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扉をこじ開ける。

自身が初めての楽曲を提供(作詞&作曲)させて頂いた二人ユニット、さくらしめじが活動5周年を迎えました。

こちらは5周年の特設サイト。

メジャーアーティストでもあるさくらしめじへの楽曲提供が決まった時は本当に嬉しかったです。「楽曲提供」は長年の目標でもあったので。

こちらが初めて提供した楽曲「ひだりむね」のMVです。

この歌、なんとテレビドラマ「こえ恋」のオープニングにも起用して頂きました。初めての楽曲提供がまさかのタイアップ。さくらしめじにとってもタイアップは当時初めてだったとの事で、喜びも一入。個人的にもよく視聴するテレ東の深夜ドラマ枠だったというのも、これまた嬉しい嬉しい。

さくらしめじの事を初めて知ったのは、さくらしめじの楽曲提供コンペを紹介して下さった某音楽事務所を通じてで、そちらの社長さんに自主でリリースしたCD「ONKEI」を聴いて頂いたことが繋がりのきっかけでした。

2015年当時、僕はシンガーソングライターとしての活動に限界を感じていました。ライブしてもお客さんは毎回10人来るか来ないか。自主でCDも2枚リリースしたんですが、2枚目が大赤字。年齢も35歳を過ぎ、毎月の収入もほぼ0円。いよいよ潮時かなと。今だからさらけ出しますが、「もう音楽やめます」的な引退宣言を掲げた特設サイトのようなものを作りかけたこともありました。「俺音楽やめちゃうけど、いいの?」的な厚かましい気持ちも恥ずかしながら正直ありました。所謂、世間へのやつあたりです。ほんと、我ながら性格が「う●こ」でごめんなさい。

でも結局は嘆いてばかりいても苦しいだけなので、引退特設ホームページ作りの手を止め、とりあえず新しく自主で作ったCDをネットで調べて知った音楽制作会社に片っ端から送付してみようと考えました。これで反応が無かったらまた考えようと。大体50社くらい、それぞれの会社ホームページに記載されている実績に合わせて、1社ずつプロフィール文も微妙に変えて音源を添えて送りました。

結果として、3社からレスポンスを頂戴しました。その中の1社がさくらしめじを教えてくれた音楽事務所になります。

さくらしめじの存在を知った時、正直初めは戸惑いました。なぜなら自分がこれまでアーティスト活動で表現してきた音楽ジャンルとは別のものだと思ったからです。いわゆる、メジャー系な邦楽は当時はあまり表現したいとは考えていませんでした。それをその音楽事務所の社長さんも十分察して下さっていたのか、無理しない範囲でいいからコンペ挑戦してみる?と声をかけてもらいました。せっかく自分の音楽を気にかけてもらえたんだし、そもそも後がないんだし、とにかくやってみようと、さくらしめじの楽曲コンペに何度か挑戦させてもらいました。

それから数ヶ月後、「ひだりむね」の採用が決まった旨の電話を社長さんから頂きました。

「ひだりむね」、青木の曲っぽくないと、いろいろな人にも言われました。今までにない作詞作曲脳を使ったからかも知れません。でも、この楽曲提供の経験が非常に大きかったと今でも思います。

さくらしめじには2曲、「ケセラセラララ」と「かぜだより」という楽曲を提供させてもらいました。特に「かぜだより」はさくらしめじのために作った曲だからこそたどり着いた歌の世界観があるんじゃないかなと、思っています。音楽に限らず、仕事ってなんだかんだすべてコラボレーションだと今でこそ思うんです。

実は最近、また2015年の時のような壁にぶち当たっているといいますか、自分が本当は何をしたいのか、正直分からなくなってしまっていることに少々戸惑った日々を過ごしています。元々、音楽家としての明確な夢を掲げてフリーになったわけではなく、音楽家として食っていけるかチャレンジすることをメインに掲げていたのも大きいのかも知れません。ただ、冷静になれば、今自分がやるべきことは分かっています。なので、それに見合った行動はしています。それでも、やはり色々と不安で、ここ最近はしばらく胃がおもーい生活が続いています。なんでしょう、分厚い壁か扉が目の前にどーんと居座り続けているとでも言うんでしょうか。そんな時期なんでしょうか。

思えば、さくらしめじとの出会いも、扉をこじ開けた先にあったものという表現がまさにふさわしいなと自分でも思います。人生には分厚く重い扉をこじ開けて、それまでの自分にも考えつかなかった世界に足を踏み入れなければならないタイミングが何回かあるのだとしたら、今それが再び近づいている時なのかも知れません。

とりあえず、英気を養いに、明日は小旅行にでも行ってくる予定です。

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