付着2.世界の真理を考察してみる。


今回のテーマは「い」だ。
先に伝えておきたいことがある。
このチャレンジ?ではできるだけ思ったことをそのまま書いていきたいと考えている。

なので本来、今日書きたいテーマは決まっているのだが、それまでの心の動きもしっかり書き残しておきたいのだ。
そんな想いを受け止めて、前半で読むのをやめようと思わないでほしい。本人ですら情けないと思ってるので、逆にやめるなら今だ。w



よし。こちらの覚悟は決まった。


では、始めていこうと思う。

「い」と聞いて最初に思いついた言葉は「陰毛」だった。頼む、まだ待ってくれ。
1日目の「あ」がアイスで2日目が陰毛なんて、俺の脳ミソは小学生低学年から「まるで成長していない。」ということに気づいてだいぶ落ち込んだ。安西先生。すまない。


だが、今日の俺は諦めなかった。大人として1つのテーマに向き合いたい。しかし、ここからが大変だった。

イノベーション。
かっこつけすぎだしお先真っ暗だ。(陰毛はどう?)

無視した。

田舎。
いや、昨日と少し被るか。(陰毛は??)

見ないふりをした。

イモリ。
好きだけどちょっとマニアックか。(ねぇ、陰毛は?)

このようにテーマ➡️陰毛➡️テーマ➡️陰毛
の戦いが続いていた。
冷蔵庫の中を覗き奴を見つけたときに「何故、陰毛がそこにいるんだぁ。」とスラムダンクの名言を思わず口に出しそうになるほど、心の片隅にも陰毛がいるのだ。掃除しても掃除しても奴は消えないのだ。

だがここで負ける俺ではない。ONE PIECEのエースになりきり
「…「陰毛」に屈したら男に生まれた意味がねぇだろう。」そう言って闘い抜いた。この時点でかなり陰毛について書かされている罠にも気がついたが、もう後戻りはできない。

というわけで、今日のテーマは「依存」である。陰毛のしつこさを残しつつも何か書けそうなものを見つけた。依存がラーメンのスープなら陰毛は麺だ。2つで1つなのだ。

すまない。やはり黒ひげは強かった。
少し残り香が消えなかったが依存について書いてみようと思う。


本題だ。
人間の「苦しみ」の根源はいつだって依存である。もともと手の中には何も無かったのに、出会い、そして依存していく。それでも、依存が諸悪の根源かと問われると俺は違うと思うのだ。

依存がなければ、この世に存在している素晴らしい作品や発明、建造物等は完成していないだろう。そして、それらに救われるといった経験も無くなってしまう。依存から苦しみや快楽が生まれているのは間違いないが、悪いと振り切ってしまうのか昇華させるかは自分次第ということだ。

というより、命ですら依存からできている。
沢山の細胞や原子が、なんらかの依存状態にあるために人間の身体は成り立ってるのだ。そう考えると、依存を無くすなんてことは土台無理がある。

我々は依存で成り立っているのだ。
依存しなければ生きていけない。
依存に依存して生きていかなければならない。

依存症なんて言葉があるが、世間体から見た「異質」に対しての言葉であって生きている限りは全員依存症である。

依存=命。もしくは依存>命だ。

逆に何かの依存から抜け出したいと思ったらこの公式に当てはめてみればいい。公式が成り立たなければ完璧な依存とは呼べないのだ。つまり命がけで依存したらいい。

もう少しわかりやすく言えばこんな感じだ。

「目の前に地上1000m。人が乗ったら100%落ちる崖がある。しかし、今いる場所には酸素がない。」
この状況下で酸素に依存している人間は間違いなく目の前の崖の上に移動するだろう。
「どうせ死ぬんだからわざわざ酸素とりにいかねーよ」って天の邪鬼さんもいると思うが本当に苦しい死の直面に立ったとき、おそらく移動するはずだ。

これを依存物(推し等)に変換すればいい。
「同じ場所に世界に1つだけの推し等身大フィギュア(自分の好きなポーズ)がある。あなたが彼(彼女)を抱きしめに走り一緒に落ちる未来を選ぶ、もしくは尊すぎるからと自分だけ落ちても推しを助ける。」であれば、おめでとう。

公式によれば、依存=あなたの命だ。胸を張って一生大切にしたらいいと思う。

だが、背中を向けて歩きだし「また来世でな。」等と言うなら厳密には依存とは言えないだろう。なぜなら公式が崩れるからだ。

それはあまりにも極端だ!!!!!
推しは尊い!!!!!俺は依存してるんだ!!!!!
命だ!!!!!
こういう方の為にサービスしよう。

上記の状況で目の前にあるのは、フィギュアではなくドラえもんクラスの高性能AI。もはやあれは生き物だ。姿も声も全て推しで、あなたが好きだ。ここでドラちゃんと一緒に死ぬか、ドラちゃんを助けるか。こう考えると、どうだろう。

変わらんか。

何が言いたかったのかと言えば、依存とは掘り下げると命と同等であり誰もが依存しながら生きている。という単純な話であり、軽度の依存(仮)ならば誰しも持ってるんだから気にしないで生きようぜってことだ。

崖の上にタバコが落ちてようが拾わないが、俺は今日もタバコを吸っている。胸を張って好きだと言える。要はそんな自分を受け止めてあげれるまで依存(仮)と過ごしてみる。ってのが唯一そのしがらみを解く鍵なのかもしれないということだ。
突き離そうとすればするほど苦しくなるのは自分なのだ。

こんなに依存について書いてるのに頭の片隅にまだ「陰毛」がいる俺は、どうやら何かしらの依存(仮)を奴に抱いているのかもしれない。時間があったら陰毛について深く考察してみようと思う。

それと今日解ったことがもう1つある。
テーマを膨らめようと俯瞰で見れば見るほど
テーマが霞んで自分が苦しくなるということだ。後半は水面下でだいぶバタ足をしていた。

何事も深く考えてしまっては答えが遠のいていくのかもしれない。

力を抜けるときは思い切り抜いて、明日もいい日にしてください。

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