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「うあーパフォーマンスフェスティバルvol.3」後記 by Aokid

「うあーパフォーマンスフェスティバルvol.3」を、言い出しっぺであるAokidが振り返るノート。

目次
1、はじめに
2、秋田会場での15このパフォーマンスを振り返る。
3、おわりの雑記



1、はじめに
 4月7日、秋田、東京、大阪でそれぞれ同時に「うあーパフォーマンスフェスティバルvol.3」が行われた。
これは昨年2023年の12月に秋田市文化創造館で行われた Aokidプロジェクト「あときとた」による大発表会の翌日、その余韻の残った会場で集まった数人の参加者たちが互いに10分ごとの”なにかしらのパフォーマンス”を創造館のスペースを頼りに行い合い、その集まりに即席で名前をつけて「うあーパフォーマンスフェスティバル」として取り組むことから始まった。その時の参加者は6組。

1月、文化創造館でそのプロジェクトが自立して発表者を新しく募ってvol.2を開催した。

2月、 Aokidプロジェクト「あときとた」の続きとして文化創造館と再び一緒に取り組みミルハスという劇場で発表。
その機会を間に挟みながら4月に今度は3回目となる「うあパフォーマンスフェスティバルvol.3」が行われるということで、いち参加者として秋田へ向かうことを決意する。
すると開催までの間に秋田の中で全国同時開催のアイディアが運営チームの一部で持ち上がる。僕の知らないところで東京は渋谷でよく一緒に踊っている羽鳥さんのもとに連絡があり、東京開催の指揮をお願いされたそうだ。どうやら僕が秋田に行くというのが半分冗談に聞こえたそうで、それで東京開催のアイディアに至った側面もあるようだったが、色々もう進み始めていた。
羽鳥さんともなんとなく打ち合わせを交わすとすぐに東京会場のメンバーを集め始める。
そして開催1週間ほど前に大阪のOoozeを運営するダンサーの菊池航くんから連絡があり、大阪でも開催するとのこと。
同時に始まるだけでなく、フィードバックまでを含めることでやっといくらか互いの行為や領域への想像が及ぶと思い、振り返り会の時間を設定する。

このようにして全国同時開催の手筈は整った。


2、秋田会場での15このパフォーマンスを振り返る。
 
文化創造館に着くとほかのイベントで賑わっている1Fスペースの端っこに”うあー”チームが次第に集まって各々のパフォーマンスの準備をしている。ある人は音響の設備を確認、ある人は当日に配る紙のパンフレットを分けている、ある人はストレッチを入念に行う。
次第に人が集まってきて14時にパソコンを開きzoomで大阪、東京とつなぐ。
文化創造館に集まった秋田の観客の方を意識しながら、zoomの映像の向こうと連絡を取り合う。東京は上野公園のなにやら溢れんばかりの花見に集まった人々の光景、大阪のOoozeに集まった3人ほどのパフォーマーの光景、そしてこの文化創造館の人たち。
パフォーマーをそれぞれの会場から紹介し合う。
そして開会宣言みたいなことを言ってzoomを切り、千秋公園へ向かう一行。
大体50人くらい?たくさんの人が連れ立って坂道を行く。

早坂葉さんの発表が始まる。
人を真ん中のマンホールに集めていく、よって、よって、と言って。
なにやら真ん中にしゃがみこんで集まる人々、気温は暖かい。
今度はちって、ちって、と言う。すると近かった人々が綺麗な円になるようにつながったまま広がっていく。そしてランダムに周囲のポーズを早坂くんが真似していき、それを見た囲んだ人々がまたそのポーズを真似していく。

そのあとは、かずさんと葵さんのパフォーマンス。
おそらくロケハンしていたあづま屋を舞台にジャグリング&ダンスを繰り広げる。
白いシャツで合わせた衣装。
天気もよく青空を背景に飛び上がるボールは前景と後景をくっきりと分ける。あずま屋には別の家族もいて、半透明こと半ちゃんもいるという複数のレイヤーがあり手前でパフォーマンスが繰り広げられる。
ジャグリングの白いボールが何度か床に落ちてもダンスでリカバーするみたいな二人のやりとり。一応物語性をということで最初にカズさんは手に持った本をめくるところから始まる。

続いては小林さんの出番。チャイコフスキーの花のワルツが流れてきて、バレエを芝生で踊り出す。
観客は地面に腰をかけてその様子を見守る。大きすぎない音楽の音量で、靴が地面を触る音が聞こえてくる。ふさっ、ふさっとそれがいわゆるバレエのイメージとの差を作って人の入り込む余地を与えるように、その余白は人を呼び込み、向こうの景色では家族とお父さんが真似た動きをし始める。こっちの客席の後では半ちゃんと大村さんがやはり真似をしたステップをとる。

原っぱから移動し、噴水の方へ。
一ノ心さんは肩からスピーカーを垂らしてマイクでビートボックスをし始める。
MCを挟みつつ、様々な奥行きを持った声が観客との間に色んなリズムを経験させる。
またある音に関してはまるで噴水とセッションをするような音にさえ聞こえてくる。
あらかじめ狙ったかのような音のやりとり。
途中、早坂くんはラップで、僕はブレイクダンスでセッションにジョインする。

大村さんはワークショップのような方法をとったパフォーマンス。
10分のうち、9分ほどは何かの音をたててくださいというイントロダクションがあり、それは大村さんが持ってきた楽器を借りてもいいし、その辺に落ちてる木や石を使ってもいいし。
僕はそこでちょろちょろと流れる川の方へ行って木の棒を水の中へ入れてちゅるちゅると音を立てる。
大村さんはそこかしこで起こる音を頼りにダンスをする。
一体これはなんの時間だろう、という感じも出てくるがもう少し身を委ねるとそれはそれで独特の時間になっていく。

階段を上がって充子さんとかがまりさんの発表へ。
2人は大きな布を被って準備。音楽がかかって仮面を被った二人が踊り始める。
抽象的なイメージのように風に揺られて、行き来する。時に人の頭上を通過したり飲み込むようにして動き回る。ちょっと途中にソロを挟みながら。
そのすぐ後の斜面ではつばさくんとお父さんがなにやらほんわかと遊んでいてそのコントラストが面白い。

今度はその布を持ったまま少し横に移動し梅の花の前で長谷部さんの発表。布の下で衣装に着替え、音楽がなって踊り始める。法被姿に手には応援するようなバチを持って一曲踊る。次第に客席からも掛け声がかかる。さっきまで抽象的な展開だったのに打って変わってこっちは何か知っているような催し。梅と衣装の赤が綺麗だった。ナイスシチュエーション。

そこから移動。

今度はちょっと高台になっているあづま屋で高田さんの発表。みんなで円になって真ん中の支柱を向いている。高田くんもその円の一部にいて、この支柱を私だと思ってください、と言って話し始める。
みんなが支柱を見ながらその空間をぐるぐる回りながら自分の話をし始める。高田くんを見ているよりも支柱を見ている方が話が入ってくるような感じがする。
ある程度話をしたあとに今度は外周をしながら口琴で音を出している。ビヨーンという音が少しすっとぼけた感じを与える。

そこから今度は移動して街を見渡せるような公園の側の方の比較的、立っている木も少ない開けた場所で津田さんのターン。津田さんは10分を使って立ったまま寝ることにトライしてみよう、と言う。ルールとしては寝てなさそうな人や、寝づらいと思われる様子をした人には声を近くでささやいたりアドバイスを出していくという。
僕はこの日、夜行バスで来たのもあり身体的にも瞼的にも横になりたいという気持ちの一心だったけど、立ったまま寝れるかというとそこまでではなかったので、微妙な飼い殺し状態で一番つらい。疲れていて、意識は寝ることで休ませたいけど身体はこの立つという行為がどのように身体に負荷をかけているか、両方の拮抗を感じていた。
終わったあと津田さんが、ここを通っていく人の景色としては中々に目を瞑ってただ立っている人も多くいる状態が異常に見えたことだろう、と話していた。

少しそこから階段を登って降りたところに茶屋建築と小さな池があり、昨年9月に”どうぶつえん”の時にも来たところで再演のような形で全身をブルーシートで覆った銅ふたろさんのパフォーマンスが始まる。胸元らへんにもったスピーカーから音が再生され、始まるであろうダンスを期待するが、音楽が中々立ち止まってしまって進まない。(どうやら編集した音源がうまく再生されなかったよう)
その調子のままともかく進み始める。結構、ここでは音楽も動きも重要な要素と思われるのでかなり観客としては注意散漫になってしまう。途中茶屋の奥の方で、公園に遊びに来た人たちが訝しげにこちらを眺めていたり、向こうからこっち側に歩いてきたり、近くを半透明こと半ちゃんが途中山の斜面をずるずると滑り(ほとんど落ちるように)降りてきたり、ブルーシートが前回よりも小さい展開だなぁと思いながらそれをはがしたり、かぶったりするような動きが続いた。

そこから正規ルートでは城の入り口にあたる門の方へと帰っていく。
高田さんと早坂さんが門をあちら側が覗ける窓のように借景し、その前でなにやら演劇のようなコントのような会話のやりとりを始める。だらだらとしながらも内容は門の癖みたいなことを身体に置き換えて話したり、途中、門の入り口を境界線とし向こう側とこちら側に二人が分かれて話していると、それはあちらとこちらのやりとりを体現するようにまさしく画面として映っているように感じられる時間があった。
これは”会話”というものの方法を試してみようというトライアルで行ってみたとのことでした。

いったんこの門をくぐったところで17時にそろそろ近づこうというところで、zoomを通して東京、大阪と繋ごうとする。東京は忙しいのかつながらず、大阪とだけ繋がる。とてもすがすがしい顔をした大阪のクルーの顔があり、画面ごしにその地の人々を映しながら代表を通して現時点での感想を伝え合う。東京ともつながらないということでまた振り返り会を今度開催しましょうといったん連絡を切った。

自分の番も近づいてきて状態もぼろぼろに感じられたのでそそくさと先に下へ降りて準備をしに向かう。次の秋山さんはこの高台でパフォーマンスをするのでそれを下に降りたところから見上げるように見てください、ということで集団がぞろぞろと山から降りていく。
僕は半分準備をしていたので片手間でその様子を見ているとなにやら高台の舞台を横スクリーンのように使って、自作であろうきらきらチューンの音楽をバックに右に左にはねながら何やら叫んだり歌ったりしている。途中、謎のコールアンドレスポンスがあり「さたけ!」とか言っているのは佐竹像から来ているんだろう。秋山さんの横では外国からの観光客らしき一行がニヤニヤと見守っていて、その様子を山の麓から集団で笑いながら見ている構図。今までの全員のパフォーマンスとは一線を画すようなテンションのパフォーマンスだった。

最後、秋山さんも降りてきて、僕の出番。
2014年に吉原芸術大サービスで行った「ぱちゃぱちゃパフォーマンス」を千秋公園でやってみようと思った。
今度は見るところをある程度こちらで指定するような形で決め打ちのパフォーマンスを行おうと思った。(もしかしたら元々このぱちゃぱちゃはどこからお客さんが見れるかが結構重要だったのかも?)
それで隠れれるところを探し、そこで水着に着替え、その手前にブルーシートをセッティングし、登場→泳ぐの流れが出来るようにした。
パフォーマンスの再演というのは中々やったことのない試みで自分としても何かをなぞるような新鮮さがあった。映像をよく見たことで覚えていたセリフを言ってみたり。当時やった時はもちろん即興の部分もあり、それがまさか定着するようにして再び言ったのだった。

以上で全てのパフォーマンスが終わり、最後に集合写真を撮って、いったん文化創造館へ帰ってから振り返り会を行うこととなった。


3、おわりの雑記
秋田市文化創造館のサポートについて
2月で一緒の事業としては終えて、自立した取り組みとして出発したこのプロジェクトを間接的に秋田市文化創造館がサポートしてくれるのは大きいとおもいました。この場所が公共劇場ではなく、あくまで市民に開けたコミュニティベースの施設だからこそ可能になっている部分はあるのか、考えたいと思いました。

3会場同時会開催について
3会場同時会開催という立て付けで行われたが臨機応変に会場ごとでの開催となったことやどのようにして集まったメンバーなのかによっても行われる内容に違いが出てくるということが感じられる結果になったのが興味深かった。またその枠組みも含めた違いが、互いのパフォーマンスの延長や手前としても想像して接続出来るようなものだったように思えて、これもまたとても面白いと思いました。
秋田ではじまった「うあーパフォーマンスフェスティバル」。秋田はベースとなるメンバーが昨年「あときとた」のワークショップを受けた人たちで構成されていることもあり、一緒に作った経験や今でも話し合いを重ねることでチームというかコミュニティ的性質を備えてそこに新しく人がやってきて何かをしてというサイクルが今のところみられる。

一方、東京ではすでにそれぞれに活動をしているアーティストたちがブリコラージュ的に集い、それぞれの発表をしていく、またその場でのセッションだとかにもスムーズにも混ざっていくが、あくまで個人の活動が先にあった人たちがその日のためにパフォーマンスを差し出し合ったような感じ?

大阪の方は3人のうち2人がダンサー、もう1人は配信のための撮影を担当。言わば撮影クルーのような形で小さな街の路地を進み、立ち寄り場所が3箇所ほどありそこでパフォーマンスをしていくというスタイル。

3会場同時開催お疲れ様でした。言い出しっぺとして大感謝をお伝えしたいです。
またここで発表される大中小様々な大きさの”パフォーマンス”たちが、その”パフォーマンス”であるということでなんとか地域を越えて見たり話したり集まって見れるということ、興味深く耳を傾けれるということ、このことに可能性を感じてしまうのです。アカデミックに体系立っているわけでもないのになんとなく(現段階では)交換し合えている。もしこれが拠り所にもなりうるのなら全国的に繋げうるのかもしれない、話し合えるのかもしれないし、この”パフォーマンス”の営みは歴史とか土地とか個人とかにも接続するものでもあると思うから、そうするとこのまま全国的に文化的なことを担えるんじゃないかというのが僕の夢想です。もしかしたら国をも越えられるかもしれません。そんな予感を感じさせてくれてありがとうございます。

2024年5月
Aokid


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