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運動をするということ その1

運動は苦手です。
毎度記しているように、小児喘息のせいで(を言い訳にしていたかもしれませんが)スポーツをする人生は今の今まで訪れませんでした。
体育の授業は小学生の頃から苦手で、高校を卒業するまでそれがずっとコンプレックスで生きてきました。
でも何故か、私が入学する学校は小中高とずっと体育会系だったのです。

小学校は全国的にも珍しい、毎朝裸足で約20分間運動場を競歩で回り続ける、という活動をする学校でした。夏でも冬でも男子は上半身裸です。(今はわかりませんが。わざわざ調べるほどの興味もありません。笑)
室内でも室外でも裸足で生活することが当たり前だったので、上履きは買ってもらっていましたが、6年間で履いたのは年1回の避難訓練の時間のみ、6回だけです。当然育ち盛りの子どもは足も大きくなりますから、都度親に買いなおしてもらいますが、ほぼ履きません。もったいない。

そして満を持して迎えた中学校。我が母校には、当時テレビ等のメディアで取り上げられるほど有名な体育教師がいる学校でした。地獄。

その先生の売りは、「3年間で全員プールを1000m泳げるようにする」

小学6年生の私はそれを聞いて、普通に震え上がりました。6年間裸足で運動場を競歩させられていた苦行からやっと逃れられると思ったら、次はプール1㎞…。
幼稚園年長から小学校低学年にかけてスイミングに通っていた時期はありましたが、いかんせん小児喘息の影響で他の同級生より肺活量がない。息継ぎの仕方も忘れたまま、得意なのは着衣水泳で、服を着たまま仰向けで永遠に浮いていられるということのみ。
25mも泳げない人間が1000mを泳げるようになるのか。

結果的に3年間で、クロールで850m泳げるようになりました。もう少し時間があれば1000mいけていたかもしれません。今となってはその距離を泳げることがすごいことかわかりませんが、当時の運動神経悪い私からすると、これは革命でした。
そんな体育の先生は私が中学を卒業した後、今では、政治家として活動をされています。(今はわかりませんが。わざわざ調べるほどの興味もありません。笑)

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