2.なぜ書いていたのか

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 これらの日記は、改めて読み返してみると、いくつかの特徴があるように思いました。

  🍀 体調が辛いのに、かなり細く書き残している
  🍀 他人事のように、冷めた目線で書いていることがある

 そして、自分のことながらわからなかったこと。それは、

  🍀 なぜ、こんなに書いているのか…?

 私はなぜ書いていたのでしょうか。
 私たちは病気を抱えた時、どうして書くのでしょうか。

 どうして、書くのか?

 (1)てむたむさんの場合

 作業療法士であり、ご自身がネフローゼ症候群でもあるてむたむさん。とても丁寧に病状の経過や生活の工夫を書いて、それをブログで公開しています。

 てむたむさんが2019年10月に書いた記事、『闘病記を書く意味・意義について』の中で、ご自身がブログに書き始めた理由を、次のように書いています。

 以下、『闘病記を書く意味・意義について、ニャンちゅうの声優の津久井教生さんのブログを見て感じたこと。|てむたむ』 より引用

・自分の悩みや、つらいことを書きだして、自分のこころを癒したかった
・「生と死」を強く意識させられた体験を、残しておきたかった(自分史としての意味)
・同じ病気の人へのメッセージとしての意味
・ナラティブとして残しておくことで、後々何かの役に立つのではないかという意味

 てむたむさんのすごいところは、その後の時間の経過を見通せているかのように、のちの自分にも役に立つようにまとめて、その時々の様子を書き残していることです。

 このあたりが、多くの人の病状を見て支援してこられた専門職としての視点なのかもしれません。

  そして、このブログの中では、ご自身のブログを公開する動機が、とてもきめ細かな優しいことばで書かかれています。ぜひ読んでみてください。


(2)私の場合


 ①わけがわからなくなった時に書くらしい

 さて、私の日記です。改めて読んでみると…

 病気になるずっと前から、どうやら私は、困った時や迷った時にたくさん書いているようです。「困った…」と書きっぱなしにして、次々書き続けています。誰に宛てるともなく、「困った」と書き続けています。楽しかったことなどは、あまり書いていないのです。

  その時の目線は、周囲を何度も見回して、状況を見極めようとしているようです。

 突然病院という部屋に監禁されたかのように。自分に何が起きていて、ここはどこなのかを、耳をすまして、じっと見て見きわめようとしている、そんな感じです。

 そんなことを思いながらあらためて、先ほどのてむたむさんの文章を読んでみました。

 記事では足立智孝氏(亀田医療大学教授)の論文『患者はなぜ語るのか─闘病記の利他性に注目して ─』1)が紹介されています。その中に、自らがガンになった体験を書いたエッセイスト岸本葉子さんの次のような言葉が引用されています。

 言葉にすることで気持ちの整理ができ、治癒効果が期待できる。病気になった時の不安を心の中に抱えているままの状態では、不安の正体が漠然としているが文章にすることで、不安の種類や優先順位が判明し立ち向かう用意ができる。

  「不安の中身が明らかになることで、立ち向かう用意ができる」。病気を抱えた時の心構えのような言葉ですね。 

🍀 書くことは、不安の中身を明らかにすることなのかもしれません。

 

状況を客観的にとらようとしているらしい。

 再び私の日記です。

 もうひとつ、(自分のことながら)面白いのは、誰かに宛てているかのように書くことです。

 だから、つぶやきなのに説明的です。手紙を書くように、相手にわかるような状況説明の言葉がよく登場します。状況がある程度くわしく書き残されているのは、このような理由によるもののようです。

  初めての入院中の前半は、この「誰かに宛てて書く」という傾向が強く、公開する予定がまったくないのに、『びょういんつうしん』を発行しています。 
 入院中の後半は、(これは本当に読んでもらうためでしたが)看護師に向けて日記を公開しています。

 私は、
🍀人に伝えることで自分を何とかしようとしているのかもしれません。

 当時は、病院内では、今のようなインターネット環境につながることはできませんでした。

 だから、ノートに向かったのかもしれません。今ならTwitterかブログが、誰かに伝えたいという気持ちを満たすことができるかもしれませんね。

 医師であり日本福祉大学教授であった野中猛氏の論文『障害論から見たわが国におけるリカバリー論の展開』2) に次のような一節がありました。

現代の医学制度は個人経験を無視して、生理的な数値などで構築された”疾患”とみなす。人は患者になり、症例となり、操作の対象となっている。だからこそ、個別的な語りや物語を取り戻す必要がある。「患者は自らが病いの語り手となることを通して、はじめて自らの身体および声を取り戻し、病いを自らの人生の中に位置づけることができる」(中井孝章)し、あるいは自分の物語こそ自己である。

   確かに、私は書くことを通して、病人ではなく、私を取り戻している感じがしていました。

 誰かに見ていてもらえることで、自分がここに確かに存在していると感じていました。

 🍀私たちは、私を取り戻し、自分を確かめるために、語ろうとするのかもしれません。

  

3.書いたものが役に立った場面 

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 ここまでは、病気を抱えた時の気持ちのことを中心に書いてきました。
 これとは別に、診断、治療の流れの中でも、書いた物が役に立つ場面がありました。少し詳しく書いてみます。

治療の流れの中で

①ドクターの診断材料になった

 体調が悪くなり病院に行くと必ず、「いつ頃から」「どんな症状がありましたか」と聞かれますよね。私は入院した時、この質問に答えられませんでした。
 というのも、症状が出てから約3ヵ月が既に経っていました。その間、ただひたすら苦しみ続けて、重い身体を引きずって、自分の身体についての答えをくれる人を探して、歩き回っていました。
 それは、あまりにも辛く激しい体験に揉まれる毎日だったので、日々精一杯で、記憶は混乱していました。
 検査を受けていた病院が、すぐに原因を突き止めて答えを出してくれると信じていたから、こんなに長引くと思っていなかったから。どれくらいの間足がしびれているかを振り返る必要があるなんて、考えもしなかったのです。

  だから、「しびれは右から?左から?」「何日で膝まで上がった?」「何日で腰まで?」「症状の波は?」「その間熱を出したようなことはなかった?」等と、ドクターから聞かれても、「よく覚えていません…」と答えるしかありませんでした。

  入院してからも、ドクターが、何度も同じことを訊きにベッドサイドに来ました。というのも、病気の進行の仕方が、病名の特定や進行をつかむのに、どうしても必要な情報なのだそうです。

 「落ち着いて。ゆっくりでいいから、思い出してメモ用紙に書き出してみて下さい」と言われました。そんなこと言われたって…。

  ベッド上に重い体を横たえて、その頃使っていたガラケーの携帯電話で、親しい友達に入院した愚痴メールを送っていたところ、友達から言われました。「何ヶ月かの間に送ってきた「調子が悪い」っていうメール、全部転送しようかー?それと、ネットに日記書いているんじゃなかったっけ?」。

  「ああ…そうだった…」。当時、インターネットはPCでつながるもので、携帯からのアクセスは一般的ではありませんでした。接続できなくはなかったのですが、文字数、通信速度、そして何よりも莫大なパケット料がかかりました。それで、その友人に手伝ってもらい、症状が書かれている主だった日記をメールに転記して、送ってもらいました。

  この結果、見事にできあがった手書きの表が、『病状の経過一覧表』でした。体の部位を横軸に、時間の経過を縦軸にした表には、きれいに私のマヒの進行が現れていました。

  最初の足先から始まった違和感から、しびれの広がり、しびれが右に始まり上半身に上がり、右のしびれが少し弱くなったころに左の足先から、しびれが上に広がってきた様子。
 また、夜中に眠れなくて、自室で泣きながら机の前に座って目を閉じた時の足の感覚。

 これらが、まさに私の病気の本態症状であり、ドクターが欲しかった情報なのでした。

  私が初めての大きな病気になるまで、知らなかったこと、それは、

 🍀書き残していたことが医師の診断の大切な材料になる

 

②部位の特定

 この表を元にして、体中を針でつつかれたり筆でなでられたり熱いタオルを当てられたりしながら、全身のマヒの分布図が作られました。そこから、おおよその壊れている神経部位が推察され、ターゲットを絞った数時間にわたる精密な筋電図検査やMRIが何度も繰り返されました。
 その結果、まず損傷を受けている部位が特定され、そこから、可能性のある疾病を順に検討して検査し、結果により消去していく方法で、病名の特定が進んで行きました。

  最終的に、数少ない症例である「シェーグレン症候群による脊髄の後根神経節炎」に絞り込まれ、口唇切開による生体組織検査によって病名が確定されました。

 

③回復状況を測るものさしに

 その後、ステロイドパルス療法が行われましたが、その効果はなかなか現れませんでした。

 その時に、医師に言われたのは、「概ね神経損傷の病状は、先に傷んだ方から回復が始まることが多い。だから、左の回復が先に進む可能性が高いので、それを気をつけて意識していてほしい。少しの変化でも、覚えていて伝えてください」と。

  こんどは、「いつ」「どんな変化があったか」を覚えていて、ドクターに説明しなければならなくなりました。

 けれども…、
 病院生活は初めてのことばかりです。そして、毎日の生活に、戸惑いながらも適応していく必要があります。一方、普通の社会生活と違って、全部が病院内でのできごとなので、変化が少ない。だから、毎日のできごとを正確に覚えているのは難しいのです。造影剤を入れて何だかものものしいロボットアームの機械で顔面をスキャンされたのはいつだっけ?今回のパルスは何クール目で、今日は入院何日目?とか…

  まっ白の部屋の中では、とにかく覚えていられない…。

 それは、無人島に漂着した人が日付を刻む感覚に似ているのかもしれません。

 🍀覚えていなくていいように、書き止めよう。

  こんな安心のためにも、私は再び書き始めました。

 書くことで、「忘れていい」と思えるようになり、目の前のことに集中できるようになりました。

 

 4.新しい一歩とリハビリに向けて 

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 診断名がついて、やっと治療やリハビリが始まります。
 変化した体での暮らしは、ここから始まります。

 この時に、私は、患者としてのある気持ちの動きを体験しました。
 医療的には言われないことですが、心理面を含めたリハビリでは、大切なことのように感じるため、書いておきます。

 (1)自分の居場所と時間を確かめる

 人間は、あまりにも激しい体験をすると、自分が今いる場所や時間の感覚を見失うことがあるのだと思います。私の場合、心筋梗塞で救急搬送され、手術を受けたのち数日をCCUで過ごし一般病棟に移る時が、そのような状態でした。

 時間感覚が、それ以前の社会生活とは完全に途切れてしまっていました。

 自分がどこにいるのか、病院の何階にいたのかさえも分かりませんでした。目隠しをされてどこかに運ばれてきて、長い時間を過ごして、目隠しを外された感覚。

 初めてこの世に生まれ立ったような不安感。
    初めて感じるような、空気の匂いや温度。

  私は、生まれ変わったように、もう一度ひとつずつを見つめて、確かめる必要がありました。

 🍀自分が今いる場所と時間を確かめて、再び生き始めるために、書く必要がある。

  (2)前に進んでいる自分を確かめるために

 激しい痛みで吐いたこと、 薬の副作用で気持ちが底まで落ちたこと、治療効果がまったく出ずに希望を失ったこと、怖くて夜中に一人で泣いたこと、最初に3歩 歩けた日のこと、初めて一人でシャワーを浴びることができたこと…。

 それらは通過点に過ぎなくて、どんどん忘れていくことです。前を見ているしかないから、忘れていっていいのだとも思います。でも、時に、まったく前に進めなくなることも、後戻りすることもあります。

 振り返った時に、自分の足あとが残っていたら、たどってきた何年もの時間が記録されていたら、今、自分がここにいることの証明になるような気がします。

 🍀書き残すことが、自分の存在証明となり、未来の自分を救うような気がします。

 (3)誰かに伝えたくて

 誰かに書き残すことを強く意識したのは、心筋梗塞の時でした。手術の時、手術後のCCU、治療を続けるために一般病棟に移ってからも、常に心拍に異常があり、ずっと命は危険にさらされていました。自分で予期せず、突然命が終わりになるのかもしれない、とはっきりと感じていました。残される人に伝えたいことがある、そう思って書いたのは、この時が初めてでした。

  母に、残される家族に、幼くて記憶に残らないであろう子どもの未来に、伝えたいことがありました。

  🍀誰かに伝えたくて書く。

  5.何に、どうやって書くか

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 最後に、何に書くかについて、少しだけ触れます。

  自分の記録である「わたし記録」は、何に書いてもいいと思います。
 これまでお話してきたように、どんな方法であっても、書いた人には意味があるものになると思います。

  その上で、体験の中で気づいたことを挙げてみます。

 (1)スマホ万能ではない

 これは、救急搬送された後、容態が少し落ち着いてから初めて気づいたことで、がく然としました。

 CCUでは、スマホが使えない…

 これはICUや、電子機器を使った病室でも同じだと思います。

 私たちは、普段の生活でスマホに依存し過ぎています。メールもSNSもネットも、そしてメモ帳も、すべてスマホに入れていますよね。そして、何よりも辛かったのは、家族の写真を見ることができなかったことでした。

 救急搬送の場合には、スマホだけでなく、私物はすべて持ち込めず、持ち物は家族が持ち帰る、というルールでした。

 

(2)ノートやメモ帳

 ペンと紙は、ナースに言うと貸してくれます。ただ、病状が重い場合には、体を起こして書くことができません。上を向いて書くか、辛うじて横を向いて書くことになります。

 やってみて気づいたことですが、(あたりまえなのですが)ボールペンは上を向いていると、インクが出ず、書けません。
 寝たまま書こうとすると、シャーペンや鉛筆やマジック等の筆記具が必要でした。

 (3)SNSの効用

 病院内でも、スマホが使える環境になれば、かなり可能性が広がりますね。自分の記録を残せます。いろいろ弊害もありますが、インターネットで自分の病気について調べることもできます。冒頭のてむたむさんは、ブログを開設して、入院中の日記を公開していたとのことで、驚きです。

  特に、閉鎖的になりがちな入院という環境の中では、SNSの効果が大きく、これは以前は決して得られなかったコミュニケーション手段です。今は、SNSによって孤独感がかなり軽減されているのではないでしょうか。

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SNSのいいところ
・今の様子を発信することができる
・SNS経由で同じ病気の人から生きた情報を得ることができる
・会えない人と交流ができる
・見守ってもらえている感覚を持つことができる
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 そして、記録という意味では、SNSに書いた言葉そのものが、日付つきで残されます。

  退院した後は、さらにインターネット環境を活用して、様々な人や情報と、つながりが得られるようになりますね。

 (4)一人で自分に向き合う時間を持つ

書くことの大切な意味、それは、

  🍀一人で自分に向き合う時間を持つことだと思います。

  無用な不安や孤独感を持つ必要はありません。ただ、これから先、病いや障害を抱えて生きていくのは、他でもない自分自身です。病気どう向き合っていくのかは、自分で考えていくしかありません。

 怖くて泣いたり、落ち込んだり、考え込んだり、そんな時間には大きな意味があるように思います。そこから始まる気がします。そして、その時間が、その時に育んだ自分の気持ちが、その後の強さになるのだと感じます

 だから時々、ひとりで自分に向き合って、書くことで、SNSでは得られない時間を持ってもらえればと思います。

 
 (5)振り返りをすると、宝ものに変わる

 そして、もし、時々振り返ることができれば、書いた物は、さらに自分だけのすばらしい宝ものになります。

 自分史ができるだけでなく、

 🍀自分の特徴や、体調や気持ちのコントロールのコツ等を書いた、オリジナルの「わたしのトリセツ(取り扱い説明書)」ができます。

  さまざまな形で残された「わたし記録」は、生の記録です。これを、時々でいいので読み直してみてください。そして、その期間の小さな「まとめの記録」を書いてみて下さい。

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◆ まとめで何を書くか ◆
 書く内容は、
ア.医療に関する情報として
 ①その間の検査や治療、医師の問診内容や所見
 ②薬の変化等
 ③定期的に測定している数値
イ.生活の中での工夫や気持ち
 ①自分が感じる症状の様子(結果だけでなく、途中の波も)
 ②生活の変化や工夫(特にうまくいったこと)
 ③状態が悪くなったきっかけや理由(改善できそうなやり方)
 ④悪い状態を乗り切るための試行錯誤(特に良かったやり方)
 ⑤気持ちの持ちようの変化(特に気持ちが上がった時のきっかけやできごとも)
 ⑥この間に自分で「よく頑張ったな」と思うこと
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  客観的な事実だけでなく、気持ちも書きとめておくことと、それぞれについて、「うまくいったやり方」を意識して書き残すのがコツだと思います。

 

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◆ まとめる間隔 ◆
 まとめる間隔は、その人の状況によって、ぞれぞれ違うと思いますが、症状の変化に合わせるのが良いと思います。退院後であれば、症状の変化を予測した通院期間が定められているので、通院毎にふりかえると、ちょうど良いのかなと思います。辛くならない程度に、自分のペースを決めてはいかがでしょうか。
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私の場合は、振り返ると概ね次のように分けられます。

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◆病気の概要とまとめの間隔
 ①発症期~入院まで(約3ヵ月):1週間で症状が大きく変化
  ⇒ 約1ヵ月毎のまとめ
 ②検査入院~入院治療(2ヵ月):症状回復は少ないが様々な検査・治療 
  ⇒ 約1ヵ月毎のまとめ
 ③退院~在宅リハ(初期):症状の回復は少ない
  ⇒ 約2ヵ月毎のまとめ
 ④在宅リハ(継続)~リワーク:変化は少ないが、仕事が体調に影響
  ⇒ 約1ヵ月毎のまとめ
 ⑤寛解状態:日々の体調の上下、良し悪しの条件、鬱的な波あり
  ⇒ 約3ヵ月毎のまとめ
 ⑥症状の再燃:症状の変化大きい、治療再開など
  ⇒ 1ヵ月くらい毎のまとめ
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  振り返ると、そこには、自分の足あとや道筋がくっきりと見えてくると思います。
 漠然とした時間を、確かな経験として自分の中に定着することができると思います。
 また、長い時間を見渡すことによって、病状の変化や、自分なりのパターン、気持ちの変化を見つけられると思います。

  これが、その後の生きかたを支える、大切な宝ものになります。

 🍀そして、頑張った自分の足あとを振り返って、自分を抱きしめてあげてください。

  

6.今回のお話の振り返り

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 今回は、書くことの意味や効用について、いろいろな視点でお話してきました。

 まとめてみましょう。

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◆ 書くことの意味 ◆
🍀書いて、不安の中身を明らかにして、立ち向かう気持ちを作る
🍀病人ではない「私」を取り戻し、自分を確かめるために、書き、語る
🍀書き残していたことは医師の診断の材料になる
🍀覚えていなくていいように、書き止める
🍀今自分がいる場所と時間を確かめて、再び生き始めるために書く
🍀書き残すことが、自分の存在証明となり、未来の自分を救う
🍀誰かに伝えたい思いを書く
🍀一人で自分に向き合う時間を持つために書く。それが育って、強さになっていく
🍀振り返りを書いて、オリジナルの「わたしのトリセツ」にする
振り返ることで宝ものになる
🍀自分を抱きしめてあげる
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 私たちは、自らの内に病いや障害をもつようになったときから、病気や自分とどう折り合いをつけるのかの試行錯誤を始めます。

 

 精神保健の分野では、持ち続ける病に対して、主体的に自分自身とらえ直し、新しく生きる意味を見出しつつある状態を「リカバリー」と呼びます。

この言葉は、完了形で回復する(recovered)でははなく、ずっと進行形の「回復途上の時間」が続くこと現しています。そして大切なのは、病気そのものの回復がなくとも、それを受け止める人自身が変わることを意味していることです。

 精神保健の分野で、リカバリー中心のリハビリテーション・プログラムを提唱してきたであるアンソニー・ウィリアムは、リカバリーを次のような要素をもつものとして説明しています。3)

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リカバリーとは
①しばしば複雑で時間がかかる過程であり
②疾患そのものからの回復よりもはるかに困難である
③しかし専門家の介入がなくとも起こり得るきわめて個人的で独特な過程
④制限つきではあるものの満足して希望に満ちた人生を生きる道程
⑤信じてその傍にいる人の存在が不可欠である
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-


  私がこの状態になっているとは言えません。日々行ったり来たり、迷い、葛藤し続けています。

ただ、私たち当事者にだけは、この感覚がわかるのではないでしょうか。

 

リカバリーは、こんな言葉にも言いかえられるかもしれません。

 「病いや障害という特徴を自分の中に含み持ち続けながら、新しい自分と向き合える」

「新しい私を好きになれる」

「病気との闘いから、自分との和解の感覚へ」

「自分を、認めてあげること」

「葛藤して、悩み、泣いている自分さえ、許してあげられること」

 

自分を見つめるために、自分を確かめるために、自分を抱きしめてあげるために、自分の足あとを残しませんか。

激しすぎて忘れたい経験を、足あととして刻みながら、一歩ずつ前に進みませんか。

  

7.おわりに みんなの足あとへ

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「患者」ではなく、「私」であるために、
 あなたがあなたであるために、
 ぜひ、「わたし記録」を書いてください。
 あなたの残す言葉は、きっと未来のあなたを救う力になります。

   そして、もしできるならば、「わたし記録」に書いたことを、誰かに教えてあげてください。

 あなたの経験は、必ず誰かにとっての力になります。

 気持ちが救われたり、一人じゃないと思えたり、この先の道すじを見つけることができたり。

 どこかで待っている「かつてのあなた」に言葉が届くように。

  

 私たち当事者は、
 経験を分け合い、
 たくさん積み上げて、
 強い力にしていけるつながりを持っています。

  「私の足あと」から「みんなの足あと」になるといいな。

 そんなふうに思って、今回のお話を終わりにします。

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〈文献〉
1)「患者はなぜ語るのか―闘病記の利他性に注目して―」『モラロジー研究』78 : 37-53, 2016
2)『精神科臨床サービス』 10 : 446-451, 2010
3)Anthony, W : Recovery from mental illness : The guiding vision of the mental health service system in the 1990s. Psychosocial Rehabilitation Journal, 16 ; 11-23, 1993. 

🍀ブログの引用にあたり、てむたむさんにご協力いただきました。
 ありがとうございました。

Ⓒ2019 青海 陽  

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀