見出し画像

たとえあなたが覚えてなくても

夏休みが始まった。


上の子二人は家に。一番下はフルで保育園に。

夏休みといえども私には仕事がある。
が、なるべく子どもたちが楽しめるようなイベントを毎年作りたいと、近場で遊べる場所を探したり、昨年に引き続きおうちプールを充実化させるべくグッズを買いそろえた。
夏の最後はディズニー公式ホテルにお泊り+プール付きというスペシャルオファーもつけた。あとは実家に行ったりして今年の夏のプランは決まった。

しかしはじめの4連休ですでにぐったりしている。
子どもの3食のご飯(私だけだといつも食べないか適当)
一緒に勉強を見て、退屈そうだったら遊びの提案をしたり、常に子どもを気にかけながら横目で仕事をする。



夏休みの思い出は特別


3人兄弟、上から14歳、9歳、2歳。
年が離れているので3人一緒にいられる時間はほんのわずかだ。
お姉ちゃんは高校は県外に行きたいと寮のある高校を探しているし、息子はもう少しで思春期にさしかかる。
今年と来年くらいしか子どもたちがそろう夏休みはないかもしれない。
育児の終わりは急に来るのだと思ったらなんだか切なくなった。

そして、毎年夏になると、両親が私たち兄弟にしてくれたことを思い出す。
三重のおばあちゃんちに夏の半分は行ってたくさん遊んだこと。
毎日のように近所のプールに連れて行ってくれたこと。
特別な思い出もそうでない思い出も夏というだけですごく「ずっと持っていたい大切な記憶」になるから不思議だ。



子どもの小さい時の旅行は親のためにあるのかもしれない


私は長女が小さいころからよく家族でいろんなところに出かけていた。
時には海外にも行ったりしたが、悲しいかな長女も長男も小学生に上がる前のことはほとんど覚えていないという。
でも、それでいいのかな、と最近思う。

私が覚えている。初めての海にびっくりして砂に足をつけられなかった娘のことも、大きなアイスをひとりで食べてそのあとおなかを壊した息子のことも。

そして写真を見ながら「あの時あなたはこうでね」と話すのだ。

写真は会話をするためにある

私が写真好きでよかったなと思うのは、常日頃から写真を撮っているので、後で見返すと自分でも思い出せるし子どもにもその時のエピソードを話してあげられることだ。

子どもたちは写真を見るのが大好きだし
「この時私(僕)はどんな感じだったの?」
と聞いて、私がお話をする。
昔話を話すように、その時の私も子どもたちがまだ小さかった頃にタイムスリップする。

末っ子はまだ小さいので、昔話を作っている最中だ。
ああ、また土日が始まったな…今度は夏休みか…
と、仕事がはかどらないことに焦りを感じながらも、小さな2歳児が喜ぶところを探して連れていき「ああ疲れた」と言いながら帰宅し、10年後に
『大変だったけどもう一度戻りたいあの日の思い出』
を作っている。

小さなあなたが覚えてなくても、私がしっかり目に焼き付けている。
そしてきっと10年後に写真を見ながら「もう一度だけ、小さなあなたを抱きしめたい」と思うのだろう。

だから今年もせっせと夏休みの思い出を作るのだ。
子どもたちのために。そして何よりも私のために。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?