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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十話 藤堂叶冬という男

 店長に見惚れていた両親は「お時間があればご挨拶を」と言われて、すんなりと家にあげた。女性である母はともかく、父まで頷かせるとは、店長の顔面の強さには恐れ入る。
 それよりも、俺が混乱しているのは店長の見せてくれた名刺だ。藤堂ホールディングスは店長の指示で知った企業だ。代表取締役社長の名刺を持っているということは、店長ではなく社長だったということだ。
 しかし違うようにも思われた。名刺の名前は『御縁叶冬』ではなく『藤堂叶冬』だったからだ。
 一体なんなのか問い質したいが、今ここで俺が「あなた誰ですか」とは言えない。両親と一緒になって店長をじっと見つめてしまったが、いち早く動いたのは父だった。
「いや、驚きましたよ。どうりでお顔に見覚えがあると思ったんです」
「なあに。お父さん知ってるの?」
「不動産業界で急成長してる企業だよ。この二、三年で利益が倍以上になって、あっという間にトップ企業の仲間入りだ。メインは個人だけどオフィスにも手を伸ばしてるとか」
「よくご存じですね。まだまだ新参者で手をこまねいています」
「そんなご謙遜を! いや、年月でいえば新参者でしょうが、経営は数字がすべてだ。オフィス系の大手不動産も震えあがってるというじゃないですか。成功に新参者かベテランかなんて関係ありませんよ。いやあ、こんな辺鄙な場所でお会いできるなんて!」
 見たこともないほど、父は高揚していた。父から仕事の話を聞いたことはなかった。いつも適当なことを言い、いいとこ、冷や水を浴びせるだけだ。軽薄にも感じていたのに、意気揚々と目を輝かせる姿は頼もしく感じられた。
「しかし、なぜ秋葉と? 秋葉がご迷惑をおかけしましたか」
「とんでもない。秋葉くんには私の仕事を手伝ってもらってるんです。梓川大学にも新卒求人を出してるんですが、秋葉くんはいち早く申し込みをしてくれたんです」
 ようやくブックマークミッションの意味を理解した。両親に証拠を見せなくてはいけなくなった時の下準備だ。『わー!』と驚くサプライズではなかったが、根回しの的確さには恐れ入る。
「秋葉、お前もう就活してたのか。けどなんだって不動産業に? 興味あったのか?」
 店長の作り話を両親と一緒になって聞いていたら、突然話題が降られて慌てた。嘘でもそれらしいことを言わなくてはと、キャリアセンターの職員の男の子が言っていた言葉を思い返す。
「キャリアセンターで視野を広げたほうがいいって言われたんだよ。それで、決める前に知らない業界も見てみようと思って」
「弊社としては最適な人材です。実は、飲食の子会社を作るんです。オフィスビルや個人マンションに飲食のチェーン店を入れてるんですが、将来的には自社でやりたくて」
「ははあ。まあ利益的にはそうかもしれませんが、あまりにも分野違いでしょう」
「おっしゃる通りです。なので今は、有期雇用職員で実験的に小規模なカフェをやっています。それが秋葉くんにバイトしてもらってる黒猫喫茶なんですよ」
 店長は鞄からノートパソコンを取り出して立ち上げると、手早くなにかを表示させた。画面を両親に見せ、俺も一緒になって覗き込む。
 表示されているのは黒猫喫茶のホームページだった。高級路線というよりは、女性向けのコンセプトカフェのようなデザインだ。サイト内を黒猫がぴょんぴょんと飛び回っている。気になるのは店舗の写真だ。古民家風の一軒家をカフェにしているような店舗が映っていて、御縁神社の黒田彩菓茶房とは比べ物にならないほどきちんとしている。
 俺の勤務地ではないが、黙っておく場面だろう。俺は背を伸ばして店長に並んだ。
「まあ、素敵なお店。この黒猫シュークリーム、とっても可愛いわ」
 ホームページにはメニューも載っていて、一番人きは黒猫のシュークリームらしい。営業しているところを見たことがないので真相はわからないが、店内には馴染む商品だ。とても可愛くて、この状況でも、ちょっと見てみたいかも、なんて思ってしまった。
「有難うございます。黒猫喫茶はオフィスビルがターゲットです。会社は出勤が嫌になったりするでしょう? でも好きな喫茶店があれば気分も変わる。仕事の支えになる店にしたいんですよ。完全な新規事業なので、私が進めています。店舗で接客にも出たりして」
「ほお。じゃあ藤堂グループの直営ですか」
「はい。社長・・の私直轄です」
 今日の店長は。出会ってから一番美しく微笑んでいる気がする。言っていることは嘘ではないのだろうけれど、美しく飾りすぎて嘘っぽい。
「黒猫喫茶の現場は紹介予定派遣と、新卒入社を視野にいれたアルバイトでやっています。秋葉くんはカフェ経験もありますし、視野を広げたいという意欲が良い。新規事業には若い推進力が必要不可欠です。彼はまさに私が欲しい人材なんです。ですが、面接を頼んだら『追って連絡』と返事をいただいて。ならば先んじて、外遊で魅力を教えついでに、ご両親という外堀を固めてしまおうかと思った次第です」
 あはは、と店長は爽やかに笑った。新進気鋭の若手社長と成長中の事業、社長自らスカウトして連れている――というのは、とても綺麗で説得力がある。母はホームページを飛び跳ねている黒猫を突いているが、父は満足げに大きく頷いて俺を見た。
「秋葉、これはすごい話だぞ。社会を知る一歩目としては最高のスタートだ。藤堂グループは子会社も多いから、いろいろな仕事を知れるはずだ」
「有難うございます。でも不動産は、魅力を想像しにくいでしょう? ならまず慣れた地元で仕事を知ってもらおうと思ったんですよ。こうしてご両親にも会いやすくなる」
 ぽんっと店長に肩を叩かれた。そういえば、両親に会うのは母を落ち着かせるのが目的だ。そして今、両親は大人しく店長の話を聞き、信頼までしてしまっている。
 藤堂ホールディングスへのブックマーク、面接をするという証拠作り――信頼を獲得する見事な根回しに、ただ感嘆する。
 社会人として立派な人で、プライベートにも配慮してくれるなら両親は文句なしだろう。ならば俺も店長の配慮を無駄にできない。母は「両親に会いやすい」という、自分にとって都合の良い言葉に微笑んで俺を見た。期待してる言葉は、考えなくてもわかる。
「仕事のついでに顔出すよ」
「ええ! ええ! 待ってるわ! 喫茶店代わりに休憩してくれていいからね!」
 母は、ぱあっと嬉しそうに微笑んだ。これは仕事だ――そう思えば、簡単に母を喜ばせる言葉を紡ぐことができた。
 店長はまた美しく微笑んで、ゆっくりと頭を下げた。
「今日はこれで失礼します。外遊や営業の際はまたご挨拶させてください」
「有難うございます。近くにいらしたときはぜひ。秋葉、事前に連絡するんだぞ。スーツが必要なら、金はやるからちゃんとしたのを買いなさい。ネクタイは多く持ってたほうがいいぞ。ネクタイの質だけでも印象が変わる」
「わかってるよ。それじゃ」
 母は安心したように笑い、父は会社員の顔をして笑っていた。俺と店長は軽く会釈をして実家を出ると、両親が見えなくなって、ほうっと大きく息を吐いた。
「疲れた……」
「良いご両親じゃないか。想像よりも良すぎてとっても変だねえ」
「変、ですか? どのへんがですか?」
「良いご両親であることが、だよ。てっきり、粘着質で敵意丸出しの鬼婆が出てくると思ってたんだ。けど穏やかで、ヒステリーも妙な言動もない。就職先は私が決めます、くらい言われると思ってたんだけど、驚くほど簡単に受け入れた。異常だと思ってる息子が、前触れもなく連れてきた得体のしれない男に対して、反応が普通すぎるよ」
「そう言われるとたしかに……」
「アキちゃんから見て、いつもと違うことはなかったかい? 金魚がなにかしてる前提で」
「母が説教しないのは珍しいです。他はとくに……」
 両親を安心させると同時に、ちゃんと金魚に関する情報集めもしていたようだ。俺は翻弄されているだけだったのに。社長だという素性についても聞きたくて、なにから話せばいいか思考を巡らせていると、実家のほうから走る足音が聞こえてきた。
「秋葉! 藤堂さん!」
 走ってきたのは父だった。わずかな距離なのに息切れしている。
「どうしたの? なんかあった?」
「少し時間いいか。就職する前に話しておきたいことがあるんだ。お前の体調についてというか。よく言ってたあれのこととか」
「金魚ですか」
 さらりと聞き返したのは、俺ではなく店長だった。父はびくっと肩を震わせて俺を見た。目が「どういうことだ」と言っている。これまで父は、金魚について追及することはなかった。説明を求められたことも、是も非も言われなかった。
 ――それがどうして今になって。
 店長は一歩前に出て、俺を守るように父の前に立った。
「今回うかがったのは、実をいうと金魚を調べるためです。僕は金魚を知ってるんです。秋葉くんに会うより、ずっと昔から」
「知ってらっしゃるんですか⁉ じゃあこの子の、その……」
「はい。よろしければ、ご存じのことを教えていただけないでしょうか。金魚が秋葉くんに悪影響なら、早々に手を打たなければいけません」
 父は形容しがたい表情をみせた。眉間に皺をよせる様は不愉快そうにみえるが、口元は微笑んでいる。俺を異常者として騒ぎまわる母のほうがわかりやすい。
「もう一度いらしていただけますか。見てほしいものがあります。秋葉、お前にも」
「うん……」
 見てほしい相手は店長で、俺がついでなのは気にかかった。それはいっそ有難い気もして、黙って大人たちについていった。



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