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小さなアイドルがくれた、大きな幸せの話【みおり(じゅじゅ)と俺なりの走馬灯】

名前も知らない子から電撃的に目が離せなくなった日。

2017年の8月15日。渋谷のmilkywayで行われた対バンイベント。そこに出ていたアイドルを突然電撃的に好きになった。

アンティーク人形のようなゴスな衣装。それも今流行りのスポーティなカスタムではなく、重量感のあるロングスカートの4人組。その中で一際背が小さくて、キレキレな体のバネで踊る女の子がいた。

ダークな曲と世界観のある照明の中で可憐に踊る彼女たちは全員美しかったが、その子のパフォーマンスに目が釘付けになった。小さくて人形みたいに綺麗な子。その子の名前もバックボーンも何も知らなかったのに吸い込まれるように魅入ってしまった。

そのグループの名は「じゅじゅ」。彼女の名前は「みおり」という。呪いをコンセプトに活動する2012年デビューのアイドルグループ。メタルサウンドに優美な振り付けを取り入れた世界観、今でこそ似たコンセプトのグループはたくさんあるがその原点ともいうべき存在である。

最初期メンの「ねう」、そして「みおり」。メンバー脱退に伴い、「ゆらね」と「ちゅん」を加えて7月から新体制になったばかりだった。2人だったり3人だったりという時期を経て、最終的にはこの4人になってからの活動期間が最も長い。「じゅじゅ」といえばもうこの4人である。

アイドルを好きになるきっかけは様々だと思う。もちろん対バンがきっかけになることもあると思うが、多くはそこからSNSを見て人柄を知ったり、音源を聴いたりしていくうちに好きになって会いに行って推しになる。少なくとも自分はずっとそうで初見から「推し」になるまでには時間がかかる。

みおりちゃんだけだ。なんの前情報もなく好きになって、そのまま推しになったのは。たぶん感情としては文字通り一眼惚れというやつで。本当に目が離せなくなってしまったんだ。

当時はゴリゴリに別グループのオタクだったし、他の出演者に会いにいくなんてことは基本的にしない…というより後にも先にも対バンで元々目当て以外のグループの子に行くなんてことは特別なきっかけがない限り一度もなかった。彼女が最初で最後である。

身長も小さいが顔も小さい。けれど童顔ってわけでもなくて通った鼻筋の綺麗な顔。全身のシルエットのバランスがまるでCGで作られたみたいに整っていて美しい。それでいて、目元は優しくて、かっこよくてかわいい。そんな子がキレキレのバキバキに全力で踊るのだ。インパクトがすごかった。

初見でなんの知識もないのに物販行くのはすげえ緊張したが、会いに行った彼女はステージで観るよりさらに小さくて可愛かった。そんなに新規向け接客テンション!ってものでもなく、割とフラットだったと思う。彼女の特典会は基本的にマイペースなのだけど自分にとってはその方が良かった。

初見ながらTシャツ買って着替えていってる。でもサインなしって言う。変なところケチだな。


ステージがあまりに美しくて実在が疑わしいのに人格まで徹底的にプロ感あったらたぶんそんなに好きになってないかもしれない…いやわからないな…可愛いからな…でもなんか素直な人柄が伝わったからそれが良かったのである。

今思うと不思議なものだなと思う。ステージにいる段階では名前も知らない子だったのが帰る時には「みおり」という人格になっていた。大好きなのに何も知らない。変な感じ。推しになるきっかけはご縁だったりいろんな要素が絡むけど、きっとみおりちゃんだけはどこで出会っても何度やり直しても推しになっていたと思う。

それから、じゅじゅのライブにも行くようになった。2回目ではまだ認知に至ってなかったと思う。
「前にコラソンウェイで…」
「コラソン…??」
「milkywayの…」
「ミルキーウェイ…?」
認知どころかイベント名も箱の名前もあやふやで可愛かった。もうこの時点でなんでもかわいいと思っている。

そんな感じで基本的にマイペースな彼女なのだがライブは観るたびに良かった。とにかく全力なのだ。今更になって「浮いてない?」とか言ってるが、確かに彼女のパフォーマンスは同じ動きでも他メンバーよりも運動量がすごく多い印象がある。

優美に見えるじゅじゅの振り付けの中でアグレッシブで楽曲のエッジに呼応する彼女のダンスはそのステージを作る上でとても大事な存在だったと思う。

じゅじゅというグループは昔から定評が高い。曲もパフォーマンスも評判が良い。メンバーも人気がある。一定のファンがしっかりついていて安定した集客を誇る。一方で爆発的に売り出していくという感じでもなく、地道に世界観を守っていくスタイル。たぶん運営さんの方針ではあるだろう。

その良し悪しは…2022年3月をもって卒業とする理由を読む限り、複雑な気持ちがするところもある。

ただ、一方でなんかやればきっちり動員は集めて同じ熱量のライブを作り続けたこと。常にファンのそばに寄り添ってきたこと。

「じゅじゅは実家」。

いつ遊びにきても同じ楽しさをくれる。安心感がある。ファンにとって長きに渡りそういう存在で居続けたこともまた、本人たちが思うより価値のある、困難で地道な道だったと思うのだ。

何よりメンバー同士の愛が深い。普通に出会ってたら必ずしも仲良くなってはないのかもしれない。仲間とかメンバーというより肉親のような。姉妹のような。外からみえる以上にお互いに寄り添い合いながら時間をかけて築いてきた関係性が彼女たちにはある。

何年見ててもこなれないゆるいMC、とその間お互いを心配そうに見つめる目線などはそういう愛がじわじわ伝わってきたりもする。特にねうちゃんが喋ってるところを心配そうに見てるみおりちゃんが好きだったな。

「呪い」がコンセプトなのに愛深い不思議なグループ、それがじゅじゅだ。

俺とみおりちゃんの「走馬灯」。

さてみおりちゃんである。

そういう彼女たちだからダイナミックな縦軸の激動の物語、というよりは都度都度の思い出がやっぱり深い。何よりみおりちゃんの魅力はとにかく「ふおおお可愛い」であり、照れ臭さもあって言語化が難しいのだけど印象的なのをいくつか書いてみよう。

これは俺なりの「走馬灯」。時系列でもない。振り返る思い出の走馬灯だ。

これは「じゅじゅの館」というノーライブのトークイベント。いやノーライブではなかった。いちおうライブパートもあった。

かわいい。

こう言ったらなんだが彼女たちはいずれもトークが上手いタイプではない。この館シリーズは質問に答えたりとか料理対決したりとか…いろいろあったが全体的にとてもゆるいイベントである。今だと配信とかでやるような企画のリアル版と言った感じだろうか。この時はナースのコスプレだった。

それまで自分はある種の楽曲派オタクというか、音楽が好きでライブが好きが主で遊んでいて。じゅじゅも楽曲やパフォーマンスが好き、というのが前提だったので、コスプレトークイベントといういかにも地下アイドルっぽいイベントはちょっと抵抗があって。当日もなんだか目のやり場に困るというか気恥ずかしかった記憶がある。まあナースのみおりちゃんは可愛かったのだが。

その時もたぶん終わったあとに「コスプレイベントはそんなに好きじゃない、ライブが観たい」みたいなことを呟いてしまったと思う。

のちにこの考えはみおりちゃんがあまりに可愛いので消えてなくなるのだが、みおりちゃん本人はそのことを異様に覚えていて、その後もコスプレイベントに行くたびに「ライブなくてごめんね」などと律儀に言うのだ。1000回の褒め言葉よりも一回のネガティブのほうが記憶に残る。これは全オタク覚えておいた方がいい。

続いてこれは唐突に変顔チェキ。元がかわいいので変顔したところでかわいい。

変顔もかわいい

この日は新宿SAMURAIだったと思うんだけど、チェキとは別によく覚えてるライブ。

いつもキレキレで全力のみおりちゃんのライブがたぶんもっともキレがなかった日。なんか今日変だなー動きが奇妙だなあ…でもなんか…なにか違う…なにか変だが妙に可愛い…なんだこれは…と思ったら、ライブ用のシューズに履き替えるの忘れてステージに出てしまったらしい。

その普段履きの靴がサイズ大きめで、全体的なシルエットがちょっとディフォルメキャラみたいになってて、可愛かったのである。本人にとってはいい思い出ではないだろうけど(笑)

これはたぶんアパレルコラボの企画できたやつのチェキ。超萌え袖。めちゃくちゃかわいい。

足が健康美でかわいい。

これはハロウィンコスプレのやつ。顔の蜘蛛は元NECRONOMIDOLの瑳里さんの落とし物を貰ったらしい。ある意味貴重なコラボ。

真顔かわいいブームがあったのだ。

このチェキはめちゃくちゃピンボケしてて、気づいたみおりちゃんが撮りなおそうか聞いてくれた。でもそれも思い出だからいいよと断った。マイペースに見えてシュッと気をつかってくれたりする瞬間がなんか嬉しくて。

結局、今振り返っても嬉しい思い出としてこの一枚は残ってるんだよな。

これは一回だけ行われたみおりちゃんのソロイベント「みおりンゴはもっと踊りたい」。

赤いTシャツ新鮮。かわいい。

今思い出してもかなりチャレンジというか今でこそ生誕の目玉企画である「踊ってみた」企画だがそれのみでイベントを行ったというのはアイドル界広しと言えども他にないのではないだろうか。僕個人はみおりちゃんのダンスが本当に好きなので大変満足した。この赤Tシャツ欲しかったなー。

これは東京キネマ倶楽部のワンマン直前に行われた「練習着ライブ」というこれもまた不思議な企画の日。

ツインテが本当かわいい。

このライブは個人的にはじゅじゅのライブの中でもめっちゃ印象に残ってるものの一つで屈指の名ライブだったと思っている。一つにはこのワンマンはじゅじゅの歴史の中でも指折りに気合いの入ってたライブであり、メンバーのちゅんちゃんが疲労骨折するほどの詰めた練習量だった。

その直前の仕上がりに仕上がった状態の公開ゲネプロみたいなものがこれでTシャツにショートパンツという本当に練習着ながらも、メンバーの動きからあの世界観がビシビシ放たれてきてめちゃくちゃ感動した。

じゅじゅの衣装はロングスカートでニーソだったりするので生足の露出はラスト衣装以外はあまりない。ある意味初めて素足を拝むことになるのだが、それはもう完全にアスリートだった。動きに合わせて躍動する筋肉が美しい。じゅじゅのなかでもっとも体育会系のみおりちゃんの美しさが光る。

かつロングスカート衣装はみおりちゃんのような動きをするにはそれなりに重量があってしんどいと思われるのだが、その一切から自由になった彼女の動きは過去一のキレとなっていて、なんだかそのまま飛んでいきそうな…大きなエネルギーの塊であった。

「いつも全力」がモットーの彼女の真の姿はある意味この日のライブにあった気がする。

いいライブだったせいかご機嫌である。かわいい。耳を噛まれる夢を見たらしい。

さてそのワンマン当日である。じゅじゅのライブはゴリゴリに体育会系である。はっきり言うといろんなアイドルの中でも特にワンマンはものすごくハード。ノーMCはもちろん、曲間も特別アレンジで繋がっており、ずっと気を張ったパフォーマンスを意地したまま、実に20曲近くやる。

みおりちゃんはそれでも一層のこと全力だ。彼女は力をセーブしてバランス良くこなすと言うことをしない。そういう技は最後まで覚えなかった気がする。のっけから全開で走る。顔を見てるとわかるのだ。前半は体力任せでひた走り、後半は気力任せでひた走る。

その後半の、気力エンジンに切り替わってからのみおりちゃんのライブがめちゃくちゃ好きだった。荒くなりかける息をぐっと飲み込んで真顔を維持してじゅじゅの静と動の世界観を表現し続ける顔。それでも彼女は体の動きに妥協することはしない。

小さくて細っこい彼女のどこにそんなパワーがあるのかと思うほど、戦闘的に笑って見せる顔。理想的な、自分にとって理想的なアイドルライブの姿だった。

この日もみおりちゃんはラスト数曲になってもエンジン全開で頭をぐわんぐわん振る。たまにその姿は心配にもなるのだ。あの細っこい首と小さな頭がもげて飛んでいってしまうのではないかと。

ふいに彼女の顔がちょっと泣き笑いのような何かをこらえる顔になった。ずっと見ていてはじめての顔だった。どうやら首を傷めたらしい。ラストMC、ふいに楽屋に戻った彼女が心配でならなくて落ち着かなかった。

幸い、大事には至らずこのチェキである。

せっかく座りなので説教チェキ。かわいい。

わりと当たり前のように終演後物販なんてものがあるがよく考えるとタフな話である。2時間近く全力で運動して、そのあとたくさんのファンに会わねばならない。疲れた顔は見せずに。

この日のみおりちゃんにはさすがに椅子が用意されていたが、彼女は普段と変わらず、しんどそうな様子は見せずに接してくれた。本当はけっこうきつかったはずだ。今でもこの日の彼女を思い出して、「みおりちゃんはえらい」と言ってあげたくなる。

これはクリスマスイベントのやつ。先に「コスプレなんて」って書いたが、サンタコスはめっちゃ好きである。

めちゃくちゃかわいい。かわいいしかない。なんなの。しかしこの時も都度都度みおりちゃんは「ライブの方がいいんでしょー」「ライブないのにくるなんて!」といい続けるのである。可愛いから来てる!と言い続けてるのに!ただもうサンタコスシリーズは本当ガチ天使なんよなあ…。本当に。

モフっとしてかわいい。
目のやり場に困る!
天使でしかない。

2020年。例の病で世の中がデタラメになる直前。みおりちゃんはお芝居の仕事を増やしていた。一つが主演映画である。いきなり。「明日きっともっと」という短編映画。

元々声優志望だったと言う彼女だが特技としていろんな声が出せるというのがある。

これはリアルにけっこうすごい。そんな彼女の特技をフルに使い、ものすごい根暗OLがネットの人気コスプレイヤーの同僚の動画に声を当てるのを頼まれてやったところバズっていき…というストーリー。

この映画の彼女はマジですごい。正直、お芝居の才能があると思う。通常、アイドルがやるお芝居は本人役と言ってもいいような役になることが多いのだが、本人要素がほとんど残っておらず、完全に別人格になってる。

なにしろベースのキャラの声がもうカスタムされていて本人の声でも喋り方でもないからだ。推しの贔屓めとかではなく、なぜこの才能がもっと知られないのか?と疑問に思うような謎能力なのだ。

この時は映画観というロケーションを生かして映画デート風チェキ。横に座ったら彼女がスッと手を差し出してきてめちゃくちゃドキドキした。今では無理な接触チェキ。コロナめ…!

アイドルチェキの撮り方はいろいろあるがこれ以上はあるまい。


それから舞台「魔界」。プロレスリングを舞台として「魔界」という世界に転生した乱世の英雄たちが入り乱れて戦うバトルエンターテイメント。みおりちゃんの役は「ASH」というオリジナルキャラクターで細川ガラシャの女娘という設定。背景は置いて作中では最強クラスのキャラになっていた。

元々、ダンスアクトのキレには定評があるみおりちゃんが本格アクションに参戦、ということで観に行ったのだが、もちろん本職の受け技術の高さがあるにせよ、見事に小柄で最強というキャラ造形を表現して見せ、狂気すら宿る演技を全うして見せた。

ASHはその後もレギュラーキャラ化して物語のキーパーソンになっていく…のだが惜しむらくはコロナで開催がストップしてしまった。それでも映像コンテンツを投下したり、これは全業界がそうだったと思うけど、魔界もまた生き残りを賭けて様々なオンライン施策を展開していた。みおりちゃんのお芝居が堪能できるVRがこれだ。

自分的にはカメコという遊びをずっと続けてきた中で、ずっと撮禁レギュで撮れないじゅじゅの推しのみおりちゃんの写真がいっぱい撮れたのも楽しかった。

というよりたぶん魔界を最後に本気でカメコやる、ってマインド自体が終わってしまった感じもある。それだけ、みおりちゃんが撮れた満足って大きかったんだよな。

これはまたまたハロウィンチェキ。すごいテンション。

ものすごい勢い。かわいい!

じゅじゅのハロウィンは相性が良いこともあって例年評判が良いけれどこれとかチェキとしても完成度がすごい。

ただこの時のことをよく覚えてるのは普段衣装では腕が見えないところこのコスでは露出してて、「筋肉がつきすぎて困る」とか言いながら力こぶ見せてくれた。そんな細っこい腕で大げさな!と思ったけど実際見たら本当にちゃんと力こぶが存在していた。うおおアスリート…!って思うと同時ににゅっと腕見せてくれた仕草が可愛かったんよな。

ホラー女優の才能がある。

ホラー女優といえばこんな仕事もあった。これも素晴らしい。みおりちゃんは役をもらうとちゃんとその人物が体に降りるところがある。これも霊感少女を見事に演じて見せている。

衣装も白衣装に。白系も似合うんだよなあ。初のバンドセットワンマンだったり、この衣装の時のじゅじゅはグループとしての完成系を迎えつつあってようにも思う。

なんでこんなにかわいいんだろう。

そうそう、TikTiokもわすれちゃいけないな。ダンスがキレキレなみおりちゃんの投稿は本当どれもかわいくてなー。彼女がいなければTiKTokってメディアに触れることはなかったと思う。

緊急事態宣言、遠のく現場、そして。

そして例の病に。

自粛下のじゅじゅは他のグループに比べるとさほど通販などもなくオンリーファイブのようなサービスもやらず、心配になるほど金策をしなかった。途中、みおりちゃんのTwitterに黒歴史クリーナーみたいなアプリが走って過去Twが急に消え出したりなどした。この時は本当に動揺した。推しメンが物理的に消えていく…何事なのか。

過去の写真を掘られたくなかったそうだが、この時はいなくなるのかと思って割と病んだな。

確かにみおりちゃんのアカウントは前世からの引き継ぎでいわば●0歳からのデータが残っていた。そういうのは大ぴらにほじくるもんではないが、そうは言っても潔い決断ではある。

続編があるのかわからないが、趣味の釣り企画なんてのもあった。

今となってはこんなふうにのんびり趣味に興じて穏やかに過ごして欲しいとも願っている。

お芝居としては「朗読劇」仕事もあって。太宰治の「葉桜と魔笛」の朗読をする企画。男女4人の登場人物を見事に演じ分け、これは推しの欲目とかでなく、演技に関して彼女素晴らしい才能がいかんなく発揮されたものだったと思う。

このようにいろんなことをやってたりもするが一方でIDOL AND READのインタビューを読んでも彼女は割と短気である。そして言うことが正直である。喜怒哀楽をあまり隠さない。

「やめたいですっていうのは何回も言ってきました。やめたい、いやがんばれるっていう波があるんですよ。いいことあががあるとがんばれるんですよね。」
IDOL AND READ 019

「何度も辞めようと思った」と、これは折に触れて言うし、たまに病んだりもする。一方で短気は損気とも言うが彼女の場合は逆で、「物販の列がいつもより長かった」とか「誰かに褒められた」とかそういうことでまた気を取り直して全力のライブに戻っていくのである。良い意味でのシンプルさ、それが彼女の良さだと思う。

そう言う、オタクの支えるチカラみたいなものが効く人なのに、自粛明けからちょっとづつライブが遠のいてしまった。いろいろ事情はある。言い訳すればできる、チケット買ってたのに、うまく都合が合わなかったとか。それが続くうちに顔出しにくくなってしまったとか。仕事が異常に忙しかったとか。そもそも身内の都合もあってライブそのものの頻度あげられなかったとか。

リキッドルームワンマン。フェイスガードさせられては何を話してるのかもわからん…彼女の顔が好きななのにチェキでは観られない、嫌な時代である。

これまで黒髪レギュだったじゅじゅが髪色変更解禁して派手髪になったみおりちゃんは一段と可愛かったし、その気持ち自体は変わらなかったのに。大事なライブを干してしまったりしていくうちにどんどん申し訳なさが勝っていく。

「じゅじゅは実家」。

どこかずっと変わらずいてくれるような幻想に甘えていたとも思う。

2022年8月。浴衣イベントがあった。なんとなくライブに行くのは気が引ける時期だった。でもココでいかないといけない気がして意を決して半年後ぶりに行った。浴衣も可愛かった。

おそるおそる会いに行った。彼女は開口一番こう言った。

「ライブないのに来るなんて珍しいじゃん!」

まだそれを言うのである。ライブ自体にさえ行ってないのに。変わらない彼女がいた。

こんな笑顔で迎えてくれるなんてなあ。。

そこからまたちゃんと行き出せば良かったのだが。秋くらいから首が回らないほど多忙になった。会社のデスクから急に立ち上がれなくなったりするほど疲れ切ってしまった。

控えていたじゅじゅのバンドセットワンマンも魔界の復帰戦も行けなかった。行くって言ったのにな。そこでまた申し訳無くなってまた行けなくなる。

そんな折にじゅじゅの現体制終了がアナウンスされた。悲しいとかよりも襲いきた感情は後悔だった。

「ちゃんと推し切れなかったな…」

とただただ思った。できる限り残されたライブも行きたかったが、引き続き身内の都合もあってそれとて思うままにならなかった。でもコロナのせいにする気はない。

こんなブログを書いているが、彼女たちが大変な時期になんも出来ず、終わると知って申し訳程度にライブきたやつに過ぎない。

だけどそんな奴にもみおりちゃんは変わらず優しかった。てんで行けなかった時期なのに「こないだライブで見かけたような気がしたんだけど」とまで言ってくれたりする。

最後の生誕。


だから自分自身に悔いはあっても、彼女の思い出は全て綺麗で可愛くて優しくて全力の彼女だけしかいない。

そしてラストライブ。
一番じゅじゅらしいじゅじゅ。

そしてラストライブ。

「おはンゴ」もそうだけど、短気でわりと飽きっぽい一面がある反面、毎日ちゃんと続けるものとか、セトリを呟くとか日課的なことひたすらやり続けられるところがあるのもみおりちゃんの良いところだ。

「走馬灯」と題されたそれはじゅじゅの歴史を追うように進行する。ダーティでアグレッシブな初期曲にはやっぱりあの頃のライブハウスの匂いがする。

たくさんの声が飛び交っていた時代の匂い。初めてじゅじゅのライブを好きになった夏の日の匂い。薄暗いライブハウスで、人を呪わしく思うような気持ちを受け止めて浄化するような曲たち。

基本的に暗い照明設定の中で時折照らされる光で露わになるみおりちゃんの綺麗な横顔。カメコの癖かもしれないがその瞬間をずっと探してずっと彼女を追っていたような気がする。

「35席」。声出しができたら最後にもう一回、みおりちゃんコールしたかったなあ。

中盤曲ではあの東京キネマのワンマンを思い出す。圧倒的運動量の「君が産声を上げたのは」。みおりちゃんの真骨頂だ。このキツイ曲を中盤に持ってくるセトリも良い。

そして個人的に大好きな曲「イトシスギテ」。サビの振りを合わせるところの一体感。その手前の拳銃ポーズを突き出すところ。かつてはここの位置をドンピシャにするために立ち位置を考えて現場にいたものだった。自分にとっては記念すべき曲というか、最初に好きになった曲で最後までずっと好きだった曲。

ラストライブも良い位置に行けた。ラスサビ前ののジャンプも健在だ。本当に全てがカッコいい。最後まで変わらず大好きな曲。最高にかっけえ推しメン。

そこからは最近の新譜に変わる。僕が現場にあまり行ってない時期のものが中心。それでも全然疎外感を感じることはなかった。それは見慣れたじゅじゅのパフォーマンスだったから。

でもみおりちゃんの歌がすごく進化して大人っぽい歌になっていた。思えば前述のように彼女はさまざまな声色を使いこなす。

そういえばじゅじゅは元々黒髪限定で衣装も共通デザインだった。同時に歌もあまりメンバーごとの個性を立てるような歌わせ方をしていない。しかしこれらの曲はそれぞれの歌がよくわかるようになってる。メンバーの成長でもあるだろう。

でもみおりちゃんは歌でももっと輝ける素質があったのかもしれない。そのくらい、彼女の歌の存在感は増していた。

そしてこのライブが最初で最後の楽曲「走馬灯」。

じゅじゅらしいダーティーさの中に祈りや希望を込めた歌。彼女たちらしい優しさがこもってて涙せずにはいられなかった。ここからは音源流しながら読むと良いかもしれない。

なんとなく長いキャリアの中ではメンバーの不満もいろいろあったとは聞くし、一番隠さなかったのはみおりちゃんな気もするけど、この曲の歌詞や今回のセトリを見るに、このグループに託したかったビジョンはかなり明確で思い入れが強いPだったのはわかる。その偏ったこだわりが良い方ばかりではなかったということだろうか。難しい問題である。

そして文字通り「走馬灯」とも言うべき過去映像をフラッシュバックする映像になり、ねうちゃんの「終わっちゃったね」というボイスと共に、原点的な曲である「呪呪」へ。終わりではない。ここからループするようにまた思い出を始めることができる。そんな構成だった。

そこからはアンコール。

世界観を外して代表的な盛り上がり曲へ。いつもより表情豊かに、伸び伸びとしたライブ。

「idoll」の前に「Guilty」が来たのも嬉しかったな。これは個人的には代表的なみおり映え曲だ。ダンスが可愛くてチアフルでね。たまらん。

「idoll」はたくさんのサイリウムが舞い、とても美しかった。何度も観た曲だけど、ああ、じゅじゅってこんなに煌びやかなグループだったんだなって。

なんでなんでなんでなんなんで
なんでなんでなんでどーして
なんでなんでなんでなんなんで
どーしてこうなるの?
あー 消えたくない。
idoll

このフレーズがリフレインするラスト曲。声が出せないファンの精一杯の思いでもあったかもしれない。

ラストMC。じゅじゅのライブはコンセプト主義でライブでそれが完結する構成のため、MCはだいたいノープランだ。今回はラストだから十分な時間をとってると思われたが、5分しかなかったらしい。そういうとこかもしれない。

みおりちゃんは1人だけ、ちゃんとメモしてきた、と言ってステテテっと走って舞台袖にいく。便箋とか持ってくるのかと思ったらスマホだった。MCでスマホ見ながら喋るアイドルは今後もいないとも思うが、時折見える彼女のそういう自由なところも好きだったなあ。

ねうちゃんはほとんど生誕のMCで言ったしまったとクールにまとめつつ、全体的なまとめのコメントを言う。実際、ねう生誕のコンセプトや託された想いで彼女の気持ちは十分に伝わっていたし、他メンバーに時間を託したのかもしれない。しかし時間もないし結構雰囲気がまとまってしまったのでみおりちゃんがちょっとテンパり出す。

とりあえず、事務所を退所すること、しばらくニートになって釣りでもして過ごすこと、とはいえ育ててくれた事務所に感謝してること、をものすごくかい摘んで語った。実際にはもっといろいろ書いてあったらしいが先にそっちを言ってしまったばかりに、なんとなく気恥ずかしいのか、エモいMCに入れなくなってしまう。

メンバーに促され、恥ずかしそうに客に背を向けてスマホの原稿を読み出す。人の手紙を見つけた人がバカにしてわざとらしく読み上げるような口調で。素直じゃない。

それもメンバーへの呼びかけるところで変わる。

「ねうっ!ゆらねっ!ちゅんっ!」

想いがほとばしり泣きながら読み上げる。ずっと客に背を向けたまま。変なMCだが、そのキャリアで見せるのを恥ずかしがるくらい、これまでじゅじゅはずっとそういう感情的なところを見せずにやってきたし、みおりちゃんにとってまず本能的に向き合いたかったのはメンバーたちだったのだと思う。

そんな溢れ出るメンバー愛に会場も涙が止まらない。あちこちで嗚咽がする。じゅじゅという恥ずかしがりやの集団のようなグループが秘めてきた想いの口火を彼女が切ったのだ。泣く彼女をメンバーがみんなで抱き締める。もしみおりちゃんがいなければまた違ったラストだったかもしれない。

ゆらねちゃんとちゅんちゃんがそれぞれ感謝を語る。お人形みたいな綺麗な顔を涙で歪めながら。ねうちゃんもみんなのコメント受けて最後に改めて言葉を繋いだ。オタクのこと、運営のこと、でもやっぱり一番気持ちが乗っていたのはメンバーへの想いだった気もする。

じゅじゅは愛なのだ。呪わしく思う気持ちを受け止めて寄り添って浄化してしまう愛のグループ。「呪い」から始まったネガティブな美を売りにしたグループが最後にたどりついたのは愛だった。人を愛する気持ちだった。それは運営が作ろうとした世界観を越えた、もっと大きなものだったと思う。

メンバー自身の自然な言葉から出る想いはこれまでのどんなライブのMCよりもリアルで説得力があって、とても素敵だった。素晴らしいラストだったと思う。

そして物販。仕事の予定がありループは困難だったので最後の最後、一期一会。

みおりちゃんは開口一番、珍しく待ち構えていたようにこう言った。

「楽屋でねーウープスさん来てる時は全力でやらなきゃ!って気合い入るってメンバーに言ったら「授業参観じゃん」って言われた!」

本当に直近でそんな会話があったのかわからないけどもこんなブランクの開いたオタクにもそんなことを言ってくれる気持ちが嬉しくて涙ぐんで言葉に詰まってしまう。

言うまでもなく僕がいようがいまいが彼女はずっと全力である。だけどその全力である彼女をずっと好きだったのは事実。アイドルとしての可愛さよりもパフォーマンスで褒めるというのはずっとやってきた推し方でもある。だからこの言葉にはなんか自分のこれまでの推し方のゴールがある気がして、一番嬉しい言葉だった。

そしてこんなブランクが空いた不義理なオタクにも、ドンピシャな最高の言葉をくれて幸せな思い出で締めくくってくれた。彼女がアイドルを貫いてくれた気持ちが冷静に考えるほど嬉しくて、あとでなんだかずっとさめざめと泣けてしまった。

推しと最後に交わす言葉ってどんなものだろう。ずっと考えていたけど特に気の利いた言葉はなくてやっと出た言葉は「またね!」だった。

幸せでした。


自分は本当にとても幸せなオタクでした。

みおりちゃんと出会えて、素敵なライブをいっぱい観せてもらえて、幸せな気持ちも、ときめく気持ちもいっぱい貰えて本当に幸せだった。

本人にとっても満足いくライブだったみたいだ。それが何より。本当によかった。

未来のことはゆっくり考えればいい。

穏やかで平穏な幸せをつかんでほしい気もするし、また何かに挑戦して一から応援させてほしいとも思う。

何の情報もなく好きになれたみおりちゃんだし、説得力はないけど会いに行かない時期ですら好きが続いたみおりちゃんだからどこで何しててもずっと好きでいると思う。どの道を選んでも応援する。

自分も頑張らなきゃとか負けてられないとかそういうのではなく、ただただ幸せな気持ちでいつもいっぱいにしてくれた人。全力のライブなのに元気よりもいつも幸福をくれた推し。

アイドルとは偶像である。
本来、実体はなく心の中にいる理想像でもある。

名前も過去も物語も知らず、ただそこで全力で踊っている姿を好きになった人。そして中身を知ってもなお、好きで居続けられた人。心のどこかにいつも貴方がいることが喜びでした。

自分にとっては一番…いや唯一、本当に「アイドル」と言える存在はみおりちゃんだけでした。

本当にありがとう。

明日にはもう ここで姿は見えないかもしれないけど(ないけど)
寂しいなんて 決して思わないで

もしまた生まれ変われるとしたら
次も君を照らす光になるから
あのとき交わした言葉に偽りないから
時々でいいから思い出して

もし自分が消えてなくなっても
また新たな光がきっと紡ぐから
この印はここに残していくから
必ず 必ず思い出してね
私達がここにいたことを

走馬灯の灯火は 消えない
走馬灯
さよなら。さよなら。またいつか。

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