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第3話 専門学校を1週間でやめた時に残ったモノ


高校を卒業し、
名古屋にある理学療法士になるための専門学校に通い始めました。


理学療法士を選んだのは身体を動かすことができ、

かつ専門的な分野を極めていく事は楽しそうだな、という理由からです。


ですが、ここで大きな問題が生まれました。


それは愛知県の碧南市という、
どちらかというと田舎よりの、穏やかな町で過ごしてきた僕にとって、

朝の満員電車と、
名古屋駅周辺の人の多さは恐怖であり、

そこからたったの徒歩10分までの学校への道のりは、ただただ長く感じました。


『耐えられないかもな』


と初日で思ってしまいました。


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初日の夜、それとなく父に弱音を吐いた所、


『いずれ慣れれば大丈夫になる。
今は行きなさい』

と言われました。


父としても、
今ここで、息子に逃げ癖をつけさせてしまうのは将来的にみてもよくない

と僕のことを想ってくれていたのだと思います。


また専門学校の入学金や、
前期の学費も既に払ってもらっていた事もあり、

”こんなにすぐにギブアップするわけにはいかない”


そう思い、次の日も学校に行くことにしました。


2日目、3日目と学校に行き、授業自体は楽しかったのですが、

学校を出て人混みに入ると頭は真っ白になり、


“早く家に着きたい。”


その一心でした。


そして名古屋駅の人混みを抜け、
金山の駅に向かう電車内で流れる景色を見ながら、


『病気も完治してないこの状況で、
耐えるのは無理だな』



と心の中で思い、
情けないという想いと共に、


白旗をあげるなら早い方がいい。

またやり直そう。

いつか必ずよくなる時がくる。


そう自分に言い聞かせました。



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その夜両親に頭を下げ、
もちろんお叱りも受けましたが納得してもらい、


4日目の朝に母と一緒に専門学校へ行き、
先生に退学することを伝えさせてもらいました。


とても、とても、情けない事でしたが、

それでも、


(これでもう、人の多い所に行かなくて良い。)


という安心があったことを今でも憶えています。


そんな僕にとって本当にありがたかったのは、

専門学校を辞めて帰ってきた僕に対して、
家族はみんな優しく、


おばあちゃんや兄は


『まぁ、仕方ないんじゃない。』

『拓真には名古屋は難しいかもと心配してたよ』


そう声を掛けてくれました。


そして今振り返ってみると、あの時、

【名古屋に行き続ける】

という選択肢をとり続けていたら、

僕は本当に病んでいたと思います。


罪悪感とともに、その後の1年間、

病気の治療 + 父が個人経営している旅行会社でのアルバイトの日々が始まりました。


この1年が、僕にとって回復の一年になり、

自分と向き合うことのできる、とても大切な一年になりました。



『いつか必ず良くなる時がくる。』


その時の僕は、

この言葉を唱え続けていました。


第4話はコチラ↓

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