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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第七話 石動秋葉の就職活動

 店長と実家へ行くことが決まった翌日、俺はいつも通りに大学へ行った。一限目から始まり、三限で終わりだ。授業が全て終わって十四時半になると、俺は店長にいわれた『任務』をやりに指示された場所へ向かった。
 正門手前を左手に曲がると煉瓦作りの建物があり、半地下に目的の場所がある。授業を終えて帰っていく生徒の波から横に逸れ、七段しかないを下りた。片開きのガラス扉で、人とすれ違うこともできない。半地下なので薄暗くて狭苦しい気分になる。
 清々しいとはいえない場所へ入ると、中には高校生くらいの一人だけ男の子がいた。首からネックストラップでカードをぶら下げている。
 男の子は俺に気づくと、持っていたファイルを本棚に押し込みカウンターの中へ入った。若くみえるが、職員だろうか。職員と思われる男の子は、病院の会計所が空いていることを知らせるように、スッと右手を上げる。
「どうぞ。案件探しですか? それとも、ご利用は初めてですか?」
「初めてです。まだ二年生なんですけど、いいですか?」
「梓川の生徒なら誰でも大丈夫ですよ。まずは学生番号でログインしてください」
 流れるような案内に従い、俺は向けられたタブレットパソコンの画面を見た。表示されているのはキャリアセンターの専用管理、つまりは就職活動をする画面だ。
 店長に指示されたのは、キャリアセンターで就職活動をしてくるように、というものだった。もちろん、金魚にはまったく関係がない。
 だが、わざわざやらせるからには意味があるのだろう。とりあえずログインすると、画面が切り替わった。ずらりと文字が並んでいて、ぱっと見るだけではなにがなんだかわからない。首を傾げると、職員の男の子がラミネートされた用紙をサッと取り出してくれる。今見ている画面をキャプチャした画像と、各項目の説明がされていた。
「左上のプルダウンで、希望の事業を選んでください。今ある求人が下に表示されます。左側が企業情報で、右側が求人情報。いいなと思う案件があれば、どんどんブックマークしてください」
「ブックマークすると、どうなるんですか? なにか通知がくるとか?」
「ええ。締め切りがもうすぐですよ、とか、募集上限に達しそうですよ、とか。あとは、ブックマークしたことは企業側へ通知がいくんで、スカウトがくる場合もあります。マイページにバイト経験とか趣味特技を登録できるんで、それを見るんですね」
 職員の男の子は、画面を操作しながら通知画面やマイページを見せてくれる。思っていたよりもはるかにしっかりしているようだ。
 事業を選ぶプルダウンを開くと、IT系や医療系、不動産など、さまざまな種類が並んでいた。
「今のお勧めは藤堂不動産ホールディングスです。まだ若い会社なんですけど、不動産業界で急上昇なんですよ。子会社も多くて、IT系にエンタメ、飲食まであります」
「へえ。全然違う種類ですね。すごい」
「社長がすごい人なんです。高校生で喫茶店を企業して、三年間で全国十二店舗! そのために不動産業へ手を出したらしいんですけど、これが大成功して今に至るそうです。自分が若い時に成功してるからか、若手教育に熱心です。絶対いいです。あ、マイページ入力してくださいね。趣味と特技、持ってれば資格も。スカウトの材料になるんで」
「わかりました。帰ったらすぐやります」
 俺はカチッとブックマークをした。画面はとくに変わらず、ブックマーク作業はこれで終わりだ。そして、これこそが店長からの指示だった。
 藤堂不動産ホールディングスをブックマークすること――それで完遂だ。
 目的は教えてくれなかったが、金魚をあれだけ分析した店長のサプライズは興味がある。そのときに『わー!』と驚きたいので、聞かないでいる。
 わくわくしながらログアウトして、職員の男の子にタブレットパソコンを返した。
「有難うございました。今日は作業の流れを確認しにきただけなんで。また来ます」
「はい。管理画面はVPN繋げば自宅でも見れるんで、暇なときに見ておくといいですよ。最初から決めてかかるより、色々見て視野を広げたほうが良い就職できますから」
「わかりました。有難うございます」
 職員の男の子は必要な説明だけをすると、引き留めることもなく見送ってくれた。必要以上に突っ込まれたり回答を要求されたらどうしようかと不安もあったが、さっぱりとしていて助かった。
 俺はスマートフォンでチャットアプリを立ち上げ、店長に『任務完了です』と送った。メッセージはすぐに既読が付いて、店長からは『すごい!』という黒猫のスタンプが返ってくる。
「そこは金魚じゃないんだ」
 金魚を調べてるだけで、好きなわけではないだろうが、真逆の黒猫を送ってくるのは面白かった。漫画では隠し名を使う秘密組織が出てきたりするが、黒猫にしたのは世を忍ぶつもりなのかもしれない。本人はまったく忍んでないが。
 ミュージカルのように動いている店長を思い出すだけで、俺の心も跳ねるようだった。
 続いて『黒猫喫茶で待ってるよ』とメッセージが届き、俺は足早に黒猫喫茶へ走った。

 黒猫喫茶へ到着すると、店の扉には『店長が多忙につきしばらく休みます』と張り紙がしてあった。
「そういや、昨日もやってなかったっけ。営業雑だな……」
 家賃を払うなら、営業しなければやっていけないはずだ。キャリアセンターがテキパキと案内してくれたので、ルーズさが普段以上に気になってしまう。就職もちゃんと考えなきゃな、と思いながら店内に入る。
 店長は、窓際の席にノートパソコンを広げて座っていた。真剣な表情でタイピングしているだけなのに、洗練された美を感じる。黙ってじっとしていれば、美術館に並ぶ彫像のようだ。
「……黙ってればなあ……」
 つい本音がこぼれ、俺に気づいて顔を上げた店長と目が合った。店長はバンッと勢いよくノートパソコンを閉じると、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら俺を出迎えてくれる。親を見つけた子どものような目で俺の腕にしがみつき、ぐいぐいとテーブル席へ押し込められた。
「おかえり! おつかれ! ごくろうさまさま! 無事できたようだね!」
「さまさまってなんですか。言われたとおり、やってきましたよ。藤堂ホールディングスをブックマーク。でもなんの意味があるんですか? 金魚に関係ないですよね」
「んっふっふっふっ。それはそのうちお楽しみ~ってね! もちろん、他にも良い企業があればどんどんブックマークするといいよ。就職は早い者勝ちだからね」
「あー……就職活動って面倒ですよね。今日ざーっと見ましたけど、多すぎて逆に困る気がします。どうやって絞ればいいんですか、ああいうのって」
「キャリアセンターの人にそのまま言えばいいよ。彼らは就活の専門家だ。言われるがまま質問に答えてれば、よさげな企業を見つけてくれる。好きな教科とか趣味とか特技なんかを言っておけばいいんじゃないかいね」
「趣味っていうほどのこともないんですよね。特技なんて、空飛ぶ金魚が視えるくらいしかないですよ。空飛ぶ金魚の会社でもあれば、きっと即採用だと思うんですけど」
「それはあると思うよ。でっかい企業が。求人があるかは別だけれども」
「……あるんですか?」
 店長はレジ台に置いてあった黒猫のクッキーをひょいと摘まんで、躊躇せず開封してバリンと食べる。あまりにも平然としていて、俺はまた、飄々としたこの人に振り回される予感がしていた。


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