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憂世で生きる智慧

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楽しき時は楽しく、楽しからざる時も楽しく(日々是好日) 生きとし生けるものが幸せでありますように。 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #…
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青樹謙慈(アオキケンヂ)自己紹介

Noterのみなさま、こんにちわ。アオキケンヂと申します。 先日(2024年5月初頭)からnoteを始めてみました。 『憂世で生きる智慧(うきよでいきるちえ)』を執筆しています。 自己紹介極めて内向的で人見知りが激しいです。 世渡りが下手で、社会性がないことは自覚しています。 敏感で感受性が強く、いろんなことが気になります。 誰かのちょっとした発言(文章)、言葉づかいにも敏感に反応して、いつももやもやしていました。それで、そのもやもや感を、チラシの裏になぐり書きして言語化し

トップレベルの物理学者たちは「純粋意識」の存在を確信している/奥山実牧師の言葉【憂世で生きる智慧】

[憂世で生きる智慧]記事一覧 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言 #奥山実 #キリスト教

奥山実牧師名言集【憂世で生きる智慧】

建前と本音の狭間で揺れる教育現場の実態 アインシュタインの神:スピノザの哲学を信じた理由 非聖書的になる危険性:謙遜を学ぶ重要性 日本人は真理より他人の目・人間関係 文壇の中の欺瞞:夏目漱石と偽キリスト教徒たち [憂世で生きる智慧]記事一覧 #憂世で生きる智慧 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言 #奥山実 #キリスト教

芥川龍之介とキリスト教【知的雑学トリビア・豆知識】

芥川龍之介、あの名作家の晩年にイエス・キリストへの興味を深めていたという事実は、意外と知られていない。それどころか、この事実は日本の文芸評論界ではあまり触れられない。だが、これは芥川を理解する上で極めて重要なポイントだ。 芥川の最後の作品は『続西方の人』というキリストについての作品であり、彼が自殺したとき、枕元にあったのは聖書だけだった。これは全ての日本人が知っておくべき基本的な事実だろう。芥川は自殺する直前までキリストについて書いていた。 7月10日に『西方の人』を脱稿

信仰とは?宗教(Religion)の語源【憂世で生きる智慧】

宗教の語源 「宗教」という語は、もとは「宗」と「教」、二つの仏教に由来する漢字を組み合わせた言葉で、特定の宗派の教えを指す意味を持っていました。しかし、西洋の「religion」という概念、特にキリスト教を表す際に、この用語は近代の日本語において新たな文脈で再び使用されるようになり、その翻訳語として機能するようになりました。 「Religion」という単語は、その起源をラテン語の「Religio」に持ちます。この言葉は、「Re」というプレフィックスと、「ligio」、す

キリスト教《伝道》と新興宗教《勧誘》の違い~室賀文武のこと【憂世で生きる智慧】

室賀文武(むろが ふみたけ、1869年~1949年2月13日)は、芥川龍之介の幼少期からの知人で、後に俳人として「春城」の号を用いた。彼は山口県玖珂郡室木村(現在の山口県岩国市室の木町)の農家に生まれた。 同郷の芥川龍之介の実父・敏三(周防国玖珂郡生見村湯屋、現在の山口県岩国市美和町生見の出身)を頼り、政治家を目指して上京。敏三の牧場・耕牧舎で働き、芥川が三歳になる頃まで子守りをしていた。 しかし、1895年頃、政界の腐敗に失望し、耕牧舎を辞めて行商などをしながら世俗の夢を

聖フランチェスコを範とし、清貧を選べば、宗教団体のカネがらみの問題はなくなる。清貧こそ煩悩の炎を消す唯一の道。【憂世で生きる智慧】

聖フランシスコは、1226年に天に召される直前、遺言を通じて、自らの死後も修道会が清貧の道を歩むことを厳命しました。 しかし、1230年になると、教皇グレゴリウス9世はフランシスコの遺言を無効と宣言。 この結果、フランシスコ会は多額の寄進を受け入れることが可能となり、創設者の本意とは異なる豊かな修道会へと変貌を遂げてしまったのです…… 参考資料 [憂世で生きる智慧]記事一覧 #フランチェスコ #聖フランチェスコ #アッシジの聖フランチェスコ #アッシジの聖フランシスコ