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泥濘(短編小説)

 僕は崖っぷちに立たされたような気がしました。
 書いておきます。僕は一生許す訳にいかないのです。本当に学校という間取りの社会というものは残酷です。弱い僕を皆していじめています。何も出来ずにただうずくまって、手も足も口すらも切断され芋虫のようにじたばたしているだけの僕を、皆して蹴り倒そうとするのです。僕が弱いことを、何も言い返せずにただ笑っていることを、喜んで彼等は問答無用で僕をいじめるのです。そう思えば僕は弱すぎました。僕は自分というものを、吐いた蚕で隠すのをいかにも得意としていたのです。一体僕は何がしたかったのでしょう。僕はなんの為に倦怠に耐え嗚咽しながら吐き出したその蚕で彼等を守ったのでしょう。思えば僕の行動の全ては矛盾していました。やはり脳と心は別なものなのでしょうか。僕は率先して彼等が悪くないようにその場その場に嘘をついていたわけです。本当は彼等を今にそびえる崖から突き落としてやりたいと本気で念じていたのですが。また僕にあるその矛盾というものは、実に僕がこの世界から去ることをすすめました。僕は甘えてその誘いを断ることは出来ませんでした。自分に嘘をつく自分すらも嫌いになったのです。それから僕はなんども死にたいと思いました。二日に一回はそう思いました。しかし、今こうして生きている限りでわかることなのですが、僕の中にあるそれは僕の自殺をいつも本気にはしてくれなかったのです。僕自身を嫌いになった故に起こった自殺の考は、いよいよ形なき人に甘えるだけの下劣なものになっていたのです。僕はそれから長い間、訳の分からぬ泥濘にぽちゃぽちゃと余韻も残らぬ音だけを奏でているだけの生活をただひたすらに送っておりました。彼等にいじめられる、笑う、蚕を吐く、奏でる。
 
 しかし今日は、なにか違ったのです。本当にいよいよ死んでしまうことを悟ったのです。妙にその日は日曜日の朝の癖であったのに、薄暗かったのです。そしてしばらくたって僕を呼ぶ声がしました。もう昼飯だというのです。時計を見てみると、もう十二時でした。昨晩寝たのが、十時ですから、大分寝ていたことを知りました。余っ程、夢の方が楽しかったのでしょう。階段を降りるだけで、胸がどきどきしました。母と普段通り接することが出来るか、不安で仕方がなかったのです。しかし僕は案外にもやわであったのです。僕は何故か、今までの自分に巻かれた蚕を全てぶち破りました。何故なのでしょうか。昨晩見た夢がそんなに良かったのでしょうか。僕の口は止まろうとはしませんでした。心は母に一切を打ち上げました。母は、無理な同情の言葉すらもかけずに泣きました。大方僕が可哀想な、増して気の毒にすら見えたのかもしれません。母は洗いかけの皿をそのままにして上へ上がりました。僕は母を気の毒に思いました。ある時僕は、母が付けたこの名前を馬鹿にされたことがあるのです。なんともつまらないネタにされたこともあったのです。僕は母が上へ行ったことを良いことに、声も出さずにひっくひっくと音をたてて泣きました。部屋に響がうなりました。無論その音はあの泥濘の音とは一風違っていました。僕は冷めかけたご飯の前に座りました。それがおかしいのです。僕はお腹が空いているはずなのです。しかし僕はご飯を口へ入れようとすら出来なかったのです。仮に味噌汁をすすったとしても、味も匂いもないわけです。嗚咽がしたのです。そこで僕は無限に思えた蚕が、いつの間にか枯れて無くなっていることに気付きました。
 僕は急いだように家を出ました。涙は乾ききっていました。そしてとうとう海まで自転車を飛ばしました。六キロはありましたが、あっという間のことでした。苦ではありませんでした。泥濘の音が、とうとう僕の鼓膜に響を与えました。川の流れが非常に緩やかになっていきました。目の前を見ればいつしか見たことのある例の崖でした。そこから僕はただぼんやりと五キロ先の世界だけを眺めていました。ただぼんやりと。世界の端というものは、この崖ではないかしら。
 
 視界が曇り、ようやくあの音も鳴り止み、そして...僕の背中は何者かによって押されたのです。尤も、後ろを見ても誰もいませんでしたが。

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