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「黄山雨過」(五)(連載小説)

バスから降りたらずっしりカバンが私の肩に乗っかって、邪魔臭かった。しかも夏であったから汗も滝の様で、さらには顔もひりひりしていたからバスに降りただけで私の臓腑は既に煮えたぎっていた。どうせろくなものにはならないと、諦めてさえいた。しかし私のその期待はすぐに裏切られた。六人部屋出会った気がする。重い足取りと煮えたぎった臓腑と諦めでその私の部屋であるイチマルイチゴウシツを見た途端私は跳ね上がりそうにまでなった。部屋が薄暗かったのは既に分かっていたことだが、二段ベットだったのは嬉しかったからである。二段ベットが嬉しかったのは一人っ子には仕方のないことでやはり初めて見るものであるからだ。皆兄弟がいるからやはり、特に珍しそうにもせずにしていた。当時の私にはそれが不思議で仕方がなかった。
 もうすっかり頬の痛みも引いて、さあゆっくりしようと大の字に転がってみると案外に部屋は大きくなかった。やはり一人っ子というものは狭いところが好きだ、と言ったら良いのかはどうかは知らないが、しかし少なくとも当時否今でも私自身は狭いところが好きなのである。これについて一人っ子というのを結びつけて理屈立てるのはあまりにも奇妙であるが、無論私の勝手な思い込みでもあることを忘れないで欲しい。しかしまたこの狭いのを窮屈だと批判したのは一人っ子ではない私以外の者だったからそう偏見付けてしまうのも仕方のないことである。
 勿論のことながら私は二段ベッドの二段目に拠点を設けた。その時の景色というものは、空に浮かぶ竹田城から見た景色のような、いかにも不思議で恐怖さえ抱くような、また優雅な好奇心が奮起するような、それまた盛大でもあるのだ。だから大層この拠点を気に入った。私が四日そこで寝泊まりしてもなお変わらぬ心情であったのは竹田城も大変飽きぬ景色なのだろう。しかしながら、私がここの二段目を陣取ったのが獰悪な所業の始まりであった。
 三十分ほど寝ようと心得ていたら、入室してまだ十分も経たないのにいきなり先生の合図がしたから驚いた。なんだいもう時間かよと口々に愚痴を零した者の中には無論私もいた。サラリーマンじゃあるまいしと思っていると足がなかなか動かない。こちとら疲れは限界であったのだ。無論まだろくなことすらしてないのであるが。私は鬱蒼とした林に挟まれた中央廊下を、ただ独りでのっそりと歩いていた。左右の木々がかたかた笑っていたのは実に気味が悪いし、腫れた臓腑に障った。
 

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