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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十話 消えた思い出の輪郭

 土曜日の朝八時すぎ、俺と店長は新幹線『のぞみ』に乗り新大阪を経由して芦屋へ向かった。新大阪駅で神戸線に乗り換え、芦屋駅からタクシーも使って、東京から計四時間ほど移動してようやく到着した。
「北条大学付属病院。ここが僕とゆきの入院した病院だ。アキちゃんは来たことあるかい?」
「ありません。名前も初めて聞きました。実は知ってる病院だった、とかを期待してたんですけどね。なにから調べますか? 金魚屋は確実にいる前提として」
「『忘れられた誰か』がいないか調べてみようよ。もし金魚屋に関わった者がいたら、そやつは記憶から消去されてるはずだ」
「けど、普通に忘れてるだけの場合と区別がつかないですよ。認知症だったり」
「むむっ。そりゃあそうだ。じゃあなにがいいかねえ。金魚屋ならではのことは~……」
「『急に明るくなった』人を探すのはどうですか? 母さんは金魚屋の元客ですよね。金魚屋に救われた結果性格が変わるなら、父さんみたいに、近しい人が見てたはずです」
「それはいいね! そうだそうだ。ならアキちゃんのお母さんのように『立ち直れなくなる特殊なできごと』があった人に絞るのがいいね。医者と看護師は知ってるはずだ」
 俺と店長は足取り軽く院内へ入った。まずはたまたま遭遇した若い女性の看護師に聞いてみたが、患者のことは教えられない、と一刀両断された。当然だ。諦めて他の看護師に声を掛けたが、誰に聞いても「個人情報です」で打ち切られる。
 繰り返し聞きまわっていると、看護師や警備員に不審な目を向けられていることに気づき、一旦病院を出ることにした。悪さをした子供のように、ドキドキしながら人目のない裏路地に入る。
「ぜんぜん、情報の一つも漏らしてくれないですね」
「アキちゃんの生まれた病院がチョロすぎたんだね。ううん。困った」
「図書館でも行ってみますか? 地元の新聞でもあれば、特殊な事件とか問題はニュースになってるかもしれません」
「いんや。セキュリティ意識が低そうなその辺の人に聞こう。すみませぇん」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください。早い早い」
 店長は方向転換をすると、ぴょんっと通りに戻って通行人に声を掛けた。関西弁で軽快に井戸端会議をしている、四十代くらいの女性の二人組だ。買い物帰りなのだろう、片手に中身の詰まったスーパーのビニール袋を持っている。
「すみません。少々うかがってもよろしいでしょうか」
 女性二人は背後から現れた謎の男に怪訝な顔をしたが、店長の顔を見るやいなや態度は一転した。顔を赤くし、やけに幸福そうな顔をしている。
 店長の顔は、やたらときらめいていた。この人は自分の顔が良いこと自覚して、活用している節がある。隆志がよく言う「イケメンてずるいよな」の意味がよくわかる。俺はスンッと心と気配を落ち着かせて一歩下がった。
「なんでも聞いてください! なにかお困りなんですか?」
 ついさっきまで関西弁だったのに、急に標準語だ。店長の顔に合わせようと思ったのだろうか。神戸芦谷だって高級住宅地だろうに、と思いながらも黙って一歩下がった。
「有難うございます。では、ご近所で突然明るくなったり、性格が一変した人はいませんか? 何年も引き籠ってたのに、快活になって外で遊びだしたとか」
「んー……私は思い当たらないですね。いる?」
「佐竹さんのお嬢さんが、結婚してまるくなったって聞いたわ。そういうことですか?」
「いいえ。もっと、きっかけも前触れもなく、急に変わった人です。最近じゃなくてもいいんです。二十年前とか、もっと昔でも。妙なできごとがあったとかでもいいです」
 黒髪の女性は眉間に皺を寄せて首を傾げたが、茶色いロングヘアの女性はなにか気づいたように「あ」と言った。
「二十年前っていうと、山岸酒店じゃない? ほら、大学生の男の子」
「ああ、あれ。性格が変わったっていうのとは違うでしょ。急といえば同居も引っ越しも急だったけど」
 性格の変貌ではないが、店長は気になったようで女性へ一歩近づいた。
「詳しく教えてください。どういう状況だったんですか?」
「山岸さんって、お年寄りのご夫婦で酒屋をやってたんですよ。それが突然、大学生の男の子を住まわせたの。身内じゃないらしいんだけど、曰く付きの子だったのよ」
「マスコミすごかったわよね。心中の生き残りだとか、同級生を殴ったとか、怖い話の多い子だったの。だから山岸さんは騙されてるんじゃないかって、皆心配してたのよ」
「騙されているような実害があったんですか?」
「ううん。少ししてわかったたけど、すごく良い子だったわ。配達サービス始めてくれて、町内の行事も率先して手を貸してくれたの。ゴミ拾いとか力仕事とか、面倒ごとはな~んでもやってくれてね」
「話し相手にもなってくれてたわよね。愛想良くて聞き上手で、お年寄りには大人気だったわ。あの子がいたときだけ町内が明るかったもの」
「山岸さんは今も近くにお住まいなんですか? お話をうかがいたいんですが」
「十何年も前に亡くなってます。でも、葬儀も変だったの。山岸さんはお子さんがいないから、その子が喪主で準備をするのかと思いきや、見たこともない男の子で!」
「親戚か、身内ではないのですか?」
「そうかもしれないけど、ずっと放っておいて厚かましいじゃない。その子は姿も見せなかったから、きっと追い出されたのよ。その後すぐに家は取り壊されて、その子もいなくなったわ」
「せめて挨拶くらいしたかったわよね。本当に残念だわ」
「山岸さんご夫婦の死因はわかりますか? ご病気で体調や性格が変わってしまったとか」
「普通でしたよ。健康でボケてもなかったし。九十近かったんで、老衰だと思います」
 俺の感想は、相続問題にでもなったのだろう、というところだ。金魚憑きだったなら、俺のように異常者扱いを受けただろう。人気者にはならない。
 だが店長は気になるようで、さらに一歩、女性二人へにじり寄った。
「その男の子の名前はわかりませんか。苗字でも下の名前でも、どっちでもいいです」
 女性二人は顔を見合わせて考え込んだが、首を傾げるだけで表情は曇ったままだ。
「ごめんなさい。覚えてないわ。でも大学生だったから、とっくに大人よ」
「なにかわかりませんか? 当時の学校か、同級生とか。些細なことで構いません」
「さあねえ。個人的な付き合いもなかったし。あ、鹿目かのめさんなら知ってるかも」
「鹿目さん? その男の子のお友達ですか?」
「山岸さんと仲が良かったご家族よ。お孫さんがその男の子と同級生で、殴った事件に関係があったんじゃなかったかしら」
「鹿目さんの下の名前と居場所はわかりますか? その方に聞いてみます」
浩輔こうすけくんよ。卒業した大学でカウンセリングの先生をやってるらしいわ。北条大学」
 黒髪の女性が店長の後ろへ目をやり遠くを指差した。指の先には大きな建物が見える。
 北条大学といえば、店長と雪人さんが入院していた『北条大学付属病院』の名そのものだ。繋がったといえば繋がったが、「それだ」と頷けるほどのインパクトはない。
 反して、店長は情報に満足したのか、目を開けていられないほど眩しい笑顔で女性二人に頭を下げた。
「有難うございます。大変参考になりました」
「いいえ! なにかあればいつでも!」
 いつでももなにも、通りすがりに次などない。連絡先まで聞かれそうな勢いだったが、必要以上のリアクションをされる前にサアッと立ち去った。店長の慣れた対応に感心しつつ、俺も慌てて頭を下げ、小走りに店長を追った。
 大通りに出ると、店長は目を輝かせてうっすらと笑みを浮かべている。
「今の話、どこが気になったんですか? 特殊っぽいですけど、金魚と関わってる印象はないです」
「そうだね。どちらかといえば累くんと似てる。突然現れて店舗を手にした、ってのは」
「あ……」
 言われてみればそのとおりだ。金魚になにかされてる側のことばかり考えていたが、目的は金魚屋を見つけることだ。手がかりは金魚でも金魚屋でも、どちらでもいい。
「山岸酒店は金魚屋の店舗だったかもしれない……」
「男の子のエピソードも気になる。心中の生き残りなんて、アキちゃんのご両親と同じくらい『立ち直れなくなる特殊なできごと』に思える」
 それでいけば、その男の子は金魚屋の客だった可能性がある。
 山岸夫妻が金魚屋で、店長と雪人さんになにかをしていたのだろうか。だが山岸夫妻は亡くなっていた。やはりその子を探す必要がある。
「鹿目浩輔とやらを当たろう。なにかわかるかもしれない」
 店長は玩具を手にした子どものような表情で笑っている。俺も、そろそろ答えを掴めそうな気がしていた。



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