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親子関係徒然

ドタバタで引越しも終え、娘の園の修了式も終わった。怒涛の2週間。修了式では、修了証書の一人一人受け渡しがあった。

子どもたちは名前を呼ばれて壇上に上がり、厳かに証書を受け取ると、クルリとこちらを向き、壇上から真ん中の通路を歩き、ホール中央で待ち構えている保護者に証書を受け渡す。

その一人一人の晴れがましい笑顔。親にしか見せない表情が、もうなんとも言えないほど胸キュンで、それを全員分見ているだけで胸がいっぱいになった。赤の他人がこんな表情見ちゃっていいのかな!と少し気恥ずかしさも感じるような。

親子の愛着ってすごい。ここまで刷り込まれているのが少し怖くなるくらいに、皆が皆、親にだけは特別な表情をしていた。少しホッとしたような、嬉しくて、飛び上がりたいような、でもまだドキドキしているような、そんな気持ちが入り混じった表情。あぁ、この関係性をまた手に入れたくて、皆、恋愛をしたり、仕事を頑張ったりするんだろうなぁなんて思ったり。

修了式後のパーティで、クラスのママさんと話していたら、お母さんと似てますねぇ!すぐ分かりましたと言われた。そう、私は母と似ている。そしてその事を恥ずかしく感じてしまう。この恥ずかしさはどこからくるのかなぁと思わず考えてしまった。思春期的なものかと思っていたけれど、思春期を当に過ぎた今も続いている。

子供の頃、母の事が大好きだった。いつも優しくて、明るい母。いつも自分のことは後回しで、子供達を優先する母。あまりにも子供を優先し、節制している禁欲的な母を見て、お母さん自身にも、もう少し楽しく過ごしてほしいなぁと心苦しくもあった。

大きくなるにつれ、優しいけれど勘が悪く、とんちんかんで不器用な母にイライラしたり、身なりにほとんど頓着せず、親族の集まりなどでもTPOを気にせずに、ラフを超えた奇妙な格好でいる母を恥ずかしく感じるようになっていった。自分自身、顔だけでなく、性質的に似ている部分が多い事もあり、自分の嫌な部分を見ているような苦しさもあった。

母にはもちろんたくさん感謝している事があるし、母をそんな風に思ってしまうなんて嫌だなと思いつつも、なかなかその気持ちを変えられずにいた。

少し前に一緒にご飯を食べに行った時も、何かと気を配ってくれているのはわかるのだけれど、どれも的外れな気遣いばかりでイライラしてしまい、そんな自分にまた悲しくなった。

ただ途中から、一緒に過ごす時間に集中して、母のペースにできるだけ合わせてみると、母の本当に素直で、打算がなく、純朴な性質が際立って見えてきて、なんかこの人すごいなぁと思った。とてつもなく凸凹した人だけれど、そして自分自身も同様にやはり凸凹しているけれど、凸の部分は他に変え難い、希少な魅力であるし、このかなり変わった人の所に私たち兄弟が産まれてきた意味みたいなものを感じたりもした。

この辺りはまだうまく言葉にまとまらないけれど、そんなこんなで親子関係について考える機会が多かったここ最近。親子って本当に、考えだすとキリがないな〜!

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