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夜明の街(掌編小説)

 体を起こしてみると、まだ外はほの暗かった。体がズキズキ痛む。コンタクトを付けた。視界が明瞭になる。    足取りは昨日よりも遅かった。私は気付かぬうちに、家から飛び出していた。東雲色は街の街灯を明るくしていた。東雲色は私の耳に冷たさを与えた。口を覆う-私と全てを遮断する-マスクが鬱陶しかった。外そうかと思った。周りを見渡した。誰もいなかった。私はちょっと不良になってみた。ありのままである。元来人は不良なのだ。誰しもがちょっぴり、悪さという行為をするのだ。そう言い聞かせて、新

    • 軟膏

       夏は嫌いです。  古き夏を思い出すならば真っ先に、母が軟膏を私の腕に塗りたくる様子を思い出します。母のやさしいやさしい手は、私の白くかさつくところを真っ新に綺麗にして、赤くぷくりと炎症するところを若干刺激して、そして白波のような艶をはしらせます。あの軟膏のなんともいえない不愉快さ、それにうるさい蝉の声や、微妙に回転して誰もいないカーテンを揺らす、気の利かぬ扇風機が、それとあいまって、私はますます、腹が立つのです。やけになった私は、その鈍重な扇風機の頭をガツと掴んで、醜く回転

      • 百日紅

        花言葉。「あなたを信用しています」 悪魔の花だ 気味が悪い。こいつが人間なら、真っ先に人をいじめ殺しているだろう。それも卑劣のごとく!間接的に。そのくせ、本当に綺麗だから、ますますいじめっ子な感じがする。 「あなたを信用しています」 もしこれを上の者に渡されたとしたら僕は発狂するだろう。 相手から受ける信頼は自分の人格と情緒を跡形もなく壊すのには、容易すぎるものである。 信頼によって成長する者は恐らく、信頼にそって行くと辿り着く霧島を莫迦みたいに信じるものである。あ

        • 名月記-狭い恋路に添える唄- (短編小説)

           中秋の名月には、ススキという白く、今にも月に溶け混みそうな、お月見のお供えものが似合いますが、私はあの時から、月といえば真っ先に、あの彼岸花を思い浮かべるのです。    ―若くして亡くなったある小説家の遺書から―    この世をばわが世とぞ思ふ望月の虧たることもなしと思へば。私の、―貴方に会うまでの―人生というものはこの短歌一つで言いあらわすことのできるものだったと言っても過言ではないでしょう。しかし、今になってようやくその事実が、虚無で、淡白な、面白みの無いものだったとい

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        夜明の街(掌編小説)

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        • 夏景色帳
          1本

        記事

          一円小説(短編小説)

          今この時私はどうやら決心をしたようである。        今年十八。私は第二志望の、だらしない高校に通っている足元が薄暗い少年である。行く先の道中では必ず水たまりがある。それもドブのような匂いのものである。このドブを毎日のように吸っているものだから、人の木香のような、綺麗な香りに対して鼻をつまむ。  そんな時、私には将来という、分かりきったけれどもおぼろげな、ゴミでいっぱいの霧島の形状についての話を、先生と呼ばれる者から突き出された。たいへん狼狽した。なぜこのような頭の痛くな

          一円小説(短編小説)

          泥濘(短編小説)

           僕は崖っぷちに立たされたような気がしました。  書いておきます。僕は一生許す訳にいかないのです。本当に学校という間取りの社会というものは残酷です。弱い僕を皆していじめています。何も出来ずにただうずくまって、手も足も口すらも切断され芋虫のようにじたばたしているだけの僕を、皆して蹴り倒そうとするのです。僕が弱いことを、何も言い返せずにただ笑っていることを、喜んで彼等は問答無用で僕をいじめるのです。そう思えば僕は弱すぎました。僕は自分というものを、吐いた蚕で隠すのをいかにも得意と

          泥濘(短編小説)

          個人の思想

          個人の生きる意味というのは世間体から見ると実につまらないものである。つまらない。しかしそれを言われるのが嫌だからといって、無理に自分をつくり、その無理をした自分の生きる意味さえを見つけ出そうとする馬鹿がいる。そいつあ馬鹿だ。自分ほど尊いものに気づいていない。 世間が求む生きる意味というものを考えるのは時間の無駄である。また考えたところで個人にとって害である。 個人の無駄は世間の害であるものもある。害というものはなにかね。世間というものは個人の思想によって成り立っている。世

          個人の思想

          100人ありがとうございます!!

          頑張ります200人

          100人ありがとうございます!!

          「黄山雨過」(五)(連載小説)

          バスから降りたらずっしりカバンが私の肩に乗っかって、邪魔臭かった。しかも夏であったから汗も滝の様で、さらには顔もひりひりしていたからバスに降りただけで私の臓腑は既に煮えたぎっていた。どうせろくなものにはならないと、諦めてさえいた。しかし私のその期待はすぐに裏切られた。六人部屋出会った気がする。重い足取りと煮えたぎった臓腑と諦めでその私の部屋であるイチマルイチゴウシツを見た途端私は跳ね上がりそうにまでなった。部屋が薄暗かったのは既に分かっていたことだが、二段ベットだったのは嬉し

          「黄山雨過」(五)(連載小説)

          風鈴(超短編小説)

           都会の風はいつでも気味が悪くなるから嫌いである。私は二年前くらいからこの下宿で大学に通っているのだが、地下線も彼等の性格も慣れてきたものだが、この薄汚くねっとりした風だけは慣れない。特にこの夏に来る風は、味気なくて夏らしくない。 そんな時私は故郷を思い羨む。故郷は田舎で、コンビニはそう簡単に見つけ出せるものではなかった。  しかし自慢なのは夏の風は心地良かったことだ。それ故に私は時代遅れな風鈴をかけた。 この風鈴を私はこの都会に期待してわざわざ持ってきたのだが、風以外

          風鈴(超短編小説)

          I become cold(詩)

          わたしにはすきなひとがいる そういやさあ、そのひときのうじこでなくなった  なんでだろうねえ かなしくないや かなしくないや さむいよ さむいよ つきがきれいですね きみはさいごにそういいましたね そうせきせんせいにあこがれすぎです わたしはいっこうにあたたかくなりません

          I become cold(詩)

          黄山雨過(四)(連載小説)

          小学四年生の時、なにやら親の前で将来の夢について語るという羞恥極まりない行為をそろいもそろって三十人で共にやったのだが、私はさすがに母でもこの御立派な自分の姿を見れば、潤むものが潤むだろうと思ったのだが、まるっきりそんな様子がなかった。ただ優しそうな、暖かそうな目で私を見た。私は全身が溶けそうになった。私は今母の顔をみたらさすがに溶けだすと焦って、原稿をじっと見て早口で喋りだした。しかし原稿しか見てなくてもやけにゆるゆるしたから驚いた。やわになったものだなあ、と生まれた時から

          黄山雨過(四)(連載小説)

          日没にて(超短編小説)

          駿府城にて、時の天下をおさめた徳川家康公が床についてごほんごほんと二つ咳をした。以前、永遠のライバルである太閤殿下が亡くなられた日を思い出した。家康公はあの時の暗く陰鬱な部屋の様子を記憶していた。まさしく今がそうであった。記憶がだんだん薄れた時、雨がだんだん降り始めた時、いよいよ雨音が大きくなり始めた時、彼の記憶はページをめくるようにパラパラ走馬していった。 彼は幼少の時に飼っていた小鳥を使用人に手違いで逃がされた時を思い出した。あの時が初めて自分の心が憤怒に溺れた時だから

          日没にて(超短編小説)

          洗脳(短編小説)

          あの方が言うから、そうなのだ。残念ながら。君がいくら説得しようとも、残念としか言いようがない。君の中の正義というものがそれならば、君は僕の敵だ。たとえ僕の親友である君だとしても仕方がない。なんとも言えない。もちろん君の正義を否定したい訳ではないが、否定でもしないと僕達の正義がいっきに崩れる。そうなれば僕の精神すら崩れてしまうからだよ。 例えば僕の親が僕達の正義を壊そうとするのならば、僕はまず親であろうが、その精神と命と生きる意味とを壊すつもりだ。尤も、それは僕の私情による怒

          洗脳(短編小説)

          黄山雨過(連載小説)(三)

           幼稚園の頃はまだ大人しくかわいらしい子であったと思う。外で暴れて、傷一つ持ち帰ったことすらなかった。否、外で暴れることすらなかった。母が過保護だったからである。その過保護に逆らわなかったのには理由があった。私は幽霊を本気で信じていた。 なんの、これが失態である。その純粋な信仰を母は悪用しやがった。可哀想なものである。ちょっぴり勝手なことしようとしたら、その幽霊を垣間見せやがるのだ。嫌な奴だと思った。が、その絶対的信仰に逆らうためには時間がかかったものである。因みに、いまだに

          黄山雨過(連載小説)(三)

          八足の牛(エッセイ)

          少し見にくいのだが、なんだか白い、ところどころに黒い斑点がある、なんだあれ。牛か?牛だ。 カップルかなあ、密になってる。羨ましい限りだよ。 そう思えば、牛にも人間と同じような「恋」をするから、あのように遊牧名義で囚われていたとしても、幸せだろうな。知らないけど。 人は「恋」をしている時が、一番生きている感じがする。またそれは幸せというものであるとも言えないことはないと思う。 人を愛す。なんとも美しいことだ。 そして結ばれ、八足の牛になる。

          八足の牛(エッセイ)