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作曲家から学んだファシリテーションの勘所 /ファシリテーション一日一話

作曲家の野村誠さんとは10年ほどの付き合いになる。淡路島が瓦の産地ということもあって「瓦の音楽プロジェクト」というのをいっしょに展開しているお仲間なのだ。淡路花博の流れではじめたプロジェクトだが、今も時々演奏依頼や、ワークショップ依頼が来るので、その時は僕が事務局をつとめている。これまで、広島、三河、尼崎、大津、山口など、国内でも演奏させていただいたし、イタリアやインドネシアなどにも淡路島の瓦を持って国際交流事業を展開してきたりもした。

↑ 瓦の音楽プロジェクトは、こんな様子

自己紹介は突然に

今回は、神戸にある私立の中高一貫校が「希望者で体験するサマープロジェクトで瓦の音楽体験をしたい」ということで、20名ほど中学生と高校生がやってきて、いっしょに作曲活動をすることに。高速バスにのって淡路島にやってきた中高生たちを、陸の港西淡というバスターミナルでお迎えした。ふだん神戸でみる景色とは違う場所について、キョロキョロしている子もいる。
僕は「ようこそ、瓦の産地・淡路島へ」とウエルカムを伝え、野村さんに自己紹介を促したら、なぜかすぐさま演奏をはじめてしまった。野村さんは、作曲家でありながら、ピアニストでもあり、鍵盤ハーモニカ奏者でもあり、瓦奏者でもあるのだ。いちばん手軽な楽器「鍵盤ハーモニカ」を持ち出し、いきなり自分が作曲した自己紹介曲を弾き始めた。気の抜けた、不思議な曲で「けんばんはーもにかー♪」と歌いながら、演奏技術を織り交ぜるという謎の曲だ。「びぶらーと」「半おし」「頭でケンハモを弾く」など、通常は見ることがない鍵盤ハーモニカの演奏技法をつぎつぎと披露して「音楽に正解はない。人生にも正解はない」と締めくくって終わった。バスターミナルのスタッフは驚きつつもスマホを構えてこの珍しい光景をとらえ、学生たちはあんぐり口をあけている子もいた。

バスターミナルでいきなり演奏をはじめる作曲家の野村誠さん。世界中の路上で音楽を奏でてきた

いきなり公共の場所をジャックして演奏をはじめてしまう野村さんに、僕もはじめはちょっと驚いたが、さすが世界を旅してまちかどで演奏してきただけあるパフォーマンスに関心もした。そして、その世界のプロなら、プロらしい自己紹介のひとつでもできないとな、と感じたりもする。言葉で「私は作曲家です」といってもうまく伝わらないが、自分が作曲した曲を演奏すれば「あー、こういう人ね」がより正確に伝わる。僕の知り合いで陶芸家がいるが「自己紹介がわりに自分が焼いた器を置くだけで伝わるものがある」と言ってたりもした。確かに。では、ファシリテーターにふさわしい自己紹介とはなにか、これは考える価値のある問いだなと感じる。

誰とでも演奏できる柔らかさを持っているか?

バスターミナルから移動し、いよいよ瓦のまち・津井へ。ウエルカム演奏で瓦の音楽CDから「津井に来た」など数曲を演奏する。ふだんは楽器を演奏するガラではないが、瓦の音楽のときだけは、演奏助手として入る。リズム感もへったくれもない自分ができる曲は限られているが、野村さんは、そんな僕ができるように演奏を工夫してくださり、なんとか4曲ほどお届けすることができた。
野村さんのすごいところは「どんな相手とも合奏できる」という点だ。音楽が苦手な人とも、人前にたつのが苦手な人ともいっしょに演奏できる術を知っている。なんなら動物園でゾウやサルとも演奏をしたことがあるらしい。謎すぎる。
瓦の音楽の一曲で「隅巴のワルツ」を演奏するリハーサルで、僕があまりにもワルツのリズムを打つことができず、苦悶してたら、野村さんが「じゃあアシスタントの浅井さんに入ってもらって2人で協力したらワルツができるんじゃないか」といいはじめた。1−2−3の1と2を浅井くんが担当し3だけを僕がうつ、みたいな工夫をして、なんとか乗り越える方法を見出す。
「うん、これでいけるなら、参加する中高生にもはいってもらって、一緒に演奏しよう」という展開が生まれ、参加型演奏のアイデアがふくらんだ。「誰かが何かを上手にできない」という状況に立ち会ったとき、舌打ちをしたり、「なんでもっと上手な人をいれないんだ」と文句を言うことは、誰にでもできるが「このメンバーで、どうやったら楽しく演奏できるか」を考えられる柔らかさが、野村さんから教わったことだ。こういう視点は、ファシリテーションをしていても、とても重要で「うまく話せない」とか「書くのが苦手で板書ができない」とかいうシーンが出たとしても「じゃあ、こうやってみたら、できるんじゃない?」と方法を転換することで、楽しく、柔らかく次の展開を生むことができたら、どんな困難な現場でも乗り越えられるというもの。僕は、野村誠さんという作曲家から、現場で共にすごす人を活かす柔軟さを学んでいる。誰と組んでも一流の仕事ができる人のことを一流というらしい。組む相手が悪かったと、ぶつぶつ言っている間はまだまだ。

素材を集めに海へゆく

せっかくだから、淡路島の海でもいってみよう!ということになって、中高生たちとビーチ散策にでかけた。淡路島の海には、過去に海洋投棄された瓦が波にもまれて、角がとれた「ビーチガラス」ならぬ「ビーチ瓦」がたくさん落ちている。それらを拾って、楽器にしてみよう!という試みだ。

うちあげられた瓦を拾って楽器にする。実に美しい音色がする

ビーチにつくと、なぜか大きな魚が数体打ち上がっていて、強烈な死臭を発していた。みなで竹の棒でつついて、それらを海にもどそうとするも、すぐに波に打ち寄せられて、戻ってくる。そんなたわいもない時間を過ごしながら、落ちている瓦を100個ほど拾って、持ち帰ってみた。水道の水であらって干して、ダンボールの上にしきつめてみる。「ちょっと叩いてみようか」と促すと、瓦によって異なる音色がするので、だんだんエスカレートして強く叩いたり、リズミカルに叩いたり。津井の公民館に大きな音が鳴り響いた。打楽器は単純で、誰でもできる感じが面白い。

音色が味わえる班分け

野村さんが「じゃあ、ちょっと作曲してみましょうか。オーケストラでもそうですけど、いくつかのパートに分かれて演奏する、みたいなやり方があります。ここにあるビーチ瓦をちょっと、パートにわけてみましょう」といって、小さな瓦、中くらいの瓦、大きな瓦と、サイズ別に分類してみた。それぞれのサイズに数人、演奏する中高生がついて、パートにわかれて音を出してみる。小さな瓦は高い音がするし、大きな瓦は長く響く太い音がする。同じ素材でも音色が違う。その音色が際立つような班分けが「パートに分ける」という発想だと思う。

大人数の会議では、いくつかのグループに分かれて話し合いをする。ほとんどの場合、班分けをする事務局は「なるべく色々な人が混ざるように」班をつくろうとする。でも、もしかするとそれは個性を消している可能性もある。「それぞれの音色が際立ちやすいような班」みたいなのもつくれるのかもしれない。「テンション低いグループ」とか「アイデアばっかり出しまくるグループ」とか「ボスザルグループとか」で、全然違う動きをするグループから出た意見を全体でシェアして一つの音楽にする、みたいなのも面白そう、と一人でふむふむしながら音楽を聞いていた。

引率の先生も指揮者をやってみた。指揮者に指さされたパートは演奏し、それ以外は休む

指揮者とファシリテーション

はじめはどのパートも全力で乱打していたが、途中から野村さんが「じゃあ、僕が指揮者をするので、指揮者が指を指したパートの人は演奏するようにしましょうか」と指さし指揮者法みたいなのをやってくれた。すると、小さな音色からはじまり、だんだん大きな瓦の太い音色のパートが登場する。中くらいの瓦と小さな瓦のアンサンブルがはいって、大きな瓦と特殊な瓦のずこーんとした演奏がはいって、最後に全パートが奏であげる、という小さな曲みたいなものが生まれた。

野村さんから「じゃあ、今度、誰か指揮者をやってみませんか」という提案が出た。引率の先生が指揮者をしてみたり、いちばん若い中学1年生が指揮者をしてみたりと、指揮が変わると演者は同じなのに、全然違う演奏が生まれ、皆、その変化に驚いていた。「実際のオーケストラでも、むかえる指揮者によって、全然違う音色が響いて、その可能性が引き出されるものです」と野村さんが教えてくれた。指揮者にも色々なタイプがいるらしく、がんがんに皆をひっぱっていく指揮者もいれば、「いやぁホルンの音、本当にいいですねぇ。すばらしい。その素晴らしい音色を、ほんの少し、長めに余韻もふくめてお聞きしたいです」みたいに、各パートの演奏者に気を使いながら指揮をする人もいるらしい。ともかく、指揮者によって集団の持つ力というのは引き出されてゆくのだ。指揮者の有り様というのは、まさにファシリテーターの在り方ともリンクしている。私がどのように各発言者に言葉をかけ、その音色を引き出せるか。それぞれの音色をどう組み合わせて、一つの音楽とするか。そんなことを夢想しながら、僕も指揮者をやらせていただいて、とても楽しかった。中高生たちは指揮者の動きに注意を払い、いざ自分のパートが活躍する場面がくると、気持ちを込めて瓦を叩いてくれた。

ビーチで拾った瓦楽器を前に話す野村さん。

楽器が壊れるほど練習しよう

気持ちが乗ってガンガンに演奏していると、ある中学生が叩いていた瓦が鈍い音を立てて割れてしまった。その校生は顔をあげて「ごめんなさい」と言った。ふだんは、誰の意見も否定しない野村さんが、珍しくそこは入っていって「うん、それね、ごめんなさいじゃないと思います」と演奏の手を止めて、話しをしてくれた。「楽器というのはね、壊れるものです」と。「何度も何度も演奏して、演奏して、いろんな弾き方を試みて、それでギターの弦が切れたりするのは、どの演奏者も通って来た道です。この楽器の魅力をどこまで引き出せるかな、と試行錯誤して、あれこれやったあげく、壊れてしまうのは、悪いことではないと思います。ただ、それぐらい演奏しまくると、これぐらい叩いたら割れるんだな、という加減が見えてきて、自然と壊さないで演奏できるようになるから。皆さんは、今日はじめて瓦楽器を叩きはじめたので、加減がわらなくて当然です。なので、どんどん、がんがん叩いて、慣れていってください。楽器にとって、一番の不幸は、演奏してもらえないこと。壊したらいけないな、という遠慮から、演奏してもらえなくなるなんて、ちょっともったいないので、遠慮せず、演奏してください」。僕はこの話を聞いて、ちょっとジーンときた。自分がお世話になっている道具がすり切れ、壊れるほど、それらを使いこなしてきただろうか。

作曲のあとは瓦工場を見学した。職人さんもさまざまな道具をつかって瓦を仕上げている

まぁ、こんな感じで、作曲家の野村誠さんとの時間は、ファシリテーターの僕にとって、深い学びをいだだける時間となっています。異分野のプロフェッショナルと一緒に仕事をさせていただくと、大事な視点を頂けることが多く、たいへんありがたい。最近、僕はこんな風に学んでいます、というレポートでした。野村誠さんの著書も面白いので、ぜひ。

みなさんは、どんな分野のプロフェッショナルから刺激をもらっていますか? またよかったら、聞かせて下さい。

2024/8/9 裏磐梯の国民宿舎にて


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