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アクリル・オン・フォト解説

※この記事は、令和3年開催のあおいうに個展「私は撮った⇄撮られた〜アイドルなんかなりたくない~」に合わせて執筆された解説文です。



アクリル・オン・フォト 解説

今回、ステレオタイプな写真ばかり出してはつまらないであろうと思い、写真にペインティングしてみた。


私の写真表現の根底にあるのはいつでも絵画問題である。いかにして写真を絵画的にするか、ということだ。写真は絵画の拡張である。


写真表現と絵画表現の融合といえばゲルハルト・リヒターが真っ先にあがるだろう。彼の作品に「オイル・オン・フォト」というシリーズがある。私は「アクリル・オン・フォト」をやってみた。アクリル絵の具が自分にとって慣れ親しんでいるからだ。


19世紀に写真が誕生した。以降写真は絵画を脅かす存在とされた。今回、この二つをあえてつなげてみた。これは写真なのか、それとも絵画なのか、問いかけを提示する。


写真にペインティングすると、ないはずのものが見えたり、あるはずのものが見えなくなったりする。可視化と不可視化、見える⇔見えないを行き来するのだ。


印画紙に定着した像は非現実ではあるが、絵画は触ることができる現実である。「いま」「ここ」に存在するのだ。アクリル・オン・フォトは現実と非現実との境界をあやふやにする。


リヒターはドイツの男性であるが、私は平成時代に日本で青春を送った。そのためか、このペインティングにニコニコ動画やシューティングゲームの「弾幕」を感じる。また、「アイドルのチェキ」も思い出してしまう。本人も知らず知らずのうちに、アイドルたちはリヒターの「写真なのか、絵画なのか。」という問いかけを再生しているのかもしれない。

《わたしは詩になりたい》2021
《うにキャン》2021
《うにターポ1》2021

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