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Lizette~オーダーケーキは食べないで~ 第三話 生クリーム調査開始

 自室で生クリームと対峙して、葵はじりじりと後ずさりしていた。
 生クリームはまだ固まりきっていないようで、素早く動くわけでも締め上げてくるわけでもない。葵に手を伸ばそうとするけれど動きは緩慢で、ぼたりぼたりと生クリームが溶けて流れていく。
「あ! そうだ! リゼさんの紅茶!」
 はっと思い出し机の上のガラス瓶に手を伸ばした。帰り際にリゼがくれたミルクティだ。かければ溶けると言っていた。葵は慌てて生クリームの翔の脚に振りかけた。脚を失い立てなくなり、ばしゃんと音を立てて倒れこむ。
「やっ――……た?」
 生クリームの翔は動けなくなっているが、葵にも変化があった。
「なんだろう。なんかスッキリした……?」
 今まで闇に包まれていた心がわずかに軽くなったように感じた。騒動の原因である翔へ仕返しをした気にでもなったのだろうかと、葵は自分で自分を疑った。周囲から非難されることを翔のせいだと思ってはいなかったけれど、どこかでそんな思いもあったのかもしれない。
「……考えるのはあとよ。リゼさんのところに行こう」
 葵は言い聞かせるように首を振り、生クリームを置き去りにしてパジャマのまま家を飛び出した。

 二十三時を回っているから閉店しているかも、と不安に思ったが、店には明かりがともっていた。ほっと安心して店へ飛び込むと、リゼとリンが優雅にお茶を飲んでいた。
「助けて下さい! 部屋に来たんです! 先輩の姿をしてたんです!」
「落ち着いて。ミルクティで溶けた?」
「溶けました。足だけですけど、溶かして逃げてきたんです」
「ならまだ人ではないわね。形を作ってる途中ならオーダーケーキにできる。大丈夫よ」
 リゼは優しく抱きしめてくれた。リンは滑らかな手触りのストールを羽織らせてくれて、ようやく自分がパジャマのままだった事を思い出す。
「有難う御座いま」
「二人とも下がっていろ」
「え? あ……!」
 リンの視線の先には足が再生した生クリームの翔が立っていた。ひたひたと真っ直ぐ葵に向かって来るが、進路にリンが立ちはだかる。生クリームの翔は歯ぎしりをしながらリンを睨みつけているが、睨むだけで飛び掛かってくることはない。
「襲ってこないですね。てっきり殺しにきたんだとばかり……」
「迷ってるのよ。葵ちゃんを殺すかどうするか」
「私を許してくれるかもしれないってことですか?」
「それは私には分からないわ。それに、あの生クリームが彼だって証拠もないわ。姿を利用してるだけの可能性もある。彼は葵ちゃんの自宅を知ってる?」
「いいえ、知らないと思いますよ。教えたことはないです」
「それは妙ね。あれはどこでも自由に現れるわけじゃないわ。発生源となる人間から出てターゲットに近付くの。家に出たなら彼は葵ちゃんの自宅住所を知ってたってことになるけど」
「え⁉ 物理的な移動をするんですか⁉ 魔法みたいにパッパッと移るわけじゃなくて⁉」
「そんなことができるなら、葵ちゃんの体内に現れて内側から破裂させるわよ」
「ああ、そっか。そうですよね」
「それに、大切な弟がいるのに誘いを受けたなら、葵ちゃんは彼にとって大切な人よ。少なからず愛情が向いてるはず。純粋な殺意でなければ生クリームにはならないわ。その約束、本当に葵ちゃんが取り付けたの?」
 リゼはちらりと横目で葵を見た。紅茶色の瞳がきらりと美しく輝いている。葵は翔と待ち合わせるまでの経過を思い返した。
「誘ったのはサークルの先輩です。最初は断られて、でも突然私に参加の連絡がきたんです。けど結局先輩はこなかったんで、私もなにがなんだかわからないんです」
「ふうん。それなら――あら?」
 ふと生クリームの翔の輪郭が揺れた。ふよふよと波打ち、とたんに液状の生クリームに戻ってしまう。
「え⁉」
 生クリームはしばらく波打っていたが、リンが剣を向けたと同時に部屋の隅へ飛んで行った。どこから出て行ったのか、次第にその面積は少なくなりついに跡形もなく消えてしまった。
「かえ、った……?」
「そうみたいね。困ったわね。発生源がわからなければオーダーケーキは作れないのよ」
「翔先輩じゃないんですか?」
「断定できないわ。住所を知らないのに自宅に出てきたっていうのは、どうも別人な気がするわ。そうなると、目的が葵ちゃんを殺すことじゃない可能性だってある」
「たとえばどんな?」
「葵ちゃんが苦しむことで得をする誰かがいるのかもしれないわ。目的はわからないけど。でもオーダーケーキにしない限り生クリームは延々と襲ってくる」
「そんな……」
 リゼは葵の不安に気付いたのか、たおやかに微笑むとふわふわの手で頬を何度も撫でてくれた。
「大丈夫。そのために私がいるんだから」
「リゼさん……」
「さあ。ケーキの材料を揃えに行きましょうか」
 リゼは相変わらず穏やかに、そしてどこか意味ありげに微笑んでいた。

 葵はリゼとリンに連れられて近所をぐるぐると歩き回っていた。
 日中外へ出るのは怖かったが、そうもいっていられない。それに、それ以上に困る事態にもなっている。
「リゼさん、その服で歩くんですか? すっごい目立ちますけど……」
「だって他に服は持ってないんだもの。そんなことより、ちゃんと生クリームを探して。この辺に気配がするんだけど……ああ、ほらあそこ」
 リゼが指差した先を見ると、今にも倒れそうな壮齢の男がぐったりと立っていた。体中は茶色いクリームで覆われていて、最初に出会った生クリームの女と同じような状態だになっている。だが葵は男に見覚えがなかった。
「あの人が私を殺したいんですか? 全然知らない人なんですけど」
「あれは関係ないわよ。チョコレートクリームだし」
「え⁉ クリーム出す人って他にもいるんですか⁉」
「そりゃそうよ。人間の数だけケーキがあんだから。ショートケーキとチョコレートケーキは多いわね。年齢とか性別で種類が違うのよ」
「へえ。だからお店のオーダーケーキはいろいろなんですね」
 クリームが人にまとわりつくのは異様な光景で気味が悪いけれど、殺意を向けられるのは自分だけじゃないことに安心感を覚えた。
 リゼは胸に下げていたティースプーン型のネックレストップを外して放り投げた。みるみるうちに大きくなり、初めて会ったときに持っていたティースプーンの杖になる。
「……リゼさんは魔法の国のお姫様ですか?」
「どうかしらね。そうだったら素敵なんだけど」
 杖を掲げて男の前に立つと、さあっと星屑が降ってきた。星屑に包まれたチョコレートクリームはケーキへと姿を変えるが、ホールケーキではなくガラス瓶に収まる小さなケーキだった。チョコレートクリームと固形のチョコレートが層になっている。
「わー。ホールケーキじゃないこともあるんですね」
「ホールになるほど闇が深くないのよ。心の弱い人はクリームに呑み込まれるのが早いけど小さいわ」
 こうして見ているとただの可愛い瓶ケーキだ。オシャレなケーキ屋さんのショーケースに並んでいても不思議じゃない。葵は触ってみようとしたが、リゼくるりと背を向けそれを阻んだ。
「触っちゃ駄目よ。綺麗でもこれは心の闇。見た目の愛らしさも甘い誘惑なのよ」
「ああ、そうでしたっけ。じゃあどうしてオーダーケーキを作ってるんですか? リゼさんだって危ないじゃないですか」
「義務だからよ。でも、そうね。食べさせないためではあるかしら」
「けど売れなきゃお店困りますよね。受け取りに来なかったらどうするんですか? ん? というか作ってもらったならすぐ持っていくべきじゃないんですか?」
 この異常な状態に慣れてきたからか、あれこれと疑問が湧き出した。
 オーダーケーキといえば、予約して作ってもらって持って帰って食べる物だ。生クリームの女は目の前で完成したのだから持って帰るべきだろう。けれどリゼは一時的に預かっている。心の闇を、なぜ預かるのだろうか。
 不思議に思いリゼに問いかけようとしたけれど、それを許さないとでも言うかのようにリンがずいっと葵とリゼの間に立った。
「閉店時間だ。続きはまた明日にしてくれ」
「え? 昨日はけっこう遅くまでやってましたよね」
「外回りの営業は別だ。また明日きてくれ」
「……はい。わかりました」
「ごめんなさいね。他にもやらなきゃいけないことがあるの。家の前まで送るわ。リン、壁になりなさい」
「わかっている」
 リンは無表情だが、言葉は拗ねた子供のようだった。これは相当頭が上がらないのだろう。
「お二人はご兄妹ですか?」
「まさか。リンは下僕よ。私の下僕」
「え……」
「勘違いをするな。私がお仕えしてるのはリゼの父君だ」
「そのお父様が私に与えたんだから同じことよ。あなたの主は私」
 まるきり姫と騎士のような会話だ。もしかすれば、本当に魔法の国のお姫様なのかもしれない。
 リゼはキャンキャンと子犬の様にリンへ突っかかり、リンはさらりと受け流していく。そんな賑やかな会話に思わず笑いが零れた。
「あ、笑ったわね!」
「いえ、ごめんなさい。失礼しました」
「違うわよ。葵ちゃんが笑顔になってくれて嬉しいの。ずうっと暗い顔をしてたから」
「え? ああ、えっと……」
「大丈夫。向日葵が咲くのもきっともうすぐよ」
 リゼはにこりと微笑んだ。そのまま賑やかな会話を絶やさず、葵が家に入るまで見送ってくれていた。

(第三話 終了)

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