見出し画像

名前をつけることの意味

街をふと歩いていると、ここを歩いてる人全てに名前ってついてるんだよなぁと思って、あれ?そういえば、名前という概念ってどうやってできたんだっけ?と気になり、chatGPT先生に聞いてみました。

以下、先生のお答え。

「名前という概念は、人間が言語を開発する過程で自然に生まれたと思われます。それらはおそらく個々の人々、動物、場所、そして物にラベルを付けるために使われました。

しかし、歴史的な記録に残る最も古い名前の一つとしてよく挙げられるのは「クシム」です。この名前は約5000年前の古代シュメールの粘土板に記されていました。クシムは恐らく商人で、その粘土板は商品取引の記録とされています。

それ以前の時期については、主に考古学的な証拠に基づいて推測するしかありません。しかし、最初に名前がつけられたのはずっと早い時期だったと考えられます。例えば、先史時代の洞窟画に描かれた動物やシーンには、その描かれたものに対する一種の「名前」やラベルを示す可能性があります。

最初の名前が何であったか、それがいつ与えられたかについて確かなことは言えませんが、名前がコミュニケーションと認識の重要な一部であったことは間違いありません。」

なるほど、言葉の始まり=名前の始まりだよね、たしかに。物事を識別して、ラベリングすることで、情報伝達をめっちゃ早めるという機能ですね。

5000年前のクシムさんを、5000年後に私が想像して、味わうことができるのは名前があるおかげ。

ちょいと違う話なのですが、名前は親からもらう最初のプレゼントとは、よく言ったもので、私の俊太郎という名は、作家の谷川俊太郎さんからつけてもらっていて、個人的には気に入っているのですが、

そういう物書きの仕事に就いて欲しいという親の思いはきっとあったと思うんです。

そしてその36年後にはこうやってブログを書いたり、論文を書いたりという仕事に就いているので、私の場合はピグマリオン効果がうまく働いたなと思います。

そういう意味では、名前って期待がこもった概念で、親からの期待はプラスにはたらくこともあるし、逆に期待のしすぎは子どものプレッシャーになったり、やりたいことの妨げにもなるよなぁと思いました。それこそ性別やLGBTQ+の話なんかは、その典型ですよね。

これは良い悪いの話ではないんだろうな。どう思うかは人それぞれだと思いますが、自分がもし人に名付けることがあったとしたら、どうすんのかなぁとちょいと不思議な気持ちになりましたとさ。

それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!フォローとスキしてね〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?