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じぶんの原動力は?

日曜日なんでどうでもいいこと、自分が思ったことをつらつらと書きます。

ふと自分の原動力がなにか?ってことを考えることがあります。

周囲のひとに「なに?」ってそれを聞いてみた。承認欲求が満たされる、面白くありたい、仲間と楽しくやりたい、と返ってきた。

ふと思い出した、数十年前の高校生、バンド時代の先輩ひれいさんの言葉がある。「苦しいことは3日後笑いに変わる」「遊びも全力で」。

この言葉は、じぶんがさらっと行動しながらも、内なるガッツや根性感覚を持っていることの原体験につながっているだろうなと思います。

ただ、これらはやり方の話であって、原動力を動かすためのハンドルだったり、ブレーキみたいなものです。コンテンツ的なやりたいことではないのです(例えば心理学とか歴史とか)

やりたいことの中身はなんなんだろう?

社会貢献?新しい経験に進む?そういうことがじぶんの価値だと思っているのですがどうなんだろう?

もう少し、幼い頃に立ち返ってみる。おとなしくとも、変わり者の幼少期だったなぁと思う。

中学生、ヴィジュアル系のバンドが好きで、曲も作って、化粧して、函館の他のバンドの人と一緒にステージに立ってた。

高校の試験も、ライブがあるから休ませてくれと担任の先生に頼んで休ませてもらって、ライブしに行った。

思えば、普通ではない子ども時代だったと思うけど、父も母も、じいちゃんばあちゃんも、学校の先生も、スタジオのマスターもみんなそれを受け入れてくれた。

ずっと泣きまくるこどもだったので、さぞかし育てにくかったろうなと思うし、たぶん気質的に敏感で、それこそ巷で流行りのHSP的なところもありそう。

でも、小さい頃の自分のまま、矯正も強制もされることはなくて、そのままでいられた。

それがひととはすこし違う道なのかもしれないけど、それでいいし、そうしていたいと思います。そして、それを受け容れてくれていたし、いてくれているし、多分それでいいんだと思っています。

わたしは一般的な平均に寄ることをあまりプラスだと思わないし、比較することで良い悪いを判断する価値をあまり感じない。

ひととちがうほうにすすんだほうが楽しいと思っているし、君は変人であれ、のほうがじぶんにとってポジティブである。

心理士の仕事でも有名な格言がある。患者さんを変にしないために、じぶんが変であれ。

価値観の多様性をじぶんがだいじにしたいのは、そういったおかしいとか、変とかが、こころから悪いものじゃないし、嫌なものじゃないと思っているから。

じぶんがひとに対して、ウケるとか、変人だとかっていうのは、個人的にはほめ言葉。

最近昔からの仲間のことを欲してたのは、きっとこの変人感覚が薄らいでいるからなのかもしれない。

そろそろ、あの頃の変な自分にもっともっと戻って、今のフィールドに立てたらもっとワクワクすることができそうだなあと思いました。

最初の話に戻る。じぶんがじぶんのままでいていいことがおそらくじぶんの原動力っぽい。コンテンツがどうとかはどうでもいいことなのだろう。

これからもじぶんはじぶんのまま、変でいい、変わったまま生きていけるのがじぶんがしたいことなんだろうな。

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