ワーママ一人相撲
瞑想の話から派生して今日思ったこと。自分の素直な気持ちに気づくようになると、自分の中のカッコ悪いところにも気づくようになる。
子どもがいない頃は、仕事をかなり頑張っていたので、育児との両立でこれまでのように全力疾走できないようになると、様々なことで本当にモヤモヤした。
抱えきれなくなった自分の仕事を引き継いだ人に対しては、業務量を増やしてしまい申し訳ない気持ちはありつつも、自分だったらこうするのになぁ、と思ってしまうことがたくさんあった。
あまりやる気がなく色々と適当だけれど、周囲が辞めていく影響で業務量が増え、任されることが増えていった人が評価され、自分よりも給料が上がっていくと、その評価が認められない自分がいた。私の方が頑張っていたし、ちゃんとやっていたのになぁと、虚しい気持ちになった。
後から入ってきた優秀な人たちに対しても、すごいなぁと思いつつも、あぁ、ここはもっと確認、相談してくれたらよかったのになぁとか、仕事はできるけれど、会社のことを本気で考えてはくれていないんだなぁとがっかりしたりした。
部署では最も社歴が長くなってしまい、色んな背景は分かって全体像はよく見えるけれど、今現在は全力が出せず、責任も負えないという状況は、そんな風に周囲への嫉妬や自分をもっと認めてほしいという気持ちを強めていった。
あぁ、これがお局様の気持ちかぁ!私、お局様になってるのかぁ!と思った。この人なんで妙な所でプライド持ってこだわっているんだろう、面倒くさいなぁと思っていた、過去のお局様たちが、頭の中を走馬灯のように駆け抜けた。お局様よ、きもち、わかるよ。全然理解してなくてごめん。
叶姉妹のポッドキャストから、叶恭子様の「期待しない幸せ」という言葉が響く。そうだ、周囲に私は期待しまくっていたのだなぁと思う。
会社の人は本当にみんな優しいし、私の状況にも理解を示してくれて、たくさん配慮してくれてる。客観的に見ても、ワーママとしては破格の条件で、自由に働かせてもらっている。でも配慮を受ければ受けるほど、お荷物になってるようでみじめな気持ちになりもする。自己有用感ってやはり大きいのだなぁと思う。逆に、これだけ頑張ってるのに十分に認められていないみたいな気持ちにもなってしまいがちでもあったが、今日突然、全部自分が卑屈になっているだけ、期待してただけなんだろうなぁと思った。
皆、信頼してくれているし、自分もできる範囲で全力を尽くしているし、それでいいじゃんか。それを許せてないのは、多分私だけだ。私は、自分を納得させることに最も苦労しているのだろうと思う。だからこそ、自分の気持ちと静かに向き合う瞑想がやっぱり必要だよな~と思った。
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