2021年から2022年へ

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪

今日は…大晦日。
泣いても笑っても楽しくてもそうでなくても
もうまもなく2021年が終わりとなり
そして2022年が…新しい一年が始まる。
朝に日が昇り夕方日が沈むように
淡々と時は流れ刻まれていく。

この一年はどうであっただろうか…
何に迷い、何を選択して、どんな行動を起こし
どんな事に行動しないと決断したのか…。
全てが繋がり今がある。
人生はゲームみたいに降り出しには戻れない。
パソコンの様に都合の悪い部分だけ消去することもできない。
人間は間違いや思い違いが得意で、感情が加わると、過去はいかようにも変えられる。
昨日失敗だと思っていた事実も
翌日には大発見のための大切な経験だったと簡単に変わってしまう。

2021年のいまひとつだったことばかりを思い出せば残念な一年として記憶に残るかもしれない。
でも、もし、楽しかったことや貴重な学び
楽しかったことを中心に思い出して、懐かしむことができれば、2021年は楽しかった一年として記憶に残すことができるかもしれないと思うのです。

陰陽学では、光が当たれば影ができるようにどんな物事も光があたっている側面と影になる側面があるといっています。同じものでも見る方向が変われば正反対の評価となることは当然のことだと…。
立場が変われば見える世界も求めるものも変わってしまうのは…当然のことなのだと。

ごんぎつね…
いたずら好きのゴンが「病に伏しているお母さんのために兵十が捕まえた鰻」を逃してしまったことから始まる物語。
兵十はゴンを恨みました。そして悲しい結末へと…。
きつねは人間の言葉を持ちません。人は…きつねの事情を知るよしもありません。全ては人間の勝手な思い込みに過ぎないと思うのです。
もしゴンが本当は、「生まれたばかりの赤ちゃんに食べさせるために丁度いいところにあった鰻」を捕まえて持って帰ろうとして、失敗して逃してしまったとしたら…。
もし、そのことを兵十が知ることができたなら…
物語はどうなっていたのだろう。

私達は兵十と同じ過ちをおかしていないだろうか…事情を知らず、勝手に悪い方に思い込んで確かめもせず決めつけてはいないだろうか…

無意識に思い込みは私に入り込んでいて…
努めて良い方に解釈するようにする位が、私には丁度いいのかもしれない…。

本当に…沢山の先人の知恵に触れることが出来た一年だったと有難く思います。言葉は、特に永く語り継がれる言葉は、自分よりも豊かな人生を送って欲しいという先人の願いが込められている気がして本当に有難いなあと思うのです。
そしてたくさん励まされました。応援してもらった気にさえなりました。
同じ言葉を使う仲間にだけ伝わる想いがある…。私は…先人の想いをただしく理解して受け止めることが出来ているだろうか…。そして、次に繋げることが出来ているだろうか…

今年より来年人類は確実に進化している。自分と自分の両手で繋がれる人の笑顔を増やせる可能性を誰もが持っている。そう在りたいと望めばそれは叶う…私はそう信じたい。そう信じて2022年を楽しもうと想う。

あなたは2022年どんな年にしたいですか?

最後までお読みいただきましたことを感謝いたします。ありがとうございますm(_ _)m。
私の言葉は、先人の愛情からお借りしたものばかりだとおもっています。幾千年も命を守り繋いでくださったすべての命に感謝いたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?