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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二話 視えない金魚を視る男

 金魚屋という言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
『金魚屋』という店名は、『金魚すくいという遊戯を提供する店』よりも『金魚を所有している店』という印象を受ける。それとも単なるキャッチコピーか。
 言葉の意味はまだわからないが、金魚屋を名乗る男が、金魚を視る俺を一方的に待っていたのは偶然なのだろうか。とても偶然とは思えない。
「君は、この金魚が見えるかい?」
「金魚? 金魚って、でも……」
 金魚と言いながら、金魚屋の男が指差した先は金魚すくいの水槽ではなかった。金魚屋の男が指さしたのは、自分の右肩の拳一つほど上だ。
 他の客は冗談だと受け取ったようで、面白そうに笑った。だが、俺は笑えない。
 金魚屋の男の指先には、金魚が宙を泳いでいた。金魚屋の男は普通の人間には視えない、俺にしか視えないはずの金魚を指さしている。
 ――視えている。金魚屋の男は、間違いなく、俺と同じ空飛ぶ金魚を視ている。
 つうっと頬を、一筋の汗が伝った。なにか言わなくてはと唇を歪ませたが、声が出ない。餌を待つ鯉のように口をはくはくとさせていると、がしっと隆志が肩を組んできた。
「これが名物! このオッサン、いつもこれ言ってんだよ!」
「オッサンだとぅ⁉ 僕はまだ三十五だあ!」
「え」
 俺は、二つのことに驚いた。
 一つは年齢だ。どうみても二十代後半で、大学で生徒として授業を受けていても違和感はない。
 もう一つは、口調だ。演技じみた喋り方で、大きな身振り手振りで動く様子はまるでミュージカルだ。整った容貌をしているから、上品な言葉や仕草をすると勝手な想像していたせいで衝撃が大きい。
 呆然と立ち尽くしていると、金魚屋の男はもう一度自分の右肩の少し上を指差した。
「君は整った容貌から出てくるとは思えない、金魚が視えそうな顔をしているよ。どうだい。この金魚が視えるかい?」
 なんと答えるのが正解か。だが衆人環視の中で空飛ぶ金魚について語り合えるほど強くはなくて、ゆっくりと首を左右に振ってしまった。
「いえ、視えません」
「んぇ~⁉ なあんだ! つまらない! ああつまらない! 実につまらない!」
 金魚屋の男はわざとらしく大きなため息を吐くと、両手で俺の額を挟むように軽く叩いた。痛くはないが、周囲の目を気にして男から目を背けていたので、体が跳ねるほど驚いてしまった。
 触れた男の掌はひやりとしていた。挟んだときは素早かったのに、離れていくときはやけにゆっくりしている。まるで輪郭を確かめようとしているようだった。滑らかな指先の揺れに目を奪われていると、今度は力強く乱暴に肩を叩かれる。見た目に反して力が強く、驚いて前につんのめった。
「君には、金魚をすくう価値が無い! ようし! 出ていけ!」
 これ見よがしにため息を吐かれ、隆志と共に屋台から放り出された。俺たちの後もどんどん客が放り出されるが、女性客がぐるぐると周回している。
「右肩の金魚が視えないと、金魚すくいはやらせないらしいぜ。意味わかんないだろ」
「うん……そうだね……」
 俺は、直感的に判断した。目的は金魚すくいではない。目的は、金魚が視える人間を探すことだ。

 翌日の祭り二日目、俺は授業をサボって御縁神社へやってきていた。もちろん目当ては、金魚屋の男だ。夕方になり客が押し寄せる前に、話をしたい。
 昨日と同じ場所へ行くと、狙い通り開店準備中で客は群がっていない。よし、と心の中で気合を入れると、金魚屋の男に声をかけた。
「金魚屋さん、こんにちは」
「おや? なにしに来たんだ、金魚視えない少年! 金魚が視えない人間は帰りんしゃい!」
「話をしたくて。水槽の外に金魚がいるんですか? 金魚は水の生き物でしょう」
「その発言こそ、金魚が視えない証明だ! 帰りたまえ! 僕は忙しい!」
 あっはっは、と金魚屋の男は高笑いをして俺の頬をぺちぺちと叩いた。頬に触れるのは癖なのだろうか。日常で頬に触れられる経験はなく、気恥ずかしくて金魚屋の男の手を払い一歩下がった。
 だがここで帰るわけにはいかない。本当に金魚が視えているなら、人生で初めての仲間だ。金魚になる夢のことを相談できるかもしれない。もしかすれば、夢を見なくなるようにしてくれるかもしれない。
 同胞である可能性に期待は高まったが、問題は本当に金魚が視えているかを確かめられないことだ。隆志を含め、昨日の客は皆、演出の一つとしてとらえていた。普通はそうだろう。つまり、男は『自分は特殊能力者である』という演出に尽くしてるだけかもしれない。
 腹を割って話してみたいが、金魚が視える者にしかわからない情報を出すのは得策ではないように思える。手の内を明かしてしまったら、ただの演出だった場合、適当に話を合わされてしまう可能性もある。
 ならば、ひっかけてみるしかない。俺は敵意がないことを示すため、穏やかな子どもに見えるよう微笑んでみせた。だが金魚屋の男は俺に興味がないのか、背を向け開店の準備に戻ってしまう。
 好都合だ。俺の『空飛ぶ金魚が視える者にしか、わからない事実』と思わせる言葉へのリアクションを確かめられる。俺は通りを挟んで向かい側にある、一足早く開店している綿あめの屋台に目を向けた。
「飛んでると、綿あめ機に巻き込まれないか気になっちゃいませんか?」
「綿あめ機?」
 綿飴を作る機械の中で、ぐるぐる、ぐるぐる、とザラメ糖がふわふわの繊維状に変わっていっている。母親に手を引かれた兄弟が、きゃっきゃとはしゃいでいた。
 幼いころ、俺は綿飴の屋台が苦手だった。幽霊という存在について知識を持っていなかったので、金魚が切り刻まれてしまうと思っていたからだ。触れないのだから物理的な攻撃を受けることはないだろうが、今ほど金魚への解釈も深まっていなかったので、大丈夫だと断定することはできなかった。
 それに、金魚になる夢を見ていなかった子どもの俺にとって、金魚は罪のない生き物だった。無残に死にゆく姿は、想像だけでも気分が悪くなる。
 金魚を視られるのなら、『綿あめ機に巻き込まれる』という言葉は引っかかるはずだ。
 なにかしらの反応を見せると思い緊張したていると、金魚屋の男はゆっくりと俺を振り向いた。大きく眼を見開いて、じっと俺を見つめている。
 この反応は、どうなんだろう。馬鹿なことを言っていると呆れているのか、自分と同じ感想を持っていると驚いたのか―ー俺は金魚屋の男の反応を待った。金魚屋の男はちらりと俺の後ろにある綿あめ機を見たが、そのときだった。金魚屋の男は、まるで水に放り込まれたかのように体を揺らして、水槽へ沈むように地面へ倒れ込んだ。
「え⁉ ちょっと! どうしたんですか! 大丈夫ですか!」
「う……」
 想像していなかった反応に、慌てて駆け寄った。前触れのない異変に困惑していると、金魚屋の男の後ろに金魚が一匹飛んでいた。浮遊しながら、金魚屋の男にすり寄っている。俺に憑いている金魚とは色も形も違う。野良金魚だ。
「金魚! 金魚って人を襲うのか……⁉」
 俺は倒れている金魚屋の男を見た。顔は血の気がなく、ぴくりとも動かない。
 金魚が人になにかをするなんて、俺の経験では初めてだ。しかし、金魚屋の男が金魚にとって、特別な人間だったらその限りではない可能性もある。俺は思わず金魚屋の男を抱きかかえ、金魚を払うように手を振り回した。
「この人になにをしたんだ! あっちへ行け!」
 いくら振り払っても、金魚は金魚屋の男から離れない。触れないのだから物理的に移動させることはできないが、それでもなにもせずにはいられなかった。
 どうしたらいいかわからずにいると、金魚のさらに向こう側から一人の女性が走って来る姿が見えた。女性は、ぐったりとした金魚屋の男に駆け寄る。
「かなちゃん! しっかりして!」
 女性は巫女の装束だった。年齢は俺とそう変わらないだろうが、神社の関係者か。
 愛称と思われる『かなちゃん』は、容姿に合っているような合っていないような、どちらともいえないネーミングだ。
「かなちゃんってば、だから綿飴屋さんの近くはやめてって言ったのに」
「あの、どこかに運びますか? 救急車のほうがいいなら、俺呼びます」
「ううん。少し休めば大丈夫。かなちゃん回る物が苦手なのよ。ぐるぐるって」
 少女の指差した綿飴屋を見ると、当然だが店主が綿飴を回している。
 回転恐怖症とは、聞いたことのない症状だ。仮にそういう病気があったとしても、俺が恐れていた綿あめ機を見て倒れるのは偶然ではないように感じる。
 気にはなるが、病人を前に興味本位で追及するのは憚られる。女性に任せて出直そうと立ち上がったが、ぐいっと強く腕を引っ張られよろめいた。
「うわっ!」
「『金魚って人を襲うのか』とは、どういう意味かな。僕の後ろの、なにを追い払いたいんだい?」
「それは……」
 しまった、と目を泳がせた。まだ正体を掴めていないのに、他の人もいる前では話したくない。
 どう誤魔化そうかと焦ると、がさりと後ろの茂みが揺れた。そこにいたのは作業着姿の青年だった。頭にタオルを巻いて、手に嵌めた軍手は煤で汚れている。屋台の店員だろうか。俺はこれ幸いと、作業着姿の青年を盾にして金魚屋の男と距離を取った。
「すみません! この人が変な動きしてたから襲われたのかと思っちゃって!」
「は⁉ 俺⁉ なに⁉ つーか君、誰⁉」
「すみません! 完全に見間違いです! お詫びになにかおごります!」
 作業着姿の青年の顔色を窺いながら立ち去ろうとしたが、許さないとでもいうかのように、金魚屋の男の声が俺を突き刺した。
「石動秋葉くん」
「……え?」
 金魚屋の男は、俺のフルネームを呼んだ。一度も名乗っていないのに。
 初対面だと思っていたが、まさか知り合いだっただろうか。いや、こんなにインパクトのある男は忘れない。
 金魚屋の男は青い顔のまま、水から出るようにゆらりと立ち上がった。ゆるゆると伸びてくる指先は、避けることはできるのに体が動かない。金魚屋の男は、俺の輪郭を確かめるように、俺の頬を指先で撫でた。
「ようこそ、金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ、金魚の少年」
 金魚屋の男の指先は死んだ魚のような冷たくて、ぞくりと背筋に寒気が走り、俺は反射的に振り払った。
「失礼します!」
 俺は、無関係の浴衣姿の男の子の手を握って逃げ出した。金魚屋の男が見えなくなったあたりで、千円を渡して神社から走って自宅へ戻った。部屋に駆け込むと、壁を伝ってずるずると座りこむ。
 金魚屋の男は、空飛ぶ金魚を指さした。空飛ぶ金魚を視る人間を探していた。教えていない名前を知っているのは、俺に憑いている二匹から聞いたのだろうか。あの場で俺の名前を知っていたのは、いつも一緒にいる二匹の金魚だけだ。ならば金魚屋の男は金魚と意思疎通ができるということになる。だが会話をした様子はなかった。テレパシーのような、特殊な会話方法があるのだろうか。
 俺と同じ、空飛ぶ金魚を視ているようではある。でも俺とはできることが全く違う。
「金魚屋……?」
 金魚屋という店名の意味するところはわからないが、金魚すくいの屋台ではない。あの男はなにか違うと、十九年間金魚と生きた俺の本能が叫んでいた。


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