赤いブランコ

 ひろみちゃんね、亡くなったのよと言って、母は電話口で鼻をぐずぐずさせた。
 え、と呟いたなり、私は二の句が継げなかった。部屋で、ベッドのうえで。と、母は続ける。声が震えている。母の声はそれ以上、私の耳に入ってこなかった。
 私はしたたかに酔っていた。酔った頭で、猫のことを考え、ひろみちゃんの顔を思い出そうとした。
 ひろみちゃんは決して美人ではなかった。美人ではないけれど特徴的な顔立ちにはどこか人を惹きつけるところがあったはずだ。にも関わらず、やっぱりはっきりとは思い出すことが出来なかった。少し反っ歯ぎみの口元と、赤を基調としたとりどりの毛糸で編んだ平べったい帽子をかぶっていたことを、おぼろげに思い出しただけだった。その帽子はひろみちゃんのお母さんのお手製だったように思う。そういえば、ひろみちゃんは一風変わった、派手だけれどどこか古ぼけたような服装が、良く似合う人だった。
 聞いてるの? と、半ば責めるように母が言い、うん、聞いてる。と答えたとき、縁側から猫が帰ってきた。妙に丈の詰まった、しなやかさに欠ける、美猫というにはほど遠い、けれども立派な、雄猫である。ひと月程前に突然やってきて、つい、一緒に住むことになった。
猫は白ワイン色の目を見上げ、みゃあ、としわがれ声で鳴いた。「坊、坊や?」と呼び掛けたくなるような、愛らしい形の頭を撫でながら、だけどひろみちゃんは本当にあんな帽子を被っていたんだっけ? と考えた。

実は、母から電話を受けたその日から数日前にも、ひろみちゃんのことを突然思い出していたのだ。ひろみちゃんとはもう二十年以上も会っていなかった。会わないどころか、消息さえ、長い間耳にしなかった。会わない間ずっと、少なくとも十五年間は、私はひろみちゃんの存在を思い出しもしなかったのだ。ひろみちゃんの思い出は記憶のひきだしの奥底にしまい込まれてもう死ぬまで思い出さなくても不思議はなかったかもしれない。それなのに、猫が家に遣ってきた時から、私はひろみちゃんのことを――毎回、ひろみちゃんの姿形はやっぱりおぼろげにしか浮かんでこなかったけれど――、ただひろみちゃんという存在を、思い出すことが時折、あったのだった。
知り合いの知り合いが前に借りていたという甚だ貧弱なツテで、大家さんから直接、破格の家賃で借りられることになったおんぼろ一軒家は庭の手入れが必要で、私は夏のある日、麦わらを被り、草むしりに精を出していたのである。つう、と、光線じみたものを首の辺りに感じて、ハッと目をやった縁の下に、白ワイン色の目をした大猫が、うずくまってこちらの様子をじっとうかがっていた。
「ねこ。ねこや」
私は手袋をはめた指を伸ばして呼んだ。猫は香箱をつくり、肩をいからせたまま眼ばかりを大きく開いて微動だにしなかった。台所の戸棚から出汁用のかつぶしと煮干しを取って来て、縁の下にぱらぱら撒くと、ゆっくり立ちあがり、首を伸ばして、すん、と匂いを嗅いだ。しばらくしてからおもむろに食べだした。時折激しく首を振りながら、一心不乱に、唸るように、食べていた。食べる、という剥き出しの行為に直面して、思わず見とれた。見とれている私になどおかまいなしに、猫は食べ続けていたが、見とれたこころにつけこまれて、つい、一緒に住むことになったというわけだ。
 縁の下の暗がりの中にあの抜き差しならない視線をみとめたときに、私のなかに突然ひろみちゃんの存在がよみがえっていた。

 ひろみちゃんと私の関係はどんなものだったろう。親戚、というわけではなかった。幼馴染みでもなければ、ご近所さんでもなかった。けれども、私は時折姉とふたり、祖母に連れられてひろみちゃんの家に遊びに行った。ひろみちゃんは私より二つ上の姉よりもまだ年かさだった。何となく、私はひろみちゃんに憧れていた。ひとつには、ひろみちゃんは、姉にも――勉強でも人付き合いでも持ち物のセンスでも要領の良さでも私ではとても適わない、その姉にも「勝っている」という気がしていたのだ。そこには何の根拠もなかったのだけれど、そう思うことで何か、わたしは自分のこころを慰めていたようなところがあった。
もうひとつにはひろみちゃんは優しかった。私の小さくてはっきりしない声もちゃんと拾ってくれる、気配りの出来るひとだったし、もじもじしているからといって、私の意見や存在を軽んじたりは決してしなかった(そういう態度にでくわすことは、他のひとの場合には、実は、ままあった。そういう場合には私は決まって地の底に突き落とされるような、冷たい刃を心臓にあてられたような気が、したものだった)。
ひろみちゃんとひろみちゃんのお母さんはぜんぜん似ていなかった。ひろみちゃんは中肉中背といったところだったけれど、ひろみちゃんのお母さんは上背があってとても肥っていた。今考えると顔つきなんかもロシア人っぽい風貌をしていた。ひろみちゃんのお母さんもひろみちゃんと同じくとても優しかった。ひろみちゃんはお母さんと二人きりで暮らしていた。
ひろみちゃんの家にはブランコがあった。それは赤い鉄の輪のなかに向かい合わせの板が二枚わたしてあって、いっぺんに四人も乗れる、公園にあってもおかしくないような立派なブランコだった。ブランコは半円状に本体を囲った鉄のパイプから鎖ひとつでぶら下がっていた。鎖は頑丈そうなものだったけれど、ブランコ全体のペンキが剥げかけてむき出しの鉄が古びているのと同様に、だいぶ錆がついていた。それには何度か乗ったことがあった。姉やひろみちゃんと一緒に。あるいはひとりで。誰かに押してもらうとブランコははじめはゆっくり、じき勢いをつけて前後に揺れた。揺れるたび、お尻やお腹のあたりがすうっ、すうっと心許ない感じになった。頭上では錆び付いた鎖の輪がこすれあい、軋みをたてた。きゅる、きゅる、というそれは、なにか小さな、瀕死の生き物の鳴き声を思わせる音だった。私は目をとじ、瞼のうえに陽の光を感じ、その中に血の匂いを嗅いだ。そうしていると普段の自分のちょっと惨めっぽい立場もわすれて、ふと周りの大人たちが不憫に思えた。たまらずせめて自分にもっとも近しい大人だけでも救ってほしいと祈りたくなるほどの、それは痛切な気持ちだった。ブランコが揺れて、身体の中が空洞になるように感じるにつけ、時間がちぎれ、そこに置き去りにされた大人たちが、可哀想で、ならなかった。
ひろみちゃんの家を訪ねるとき、祖母はきっとお餅をたくさんふかして持って行った。紫色の風呂敷にずっしり、私も姉とかわるがわる手伝って運んだので、よく覚えている。

 ひろみちゃんは優しかったけれど、実は一緒に遊んだという記憶は、そんなには、ない。たぶん年が離れ過ぎていたのだろう。それに私は極度の引っ込み思案だった。遊びに行っても祖母の横に頑張ってへばりついているか、後ろに隠れてばかりいた。
それでも不思議とひとつだけ、よく憶えている場面がある。時期まではっきり覚えている。十二月だった。まだお正月にもならないというのに、ひろみちゃんの家で、ひろみちゃんはお餅を焼いてくれたのだ。本式に火鉢と網を持ちだして。祖母や、姉や、ひろみちゃんの母親は、どこに行ったのだろう。私はひろみちゃんと二人きり、四角いお餅の乗った火鉢をはさんで差し向いになっていた。炭は内側からオレンジ色にかがやき、お餅はじきぷうと膨らんで、網の上でころりと転がった。部屋の中にはあたたかな、何とも言えない良い匂いが漂っていた。
「あ、ほんとうに膨らんだ」
私が言うと、菜箸をにぎったひろみちゃんは大人びた笑い方をした。
「これ、もう少しで焼けるよ」
 芳ばしい匂いが立ち昇って、私はごくりと唾を飲みこんだ。
お餅といえば、私の家では祖母が餅粉を練って蒸し器でふかす、まるい、あんこ入りのものだった(ひろみちゃんの家に包んで持って行ったのも、その大きなお餅だった)。網で焼く四角いお餅なんて、絵本の中でしかみたことがなかった。焼けたお餅を、ひろみちゃんはお皿に取り、砂糖醤油をつけて、差し出してくれた。あわてて歯を入れると、かりっとして、むにいーっと伸びて、ものすごく、熱かった。はふはふしながら、熱を冷ますために唾をたくさん出して、くちゃくちゃと音を立てたのでずいぶんお行儀が悪くなった。ひろみちゃんは長いお箸をもって笑っていた。お餅はとても美味しかった。二口目は用心して、ふうふうと息をふいて、冷ましてから噛んだ。そのとき、兆すものがあった。あ、と思ったが、もう遅かった。
「もっと食べて。たくさん、食べていいんだよ」
 ひろみちゃんは優しく言い、すると私はもう、続けざまに食べるしか、なくなった。兆したものは、私の中でどんどん膨らんでいった。部屋の中が、うす暗かった。
たとえばこれから冬に向けてどんどん寒くなっていくこと。自分が他の子どもより発育のわるいこと。姉と比べて大人に対する受け答えのへたなこと。引っ込み思案のくせに、実は心の中で烈しい思いが渦巻いていること、それをうまく表現できないことの口惜しさ。もっとある。祖母の歩みが前よりも遅くなっているようなこと、ひろみちゃんのお母さんの足首がいやに太くて皮がつっぱっていること、たった火鉢ひとつの距離で差し向いになっているばかりのひろみちゃんが遠く感ぜられること、お尻のや膝の下の畳が冷たく固いこと……。
 兆したものは、こういった普段見ないようにしている不安を押し広げてくるのに、でも、ほんとうのところ、わたしが怯えているのはそのどれとも違っていた。それらのことごとからは、私は、いつか逃れられるかもしれないと、思っていたのだ。
 もしかすると、いつか逃れられることが、悲しいのだろうか、さびしいのだろうか。それとも、そんなことも分からない自分が。考えようとしても、考えられなかった。ただお腹の中がすかすかして、自分の体が、頼りなかった。それはひろみちゃんの家の庭のブランコに乗っているときの気持ちと似てはいたけれど、あの、たしかにほんものではあるけれど、ちょっとした優越感を含んだような、しみじみしたかなしみとは、違っていた。もっとつめたい、抜き差しならない、状態だった。
お餅を焼く。お餅を食べる。その芳ばしい時間のなかに、そのさむざむしい状態を包み込んでしまえたなら、どんなにか良かっただろう。
私はどんどん、お餅を食べた。ひろみちゃんはひとつも食べず、焼き加減をみてはひっくり返したり、新しいのを網の上に乗せたり、していた。
 じき、お腹が痛くなって私は泣き出した。泣き声を聞いてどこからかひろみちゃんのお母さんがゆっくり、遣って来た。足を引きずるようにして、ひろみちゃんのお母さんはゆっくりとしか、動けなかった。
「お餅、食べ過ぎたんだよ」すっくと立ちあがったひろみちゃんはゾクリとするほど冷静な声で言った。
「あらあら」と、ひろみちゃんのお母さんは呆れ声を出して、私の身体を斜めに、ソファにもたせかけた。
「だいじょうぶ。じき良くなるわ。ほうらもうここまで降りてきた」下の骨の出っ張った長い眉毛をぐいと持ち上げ、わざと滑稽な表情を作ってみせながら、私のはち切れそうなお腹に優しく手をあてて言った。ひろみちゃんのお母さんが薬をとりに台所に立っているあいだ、ひろみちゃんはソファの前の畳に座って、私の頭を撫でていた。まるで猫を撫でるような手つきで撫でながら、ごめんね。と小さい声で言った。私はお腹が破裂しそうに苦しくて、ひろみちゃんの声にろくに応えることが出来ず、ただ、どうしてひろみちゃんが謝るのか、不思議な気持ちで聞いていた。食べ過ぎてお腹を痛めているのは自分なのに、苦しんでいるのはひろみちゃんのような気がして、頭が混乱しそうだった。ひろみちゃんの家のソファはベージュ色のベロア調で、少し埃っぽい匂いがした。私の頭をなでながら、もう片方の手の指で、ひろみちゃんは私には読めない何かの文字を、ソファの上に書いていた。壁かけの時計がぼおんぼおんと時を打った。ひろみちゃんの家はいつだって整然と片付いていたけれど、少しだけ黴臭かった。少し風が出て、庭のブランコが、きゅる、きゅる、と鳴いていた。

 腹ごしらえのあとで、猫はたんねんに毛繕いを始めた。ざりざりと、舌が毛皮を削るような音をたてる。目を細めて、こぶしをなめる。
「あんた、ひろみちゃんのところに行ってあげれば良かったね」
 言ってしまってから、でも、何処へ行くかは猫の勝手だと思って、ものすごく、後悔した。でも言ってしまった言葉は消せなくて、しかもそれでも、もし、猫が私のところじゃなくひろみちゃんのところへ行っていたら。という思いは、拭えなかった。
 それじゃあ猫が来なかったら私はもしかしたら今もうここに居ないんじゃないか。ふとそんな思いがよぎって、実はちょっとだけ、ひろみちゃんのことが憎らしくなった。ひろみちゃんが置いていったもののぶんだけ、気が、重くなった。
したたかに呑んだお酒がいよいよまわってきたのか、頭がくらくらしてきた。心臓のあたりが少し痛む。
ひろみちゃんの家の庭にはいつも陽が射していた。明るい庭に、生ぬるい風がうごいて、ブランコのそばの細い木の葉を揺すって、そうしてそこには誰も居ない。ブランコも、家の中もからっぽだ。猫がみゃあと鳴いた。白ワイン色の目で、じっと見詰めてくる。「坊や」と呼びたくなるような形の良い頭を撫でながら「ごめんね」と呟いた。誰に対してかもわからず、ごめんねと、呟いた。そして「あ」と、口をあけた。ひろみちゃんがかぶっていた、赤っぽい、とりどりの毛糸で編んだ、平たい帽子が、ひろみちゃんの顔はやっぱりまだぼんやりしているのに、思いがけず、その帽子だけがありありと瞼の裏に、浮かんだのだ。とたんにわたしはぽろぽろ涙を流して泣いていた。猫はかまわず、こぶしをなめている。

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