毒親は薬親?

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪

「忌み言葉」という考え方があったように思います。例えば受験生のいるところで、「滑った」とか「落ちた」という言葉を使わない。というような、好ましくない事を連想させる言葉を使わず、好むことにつながる言葉で表現する。ある種思いやりというかおまじないというか…。

最近目について、氣になっている言葉があります。

「毒親」

好んで使っている人もいるようですが、インパクトありますよね。私も初めてこの言葉に出逢ったときは、心がザワつきました。
そして、反発する思いもありました。
ですが、しばらく時間をおいて、落ち着いて捉え、どういう意味でこの言葉が使われているのかを見てみますと…確かに一理あるなあと思えるようになりました。
が、やっぱり納得はいきません。

毒は、少量であれば使いようによっては、人の命をも救う強力な薬になりますし、少量ずつ飲み続けることで耐性ができ、毒に負けない体を作ることができます。

すなわち毒親の本来の姿は「薬親」ということです。どんなにいい薬でも量が多ければ毒になり、少なければ効果が期待できない…
この匙加減は本当に難しい…。

沢山の親子がいて、皆それぞれ違っていて、同じ親子はいない…。同じ出来事もない。親の態度一つ一つが毒になり薬になり…その時時で同じ言葉も薬になったり毒になったり…。しているのだと思うのです。

「強く効きすぎた」「弱すぎた」「まあまあいい感じに効いた」と試行錯誤はあるものです。

この世に不要なもの、価値のないものが無いように、毒もまた必要なモノ。
但し使い方はむずかしいですが、使いようによってはあなたや私を最強に鍛えてくれる強い味方かもしれませんね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。感謝いたします。皆様に笑顔が増えますように…

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