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自分の命は自分で守る

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたなら倖いです。

先人からの教えに、『自分のことは自分でやる。自分の命は自分で守る』というものがあります。
この2年、ことあるごとに、このことを考えてきました。
そして、親の命も守りたい。子供の命も守りたい。大好きなお友達も、会社の仲間も…。

命を守る…。
刀を持ち歩いていた時代や大戦中は、当たり前の概念で常に意識していたのでしょうか…。いざというときのために鍛錬したり、家庭で教育の中で考えてきたのでしょうか…。

食事や生活習慣やら、お薬やら、お注射やら…。
探せばいくらでも命を守るための情報をキャッチすることが可能な時代。でも…、情報が多すぎたり足りなかったり、信憑性が高いものやら嘘だったりイロイロで、その判断は個々の裁量任せ…。

こうするといい。こうしてはいけない。
広く広く情報を集めると、必ず正反対の意見が出揃う。
お肉を食べたほうがいい食べないほうがいい。
玄米がいい玄米は良くない。
お注射が必要。不要。
不織布マスクがいい。悪い。

昨日までいいと信じていたことが、見方を変えた途端に悪者になってしまうことも…。ありえることだと思うのです。

自分の命を自分の責任で守るということは、自分で考えて選び、その結果にも責任を持つということなのかもしれません。

今はこれがベストだと思うから、こうしよう。
誰かに勧められたから。こっちを選ばないと周りの目が…。皆がそうするから…しかたなく。

周りに流されて決めることもあると思うけれど、結果が思ったとおりでなかった場合、3つのタイプに分かれると思うのです。
「自分で決めた結果だから仕方ない」と思う人
「自分で決めたから仕方ないけれど、このことを知らなかったからなあ。あの人がこうしていたからいいと思ったのになあ」と思う人
「権威ある人が言ってたのに。皆もそうしていたのに、なんでなのよー。どうしてくれるのよー。」と思う人

果たしてどれが、自分の命を自分で守っていることになるのでしょう。

すべてを自分で調べたり確かめたりすることは、現実的ではないから、結局は誰かが言っていたことや検証したことから判断することになるけれど…、私は自分の命を自分で守れているかしら…。他人任せになってはいないかしら…。

大人として、一人の子供として、授かった自分の命をあずかるものとして、自分で責任をとる覚悟を持った選択ができている…と子どもたちに胸を張って言える。そういう自分で在りたいと、そういう大人で在りたいと、やっと思えるようになってきた気がします。

皆さんはどうですか?
どう在りたいですか?

もちろん。どんな在り方も尊重されるべきだと思っています。どれがいいということではないと思うのです。置かれた状況、立場によって、あなたに一番寄り添う選択肢は変わってきます。それでいいと思うのです。

私のつたない文章を最後までお読みくださることへの感謝の気持を込めて、どうかあなたが、あなたにとって一番心穏やかに寄り添ってくれる選択肢、在り方で毎日を過ごせますように…。と、願っています。ありがとうございました。

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