夢がないミュージシャン。
ふと、自分は今まで本当の"夢"を持った事がないなと、気付きました。
小学校の時に、将来の夢は?なんて質問用紙に「考古学者」と書いた記憶はありますが、あれは別になりたいと思って書いたわけではなく、父親が魚学者だった影響で同じように「学者」と書けば家族に喜んでもらえそうな気がする、まわりに「凄い!頭イイ!」って言われる気がする、子ども心にそう思って書いたんだと思います。思います、というかそうです。
思い返せば、認められたい、褒められたい、凄いって言われたい、凄いって思われたい、という欲求の元、行動してきた気がします。
「考古学者になりたい」
「中学受験したい」
「理系の国立大学に現役で入りたい」
「就職したい」
全部、自分の意思はないです。上の欲求を元にした言動です。
ただ、それらの中で唯一、純粋に本能的にやりたい、続けたい、触れていたいと思ったのが音楽でした。で、もうすぐ39歳になる2019年現在、作曲家という肩書きで生きています。
人生、間違ってないじゃん。合ってんじゃん。
...果たしてそうでしょうか?
自分には、今も昔も夢がないんです。
夢がない人って、自分のことなので分かるのですが、日々を人に合わせて生きている感覚が強い気がします。人に合わせて生きていると、何事も人のせいにするようになります。人のせいにする癖がつくと、他人を悪く、世の中を悪く、人生を悪く捉えるようになってしまうと思うんです。
逆に、夢を持っている人は、おそらく自分を主体に生きています。主体に、というのは自己中心的というのではなく、自分の意思を持って行動するという事です。だから、人目を気にしたり、まわりのせいにしている暇はないと思います。自分で精一杯だから。
僕は30歳の時に会社員を辞めてフリーランスのミュージシャンになりました。でもそこには夢は、意思はちゃんとあったのか?
自分の中で作(曲)家に転身した今でも、シンガーソングライター、と言われる事はありますが、昔から作詞作曲がしたくて仕方がない訳ではありません。ただ、ギターを弾いていると、音楽に触れていると、何となく心地良いんです。あと、会う人会う人に「いい声」だと言われます。だから歌ってきたのもあります。みんなに褒めてもらえるので。確かにスタジオとかで歌っている時、他にはない楽しさがある気がしますし、何よりポジティブな気持ちになれます。でも、そこまでです。それは意思でしょうか?
今まで散々ライブハウスなどで演奏してきて、歌ってきて、CDもリリースしてきたのに、自分の音楽にファンが極めて少ないのは、意思がないからじゃないか。偽物感が強いからじゃないか。嫌味が滲み出ているからじゃないか。
意思を持った人間の言動は、仕事は、作品は、芸術は、最終的に人と社会に正しく伝わるものだと思います。そして、そこに何かしらの影響を与えるものだと思います。
思えばまわりにいる人で尊敬する方々は夢や意思を持っています。そのために職に就き、毎日を生きています。
自分も、そうでありたい。
だから僕はやっぱり夢を持つべきなんでしょう。今更ながら。
さて、どんな夢をこれから持とうか。
自分はほんとは何をしたいのか?
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