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ただの○○が欲しい

すごいアイデアを思いついた!少なくとも自分は心の底から欲しい!
そう思えるモノがあったとする。

学生の頃とかなら、それは大抵、すごいテクノロジーありきだったり
大きな予算が必要だったりするものばかりで、

「誰か作ってくれないかな」とか「大きな会社に持ち込めばアイデア買ってもらえないかな?」などと妄想して、結果、世に出ない



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もちろん、けっこうなお兄さんになった今ならそんなことはしない。

もっと要素を分解して、果たすべき本当の目的のために削ぎ落として。

まずは自分の手作りで実現できるレベルまでローテクに、手間も少なくなるように、徹底的に落とし込む。

その結果、今すぐ手作りで試作できるレベルまで削ぎ落とされているにも関わらず目的を完璧に達成する、とてもミニマルなモノが出来上がる。

最高だ!最高なはず!

でもその瞬間、
心に浮かぶのは「こんなん、ただの○○じゃん!」と言う言葉。

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あまりにも研ぎ澄まされたそれは、
ただのだったり、
ただのだったり、
ただのだったり、するのだ。

そこから、モノやアイデアを作って世に出して生計を立てる身としては、急に怖くなってくる。

「こんなただの○○、誰でも作れるやん、、」
「似たような前例ありふれてるんちゃうか」

そう思うあまり
機能を追加しよう、とか
高級な素材を使おう、とか
高度なギミックを入れよう、とか
どんどん盛り込む。

そして迷路に迷い込む。

「あれ?本当は何が欲しかったんだっけ?」
結果、欲しくないものが出来上がる。

本当は「ただの○○」が一番欲しいはずなのに!


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なぜ迷路に迷い込むのか。
原因は、視野の狭さにあるのかもしれない。

「ただの○○じゃん」という不安を消すためにアイデアやモノを改善することしか考えてない

そもそもなんで思いついたのか。
自分は何で、すごく欲しかったのか。
どんな目的を完璧に達成できてるのか。

それをきちんと伝える努力に、目を向けるべきかもしれない。

なぜなら、作る人が伝えられる時代だもの。
嘘をついたり虚勢を張らなくても素直なままで、共感してくれる人には、ちゃんと理解してもらえる時代なのだから。


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例えば
ボーっとして薄目で見てしまえばスケボーなんて、ただの板と車輪
でも、そこからすごいトリックとか生み出しちゃう。
それが人間なのだから。

使う人が本当に生き生きする道具って、大抵「ただの○○」なんじゃないかなあ。









(2018年にFacebookに書いてたことを、修正して転載しました)



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ちなみに、トップの画像はコレです


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