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本『死にゆく人の身体と心に起こること』| 死とどう向き合うか

題名がリアル過ぎる…この本の題名は、病状の末期に体が衰えていく様を連想させます。もし読み始めてダメだったら、すぐに返却すればいいや。そう思って、図書館の自動検索機OPACの新刊本リストに挙がったこの本を借りました。

こんな本に遭遇した時の気持ちの動きで気づくのは、私の中でずっと気になっているのは、結局「死」なのだろうな、ということです。
病気により何度か命の危機の一線から生還しましたが、体調が落ち着けば、無意識に目をそらしてきたもの。本当は一番気になっているもの。忘れていても、気持ちの底には黒く重く居座っているもの。それが「死」なのだと思います。

だから、私は心臓リハビリや食事療法の本を読んでいるに違いないのです。まだまだ生きてやりたいことがあるから。再発症して、不摂生の結果や予測できたはずのことを後悔したくないから。

だから、『病院で死ぬということ』は、手元にあってもずっと読めないでいるのだと思います。なぜなら、不本意な死、望まない死、痛みや大きな不快をともなう最期の時間が嫌だから。そしてこの本は、それをもたらす医療の怖さを書いているのだろうから。

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仕事が休みの平日、借りたばかりの真新しい新書版のその本を持って、ファミレスに行きました。窓からは昼の黄色い日差しが差し込んでいて、まわりには昼食の話し声や、片付ける皿がぶつかり合う音があります。逃げ場なく限りなく落ちていかないように、私はランチ時間のファミレスを選んだのだと思います。

ランチを食べてから、ドリンクバーでホットコーヒーを持ってきて、気持ちの準備を整えて読み始めました。

結局コーヒーは一口も飲まずに、いつやめようかと構えながら、目を離せずにページを繰り、少し涙ぐみながら、私は約一時間半かけて一気にこの本を読んでしまいました。

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実はこの本は、私の不安を鎮めて穏やかにしてくれるような、優しい本だったのです。
何よりも、本の最初の方で、死を、自分の意思を帯びたニュアンスで「終(しま)い」と表しているのが優しくて、ホッとして、力を抜くことができました。そうか、しまうのかと。それは、私が初めて目にする言葉でした。
そして、体や心の変化を、「自らの終いの時の備え」として、また「看取る人の気持ちの構え」として知っておいたら、と語ってくれる本でした。

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著者は現在は僧侶であり、今は終末期の患者と看取る家族の心のケアをしていますが、もともとは看護師でした。

看護師の視点では、確かに題名のとおり、弱りゆく患者の体の変化を書いています。ただ、それを医学がマイナスとする「悪化」のニュアンスではなく、「自然死の時間の流れ」として描いています。

終末期には、「痛み」「便秘」「不眠」「食べたくない」「気持ち悪い」の5つの症状が必ず生じるといいます。その理由と対応が、とてもわかりやすく説明されていました。

例えば、「食べたくない」は、終末期にあたり体が筋肉や骨を作り動かすためのカロリーを必要しなくなるから自然なこと。むしろ食べさせたら、体には大きな負担となるのだそうです。

一方周囲は、食べない人を見ると「怖い」と感じます。だから、「食べさせなければ」「少なくとも点滴を」と医師に求めます。けれども実際は、点滴の水分さえ、終末期の体は排出できずにむくみになる負担なのです。結局、家族の「何とかしてあげなきゃ」に応える目的で、患者の体に負担がない200mlの生理食塩水を点滴することがあるといいます。

また、「眠れない」のは、体がとても疲れるために昼間からうつらうつらと眠っているからです。睡眠が足りているから、夜眠くならないのだといいます。そこで課題となるのは、「眠れないこと」ではなくて、夜、眠れない時に、気持ちが内に向かうこと。不安や怖さがぐるぐると回ること。夜の闇の中で、そこから抜け出せないこと。だから夜には、不安を取りのぞくための睡眠薬の処方があり得るのだそうです。
 
今はかなり医療が進み、必ず出る五つの状態の不快が、かなり取り除けるようになりました。一方、痛みがない中での終末は、「自分に向き合う時間」という、新しい課題を生むことになっているようです。

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日本は、2040年には年間死者数が160万人を超える多死社会を迎えます。これに対し、QOD(Quality Of Death)の指標で示される精神面を含めた緩和ケアの整備の遅れが詳しく述べられています。

著者は、アジアで唯一QODが世界十位以内に入った台湾での調査を踏まえ、その実情や制度を、国民性等の背景も交えて丁寧に説明しています。
ケアは患者に寄り添って長期にわたり行われ、患者が亡くなった後は、家族に対するグリーフ・ケアが続きます。どんな看取りであっても、必ず後悔があるからだといいます。著者は、台湾の仕組みを参考に、日本で末期患者のスピリチュアル・ケアの団体を立ち上げ、現在も実際のケアにあたっているそうです。

こうした話の中で著者の姿勢に好感が持てるのは、延命治療や臓器提供について、その良し悪しをまったく押し付けることなく中立的に、いくつかの例を通して書いていることでした。

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終い様を考える際には、今の生き様を大切に思ってほしいといいます。もし、末期のその人が不安になるようならば…、もし先に行くことがあれば…、と本の中では続きます。そして行く人も、見送る人も、少しだけ心の準備をしたら、そのことは忘れて精一杯生きてほしいと。

「いずれにしても、大仕事を乗り越えた死は、いずれも穏やかなものだから」という言葉に、著者の人の生と死への尊厳を感じます。

日本の延命至上主義があって、生活の中でも死を忘れた社会になりました。本当は、子どもや残される人に死を見せることは、最大の教育であり、残される人への一番の贈り物のはずでした。でも死は、お悔やみの言葉に見られるように、忌避の対象となってしまっています。

たぶん私も、同じ社会の中にいて、死を見つめないようにしたり、死を怖がったり、死の現実感覚を避けようとする気持ちを持っているのだと思います。この本は、私の怖い気持ちを穏やかにしてくれました。自然をもう一度思い起こさせてくれました。


たぶん「死」について、これからも私は何度も気持ちが揺れると思います。でも、それが「生」を輝くものにしてくれるのだと思います。

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文・写真:©青海 陽 2020
書籍:『死にゆく人の身体と心に起こること』玉置妙憂 宝島社新書 2020


読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀