統一教会二世に生まれて_私も山上容疑者だったかもしれない
私が幼い頃から母親はカルト新興宗教「統一教会」の熱心な信者だった。(現在脱会済み)
統一教会で有名な話と言えば、高額な壺を売りつける霊感商法。
我が家にはその数百万する壺が2つも3つもあった。
母親の部屋には教祖の写真が沢山飾っており、1000万円ぐらいする豪華な祭壇もあった。
そのお金は当時身体障害者で寝たきりの兄のための父の貯金から出ている。
父親は信者ではないため、私が高校生の時に家を出て行き、離婚した。
経済的に困窮していたため、姉妹とも国立大学しか許されなかった。
必死で勉強しても、「当たり前」と、褒められることはなかったし、
芸大に受かったと報告して母親の第一声は「もうお金かからなくて済むね」であった。
子供たちもなけなしのお金で献金をした。献金しないと、「神の子じゃない」と言われた。
聖典『原理講論』も、家族みんな買わされて毎晩訓読してお祈りを捧げる。
しかし、統一教会の教えは「お祈りすれば救われる」ではなく、「お祈りしないと地獄へ落ちる」という脅しの形であった。
私を含む二世たちは脱会済みの今でも幼い頃から逐一植え付けられた「地獄に堕ちるぞ!」という堕落への恐怖が染み付いて消えない。
例えば、婚前に自慰行為など性的な行為をしたり、性に関する本やビデオを見たりするだけで堕落するし、そもそも自由恋愛は禁じている。
私も、「祝福(結婚)相手はお母さんたちが決めてあげるから、男性とお付き合いなんてしちゃだめよ!堕落するよ。」と言われ続けて育った。
知り合いの中学生男子は、自慰行為をしてそれを教育長に懺悔したら、一週間断食と水浴びの刑をさせられた。
少しでも口答えすると「それってサタン的だよ!」と一喝されるので、何も言えなかった。
また、同じ兄妹の中でも「祝福二世」か「信仰二世」かでカーストがある。
子持ちの既婚者が信者になった時に既にいた子が「信仰二世」で、入信後に生まれた子が「祝福二世」。
祝福二世は「神の子」なので、信仰二世に奴隷扱いしても何しても許される。
それが統一原理的に正しい形なのだ。
小中学生の時は、毎年夏休みに「修練会」という合同合宿がある。
山奥の施設に強制的に連れて行かれて、そこで集中講義などの「修練」をする。
私の時は、年上の女の子が年下の女の子をおんぶして、雨の中を走らされたりした。
外部との接触を経ち、限定的な人間関係の環境下で体力も精神力も奪い、そうして洗脳するのだ。
私も、修練会の後は統一原理に感動して涙を流し、色々な人にこの感動を伝えたいと思う時期もあった。
また、自暴自棄になって全てに復讐したいという時期もあった。
しかし、それを防ぎ、目を覚ましてくれたのは、アートの力だ。
私には、「絵」があったから、正気でいられた。こんないつ狂うかもわからない環境下で、だ。
私も統一教会二世に生まれたことを呪った身なので、一歩間違えば山上容疑者になっていたかもしれない。
しかし、私には絵があった。
だからテロリストにならなかった。
もし、アーティストになってなかったら……と思うとゾッとする。
殺人は絶対にいけないけど、山上容疑者の気持ちは少しだけわかってしまう自分がいる。
カルト宗教二世は、意外とそこら中にいて「私も実は……」という人が多い。
そんなに遠い世界の話ではなく、誰もが明日、被害者にも容疑者にもなる可能性はある。
私にはアートがあったから、たまたま容疑者にならなかったし、宗教二世をアイデンティティにもしなかっただけなのである。
「もしも母親が統一教会に入信しなかったら、私はどんな人生だったろう……」
しょっちゅう考えることだ。
しかし、ifの世界をいくら考えても仕方ないのだ。
人生は逆行できない。やり直しが効かない。
いい作品を作っていく。
私がこれからできることはそれだけである。
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