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AO・推薦入試の指導の極意とは? :前編【その選択は“逃げ”なのか?】

これまで長くAO・推薦指導に携わってきた私自身の経験から、AO・推薦に象徴される大学受験の大きな変化から見えてくる様々なことを、本ブログにてほぼ毎日お伝えしています。ここで紹介する情報や視点を、特に保護者の方にご認識いただくことで、大学受験を通じて形成される親と子の自立した関係「親子軸」を育むヒントにしていただければ幸いです。

こんにちは。日本アクティブラーニング協会理事の青木唯有(あおき ゆう)です。AO・推薦入試オンラインサロンのナビゲーターも務めています。

さて、ここ最近、一般選抜を避けて指定校推薦などで手堅く合格を手にしようとする傾向の大学受験生たちが増えているそうです。

英語4技能資格の導入や共通テストの記述式などが頓挫し当惑しているところに、さらに、コロナによって大学受験そのものが一体どうなるのか?いよいよ先が見えなくなってきていますから、受験生の「早く進学先を決めて安心したい」という気持ちもわかります。

ただ、こうした流れに対して、「一般入試を受ければ、もっとレベルの高い大学に行けるかもしれないのに・・・」といったジレンマも出ているようです。
「頑張ればもっと高みに行けるのに、頑張らずに安全策を選ぶのは安易な逃げなのでは?」という懸念があるのでしょう。

正直、私はこうした考え方に対して、“本当にそうだろうか?”と、ちょっと疑問に思います。
「もっとレベルの高い大学に入ること」に果たしてどこまで意味があるのだろうか?と思ってしまうからです。

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例えば、地球上の生物の生存と絶滅の歴史を振り返ると、そもそも「優劣」によって命運が決定づけられていたわけではないということが、専門家によってたびたび指摘されています。

むしろ、弱い存在の方が、リスクに対して巧みに逃げ、時には隠れながらも確実に環境に適応し生き残ってきたそうです。

たしかに、人類史を見ても、動物としての強さは、ホモ・サピエンスよりもネアンデルタール人の方が屈強で力強かったと言います。
ですが、結果、生き残ったのはネアンデルタール人よりも弱い存在だったホモ・サピエンスです。
これは決して、私たちホモ・サピエンスが賢く優れていたからではなく、実は非常に弱かった故に、道具を生み出し、仲間同士で協力することを覚え、そうした自分以外の存在による刺激から想像力が進化し脳が発達していった・・・という説がありあす。

大学受験と同じ次元で語れる話ではないのかもしれませんが、こうした学説には、私たちが学ぶべき本質があるように感じます。

少し前に、大ヒットした漫画でドラマ化もされた「逃げるは恥だが役に立つ」という物語を覚えていますか?

このタイトルになっている言葉は、もともとハンガリーの諺(ことわざ)だそうですが、「今、自分が置かれている状況にしがみつく必要はない。むしろ自分を生かせる場所に行こう。そのためには逃げることも選択肢に入れよう。」という意味があります。

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私たち日本人は、とかく「逃げ」たり「隠れ」たりする行為を、ネガティブに捉える傾向がありますが、そういうことではないのかもしれません。

私は、受験生の選択を、「将来にとって意味のあるもの」にするか、「単なる妥協の産物」にするかは、実は、「受験生個人の問題」に終始すべき話ではないように思います。

「指導する側の問題」が、この議論では欠けてしまいがちであることに、違和感を感じるのです。

仮に、受験生がAO・推薦入試という選択をした場合、彼らはどのような指導やトレーニングが必要になるのか?さらに、そうした教育が、一体何のためにあるのか?
受験生を送り出す指導者の方の十分な理解と実践があれば、彼らの「AO・推薦入試体験」を、「自らをより良く活かすためのチャンス」に変えることができるのではないでしょうか?

かなり長い前振りになってしまいましたが、そのような前提で、今回の記事を書き進めてみたいと思います。

(中編につづく)

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